愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

歴史的3.15の日に屈辱と従属、亡国への途を歩む不道徳安倍政権を糺し憲法的道徳の体現を問う!その2

2013-03-15 | 沖縄

TPPは日米安保条約第二条の経済条項の具体化と推進であることは、「その1」で述べました。「主権回復の日」として始まった日米安保条約の歴史は、沖縄県民と日本国民の「屈辱の日」の始まりでした。

 それらを無視する安倍首相の思想は、歴史の事実を偽造するものです。この思想がTPPと同じように、不利益を受ける人を、利益を受ける輩を優先することで、切捨てる不道徳の極地であることを、以下、述べてみます。

 1.「屈辱の日」を「主権回復の日」とする不道徳について、です。

安倍首相は、12日、共産党の赤嶺議員にとんでもない発言をしました。このお坊ちゃまの身勝手さを如何なく発揮した事例で、断じて許すことのできないものです。

 「主権回復」式典 「屈辱」の歴史正当化 衆院予算委 赤嶺議員が批判2013年3月13日(水)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-13/2013031301_02_1.html

安倍晋三首相は「まずは占領政策を終えなければ主権を回復できなかった。4月28日は沖縄返還の第一歩を記した」と正当化。(引用ここまで)

 これを視ていて驚きました。怒りました。安倍首相は、赤嶺氏の追及に対して長々と、デタラメを言いました。それは日本の主権回復があり、それを受けて叔父の佐藤首相の沖縄の復帰ながければ日本の戦後は終わらないとした復帰政策がなされたから、沖縄が復帰できたとする思想です。

 この思想は国際法に違反して銃剣とブルドーザーで土地を強奪し、県民を弾圧と懐柔によって全面占領と統治を維持してきたことを正当化するばかりか、主権回復に向けた沖縄県民の不撓不屈のたたかい、国民のたたかいを無視・黙殺し、愚弄する、歴史の事実を歪める思想です。

 例えば愛国者の邪論が最初に沖縄に触れたのは1968年の秋でした。嬉野京子氏の写真に衝撃を受けました。

http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51424388.html

 その後1970年安保条約第10条にもとづく廃棄の是非を掲げた70年安保闘争への参加でした。この頃は安保・沖縄・ベトナム・憲法を暮らしに活かす、を一体のものとして考えていました。これらの運動が沖縄の「施政権返還」「祖国復帰」運動へと発展し、1971年11月、本土の沖縄化を策した「沖縄協定」が反対世論を押し切って強行採決され、72年5月15日「祖国復帰」が実現したのです。まさに歴史の真っ只中にいました。

 その時に読んだパンフ「海鳴りの島から」(沖縄祖国復帰同盟)の2冊だったと記憶しています。今、手元にありませんので、不確かです。嬉野氏の写真と、沖縄戦と米軍の理不尽さは少年のこころを揺さぶりました。そのこころを捉えたのは「これが日本か!?」という怒りでした。今も覚えていることは。

 さて、この安倍首相の思想に対して、以下の表明がなされました。

首相が表明 4月28日サ条約発効の「記念日」化 沖縄と国民全体の「屈辱の日」 2013年3月12日(火)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-12/2013031202_03_1.html

従属と屈辱の日を「祝う」のか――「主権回復の日」式典の中止を求める

2013年3月14日 日本共産党幹部会委員長 志位和夫2013年3月15日(金)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-03-15/2013031503_01_1.html

 しかし、比較的まともな「東京」でさえも、以下のような程度の見解しか出せないのです。

【東京社説】主権回復式典 心の底から祝えるのか 2013年3月13日http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013031302000122.html

 一九五二年に講和条約が発効した四月二十八日。安倍内閣は「主権回復の日」として政府主催式典の開催を決めたが、米軍統治が始まった沖縄県では「屈辱の日」に当たる。心の底から祝えるのか。 「主権回復の日」式典を政府主催で開くのは今年が初めてだ。安倍晋三首相はその理由を「(終戦後に)七年という長い占領期間があったことを知らない若い人たちが増えている。節目の日を記念し、わが国による国際社会の平和と繁栄への貢献の意義を確認する」と説明した。

