TPPは日米安保条約第二条の経済条項の具体化と推進であることは、「その1」で述べました。「主権回復の日」として始まった日米安保条約の歴史は、沖縄県民と日本国民の「屈辱の日」の始まりでした。
それらを無視する安倍首相の思想は、歴史の事実を偽造するものです。この思想がTPPと同じように、不利益を受ける人を、利益を受ける輩を優先することで、切捨てる不道徳の極地であることを、以下、述べてみます。
1.「屈辱の日」を「主権回復の日」とする不道徳について、です。
安倍首相は、12日、共産党の赤嶺議員にとんでもない発言をしました。このお坊ちゃまの身勝手さを如何なく発揮した事例で、断じて許すことのできないものです。
「主権回復」式典 「屈辱」の歴史正当化 衆院予算委 赤嶺議員が批判2013年3月13日(水)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-13/2013031301_02_1.html
安倍晋三首相は「まずは占領政策を終えなければ主権を回復できなかった。4月28日は沖縄返還の第一歩を記した」と正当化。(引用ここまで)
これを視ていて驚きました。怒りました。安倍首相は、赤嶺氏の追及に対して長々と、デタラメを言いました。それは日本の主権回復があり、それを受けて叔父の佐藤首相の沖縄の復帰ながければ日本の戦後は終わらないとした復帰政策がなされたから、沖縄が復帰できたとする思想です。
この思想は国際法に違反して銃剣とブルドーザーで土地を強奪し、県民を弾圧と懐柔によって全面占領と統治を維持してきたことを正当化するばかりか、主権回復に向けた沖縄県民の不撓不屈のたたかい、国民のたたかいを無視・黙殺し、愚弄する、歴史の事実を歪める思想です。
例えば愛国者の邪論が最初に沖縄に触れたのは1968年の秋でした。嬉野京子氏の写真に衝撃を受けました。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51424388.html
その後1970年安保条約第10条にもとづく廃棄の是非を掲げた70年安保闘争への参加でした。この頃は安保・沖縄・ベトナム・憲法を暮らしに活かす、を一体のものとして考えていました。これらの運動が沖縄の「施政権返還」「祖国復帰」運動へと発展し、1971年11月、本土の沖縄化を策した「沖縄協定」が反対世論を押し切って強行採決され、72年5月15日「祖国復帰」が実現したのです。まさに歴史の真っ只中にいました。
その時に読んだパンフ「海鳴りの島から」(沖縄祖国復帰同盟)の2冊だったと記憶しています。今、手元にありませんので、不確かです。嬉野氏の写真と、沖縄戦と米軍の理不尽さは少年のこころを揺さぶりました。そのこころを捉えたのは「これが日本か!?」という怒りでした。今も覚えていることは。
さて、この安倍首相の思想に対して、以下の表明がなされました。
首相が表明 4月28日サ条約発効の「記念日」化 沖縄と国民全体の「屈辱の日」 2013年3月12日(火)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-12/2013031202_03_1.html
従属と屈辱の日を「祝う」のか――「主権回復の日」式典の中止を求める
2013年3月14日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫2013年3月15日(金)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-15/2013031503_01_1.html
しかし、比較的まともな「東京」でさえも、以下のような程度の見解しか出せないのです。
【東京社説】主権回復式典 心の底から祝えるのか 2013年3月13日http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031302000122.html
一九五二年に講和条約が発効した四月二十八日。安倍内閣は「主権回復の日」として政府主催式典の開催を決めたが、米軍統治が始まった沖縄県では「屈辱の日」に当たる。心の底から祝えるのか。 「主権回復の日」式典を政府主催で開くのは今年が初めてだ。安倍晋三首相はその理由を「(終戦後に)七年という長い占領期間があったことを知らない若い人たちが増えている。節目の日を記念し、わが国による国際社会の平和と繁栄への貢献の意義を確認する」と説明した。
敗戦後の占領からの再独立、主権回復を祝うのは、日本国民なら当然といえる。焦土から驚異的な復興を成し遂げた先人の労苦をしのぶ機会になるかもしれない。 しかし、唐突感が否めない。 安倍総裁率いる自民党は二〇一二年十二月の衆院選で、政府主催式典の開催を公約したが、それ以前の選挙公約には見当たらない。 政権奪還に向け、保守層の支持を得ようと公約に入れ込んだのなら、党利党略が過ぎないか。 主権回復の日を強調することで占領下に制定された日本国憲法の正統性に疑問を呈し、憲法改正の機運を高めようという狙いもあるとしたら、素直には祝えない。 日本の不可分の一部である沖縄県、奄美群島、小笠原諸島にとっては、この日が本土から分離され、苛烈な米軍統治の始まりだったことも、忘れてはなるまい。 特に沖縄県内には本土復帰後も在日米軍基地の74%に当たる基地が残り、米軍の排他的な使用、管理が続く。在日米軍の軍人・軍属が事件、事故を起こしても、特権的な法的立場が認められている。 これらは日米地位協定に基づくが、あまりにも治外法権的と言えまいか。日本政府は民主党政権時代を含め、運用改善に努めても、改定を提起しようとすらしない。 安全性に疑問が残る垂直離着陸輸送機MV22オスプレイや米軍機が、日本提供の訓練空域でないルートを飛び回る姿は、日本がいまだに領空の主権を完全には回復していない現実をも見せつける。 安倍内閣がこれら「半主権」的状況の改善に本腰を入れるのならまだしも、放置しながら主権回復を祝うのは独善的に過ぎないか。 主権行使できない状況が続く北方領土や竹島が日本国民の手に戻る。地位協定が改定され、沖縄の米軍基地負担も抜本的に軽減される。そうした「真の主権回復」の日が来るまで祝うのは待ちたい。(引用ここまで)
どうでしょうか?これはゴマカシ「社説」です。安倍首相の不道徳振りを免罪する「社説」です。
今回の「主権回復の日」設定は、「憲法改正の機運を高める狙い」があることは周知の事実ではないでしょうか?米軍の軍人・軍属の事件・事故に対する「特権的法的立場」は「地位協定に基づく」「治外法権的」「立場」であるとしていますが、「的」は曖昧です。
また米軍の「特権的な法的立場」が「地位協定に基づく」のであれば、日米安保条約に、その根拠があることは常識中の常識です。何故このことにメスをいれないのでしょうか?
何故「特権的な法的立場」は「治外法権」=「日本国憲法外」と言わないのでしょうか。まさに「苛烈な米軍統治の」「継続」ではないのでしょうかです。「『半主権』的状況の改善」とは一体どんな「改善」でしょうか?「地位協定の改正」でしょうか?日米安保条約の廃棄と日米平和友好条約の締結でしょうか?
「『半主権』的状況」を「放置しながら主権回復を祝う」のは、「独善的に過ぎないか」ではなく国家主権と国民主権を曖昧にする不道徳さを示すものです。
真に「主権回復」を「祝う」ためには、「日本がいまだに領空の主権を完全には回復していない現実」を「改善」していくことです。「領空の主権」が「完全に回復していない現実」を「改善」していくためには、日米安保条約の軍事的・経済的関係を曖昧にし、政治的従属性を黙殺することができないことは明らかです。
以上、沖縄に対する戦前の不道徳ぶりが戦後も継続していることを書いてみました。次は今日3.15が、歴史的にどのような日であったかを、さらに検証しながら、安倍政権の不道徳ぶりを、さらにさらに告発してみたいと思います。(つづく)