 敗戦後の占領からの再独立、主権回復を祝うのは、日本国民なら当然といえる。焦土から驚異的な復興を成し遂げた先人の労苦をしのぶ機会になるかもしれない。 しかし、唐突感が否めない。 安倍総裁率いる自民党は二〇一二年十二月の衆院選で、政府主催式典の開催を公約したが、それ以前の選挙公約には見当たらない。 政権奪還に向け、保守層の支持を得ようと公約に入れ込んだのなら、党利党略が過ぎないか。 主権回復の日を強調することで占領下に制定された日本国憲法の正統性に疑問を呈し、憲法改正の機運を高めようという狙いもあるとしたら、素直には祝えない。 日本の不可分の一部である沖縄県、奄美群島、小笠原諸島にとっては、この日が本土から分離され、苛烈な米軍統治の始まりだったことも、忘れてはなるまい。 特に沖縄県内には本土復帰後も在日米軍基地の74%に当たる基地が残り、米軍の排他的な使用、管理が続く。在日米軍の軍人・軍属が事件、事故を起こしても、特権的な法的立場が認められている。 これらは日米地位協定に基づくが、あまりにも治外法権的と言えまいか。日本政府は民主党政権時代を含め、運用改善に努めても、改定を提起しようとすらしない。 安全性に疑問が残る垂直離着陸輸送機MV22オスプレイや米軍機が、日本提供の訓練空域でないルートを飛び回る姿は、日本がいまだに領空の主権を完全には回復していない現実をも見せつける。 安倍内閣がこれら「半主権」的状況の改善に本腰を入れるのならまだしも、放置しながら主権回復を祝うのは独善的に過ぎないか。 主権行使できない状況が続く北方領土や竹島が日本国民の手に戻る。地位協定が改定され、沖縄の米軍基地負担も抜本的に軽減される。そうした「真の主権回復」の日が来るまで祝うのは待ちたい。(引用ここまで)

 どうでしょうか?これはゴマカシ「社説」です。安倍首相の不道徳振りを免罪する「社説」です。

 今回の「主権回復の日」設定は、「憲法改正の機運を高める狙い」があることは周知の事実ではないでしょうか?米軍の軍人・軍属の事件・事故に対する「特権的法的立場」は「地位協定に基づく」「治外法権的」「立場」であるとしていますが、「的」は曖昧です。

 また米軍の「特権的な法的立場」が「地位協定に基づく」のであれば、日米安保条約に、その根拠があることは常識中の常識です。何故このことにメスをいれないのでしょうか?

 何故「特権的な法的立場」は「治外法権」=「日本国憲法外」と言わないのでしょうか。まさに「苛烈な米軍統治の」「継続」ではないのでしょうかです。「『半主権的状況の改善」とは一体どんな「改善」でしょうか?「地位協定の改正」でしょうか?日米安保条約の廃棄と日米平和友好条約の締結でしょうか?

 「『半主権的状況」を「放置しながら主権回復を祝う」のは、「独善的に過ぎないか」ではなく国家主権と国民主権を曖昧にする不道徳さを示すものです。

 真に「主権回復」を「祝う」ためには、「日本がいまだに領空の主権を完全には回復していない現実」を「改善」していくことです。「領空の主権」が「完全に回復していない現実」を「改善」していくためには、日米安保条約の軍事的・経済的関係を曖昧にし、政治的従属性を黙殺することができないことは明らかです。

 以上、沖縄に対する戦前の不道徳ぶりが戦後も継続していることを書いてみました。次は今日3.15が、歴史的にどのような日であったかを、さらに検証しながら、安倍政権の不道徳ぶりを、さらにさらに告発してみたいと思います。(つづく)


歴史的3.15の日に屈辱と従属、亡国への途を歩む不道徳安倍政権を糺し憲法的道徳の体現を問う!その1

2013-03-15 | TPP

今日、公約違反のTPP参加に向けた交渉参加が表明されました。そのことについては、昨日記事にしました。TPPの本質をスリカエて、事が進められていきました。具体的には、

 「自由な貿易の競争の中で取り残される」「輸出にはプラス」「聖域は認められた」「強い交渉力で聖域・国益を確保する」「競争力をつければプラスになる」「交渉力で聖域が守れないようでは脱退も辞さない」など、TPPの本質を覆い隠すイデオロギーが振りまかれ、国民世論を分断しての「決定」でした。具体的には、「工業と農業」「都市部の消費者と地方の生産者」の分断。「安い輸入品が入ってくるのはプラス」との意見が「大勢」であるかのように「世論調査結果」がテレビで「宣伝」されたことに象徴されています。

 ところが、昨日の記事にも紹介しましたが、普天間・オスプレイに見るようにアメリカに追随して「強い交渉力」など有り得ないこと、TPPの具体的内容は秘密主義であること、関税に聖域などは設けていないこと、アメリカの多国籍企業の控訴権による国家主権の侵害は不問であることなどは不問でした。この不問に付すことそのものに矛盾が示されています。

 安価な輸入品は安全か?アメリカ農業の生産は磐石か?輸入が途絶えない保障は?食糧を握られてアメリカのモノを言えるか?など、秀吉の城攻めの教訓は完全に忘れられています。植民地宗主国の嗜好品を生産させられて飢餓による貧困化をつくらされたアフリカの旧植民地国の教訓は完全に想定外です。

 この間の日米貿易・日中貿易の「発展」にみるように非正規労働者の氾濫・国内産業の空洞化による輸出産業の発展は有り得ないこと、むしろ空洞化は都市も地方も国民生活も疲弊していること、などなど、日本経済の衰退を加速させる亡国政策であることを見抜いていく必要があるでしょう。しかし、こうした経験も全く想定外なのです。

 国内生産の脆弱化・空洞化による国家の衰退による安全保障のアメリカ依存・従属によってアメリカ頼みに陥る日本の亡国は明らかです。

 もう一つあります。この政策の最大の問題は「自由競争」です。この「自由」のウラにあるのは「優勝劣敗」「弱肉強食」思想です。TPPに参加すれば「プラスもある」論のウラ側にある「マイナス」の「恩恵」を受ける人たちを切り捨てる「切り捨て御免」思想です。この「マイナス」を受ける人たちがプラスの恩恵を受ける人たちの生け贄・犠牲になるという思想です。

 「弱者切捨て」論は、「自己責任」論のウラ返しです。少数のエリートの下には広く厚い堕ちこぼれ組みをつくる思想です。しかもその堕ちこぼれ組みを団結させない、分断する思想です。

 今日、特別支援学校に息子を通学させていた友人の子どもが卒業するというので、その子どもが校舎から出てくる場面だけを参観に行きました。子らの卒業を祝う先生たちの温かいまなざしと就職していく子らに対する励ましの言葉などなどを観ていて思いました。健常者とは違う子らも人間であること、この子らを切り捨てることのない社会、人間集団にしていかなければならないと、別れを惜しむ子らと先生・保護者たちを観ていて思いました。

 そのようなことを考えたのは何故かと言いますと、今朝のテレビ朝日のモーニングバードは、昨日と違って、TPPに参加して群馬県のこんにゃく生産者のマイナス面をプラス面に転換していく事例を紹介しながら、TPP参加にはマイナス面もあるがプラス面もあるので参加やむなしとするコメンテーターがいたことに、マイナス面の人たちへのまなざしの欠落した発想に疑問を持ったからです。

 これは、ある政策実行によってマイナスの被害を受ける人がいたとしても、プラスの恩恵を受ける人がいることを優先する政治そのもので、マイナスの被害を受ける人たちはガマンを強制されることを意味しています。

 これは日米安保のために、中国・北朝鮮の脅威の抑止のために沖縄県民に被害を受け入れろということを意味しています。日本国民の生活のために、日本経済のために原発再稼動を認めろ、原発立地地域の安全はガマンしろということを意味しています。日本経済の輸出産業のために農業や中小企業、非正規労働者などはガマンしろという意味です。日本の国益のためには少々のことはガマンしろという意味です。この思想は、まさに

 輸出産業をささえる国内の地場産業・国内の労働力の質がアメリカの多国籍業の食いものにされてしまうことを容認して、輸出産業を守ろうとする思想です。この思想は、この間の歴史的経過をみれば、これは失敗するでしょう。何故ならば、1960年代以降の農業の自由化政策によって工業立国として大儲けをして経済大国ニッポンをつくってきましたが、その結果、どのような「自由」が作り出されたかです。

 一部の大企業だけが大儲けし、圧倒的多数の国民をワーキングプアーに脱落させてきた「自由」でした。自民党の票田として農家保護政策は農業自給率の低下や農業人口の激減、休耕地と耕作放棄地の増加などの現実が如実に示しています。アメリカ型大型店舗を容認した結果、街は、日本社会がどうなったか、を見れば明瞭です。

 大店立地法は大店法とどう違う?2000年7月29日 (土)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000729_faq_daitenhou.html

1992年大店法が改正され、日本中の商店街がシャッター通りと化した。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/f1e4c02d086dbc13f1b61eac9301be36

日米構造協議・構造改革の帰結 (2012/12/20)

http://www2.rikkyo.ac.jp/univ/hikita/JapaneseEconomy/2012/212economicconfricts.htm

破たんした小泉「構造改革」 社会と国民に何もたらした2009年2月20日(金)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-02-20/2009022008_01_0.html

 以上のような諸事実をいっさい不問に付しながら、NHKは安倍首相を登場させ、TPP参加交渉に参加しなければ、自由貿易(競争)に遅れる、強い交渉力で聖域と国益を守る、と、TPP参加交渉に入る無謀さを正当化させました。大越キャスターは、最後に今後の問題だと、問題の所在を認めながら、安倍首相の「決定」を容認しました。

 石破自民党幹事長も「首相(政府)の決定だから」と、公約違反にはならないと言うのでしょうか?理由にならない理由を述べ、公約違反を正当化していました。各党の意見表明も「生活」「共産」「みどり」「社民」以外は賛成でした。国益が守れないことは明らかなのに、「国益が守れるかどうか注目・監視していく」などと追認していた民主。同罪でしょう。

 このTPP参加に向けた交渉参加が日米軍事同盟の対中・対北朝対策であること、日米安保条約第2条の経済条項の具体化で、対米追随であること、ウソで固めた「交渉参加」決定であること、このウソはいつまで取り繕うことができるか、そのほころびは早晩、国民の前に晒されるであろうこと、TPPの事実はゴマカスことはできことが、明らかになるでしょう。

 それにしても、こうした弱者を切り捨てる思想が日本に蔓延してしまったことに疑問をもつことすらできなくなってしまった日本国民の思考回路には驚きと怒りすら湧いてきます。こうした事実に対して道徳心の欠如を見るのは愛国者の邪論だけでしょうか?