9月25日(月)午前中に善光寺を散策した私たちは、昼食後、12時22分発の長野電鉄に乗り込み、小布施駅には12時54分に到着しました。
小布施は北信濃にあって千曲川東岸に広がる豊かな土地です。
特に千曲川の舟運が発達した江戸時代には、交通と経済の要所として栄えました。
人が行き交い集まる歴史の中で、当地では独特の文化が花開き、小林一茶や葛飾北斎など多くの文人墨客が訪れました。
江戸幕府・老中・水野忠邦の「天保の改革」により北斎の創作活動も制限されるようになります。
失望した北斎は、小布施の豪農商・高井鴻山を訪ねます。
小布施に来た北斎を鴻山は快く迎え、屋敷の中に北斎専用のアトリエ・碧い軒(へきいけん)まで造り、創作活動を援助します。
北斎はその後再三にわたって来訪し、鴻山が提供したアトリエに、数々の肉筆画の傑作や鴻山との合作を残しました。
「高井鴻山記念館」には豪商でありながら画家、書家、思想家、文人として江戸末期一級の文化人であった高井鴻山に関する資料が集積・展示されています。
高井鴻山は、栗菓子で知られる「小布施堂」と「桝一市村(ますいちいちむら)酒造場」を経営する市村家の12代当主でもありました。
小布施町は栗の産地としても知られています。
本店でしか味わえない栗のアイスクリームやお菓子もあり、型崩れの心配もなく、日持ちもする栗ようかんも売っています。
栗菓子の小布施堂を営む市村家が、江戸時代宝暦年間より営んできた造り酒屋の屋号が「桝一」です。
杉玉の下をくぐって店内に入ると、目の前に大きな酒樽があります。
「碧い軒(大吟醸)」「鴻山(大吟醸)」「スクウェア・ワン」「白金(山廃桶仕込み)」は代表銘柄です。
店内に“手盃台”(てっぱだい)と呼ばれるカウンターがあり、そこでは、錫のお猪口で全銘柄を味わうことができます。
小布施のにぎやかな国道403号線添いの二階建て、窓の沢山あるお店が「竹風堂小布施本店」です。
ここで私たちはティータイム・・・と言っても無料の冷たい水ですが・・・。
妻はご近所への土産に栗羊羹とどら焼きを買い込みました。
「北斎館」では特別展として「北斎漫画の世界」が開催されていました。
「えっ!!・・・北斎が漫画も描いたの?・・・」と美術・芸術に疎い私は思わず口走りました。
「北斎漫画」の「漫画」は、いわゆる現代のコミックや劇画とは異なり、「漫然と描くもの」、つまり、筆のおもむくままに描いたものという意味でした。
江戸時代、オランダとの貿易品の一つだった漆器や陶磁器の包み紙として「北斎漫画」も使われ、それを見たオランダの人々は、初めて目にした北斎の独特の世界観に感銘を受けました。
それは次第にヨーロッパ各地へ伝わり、フランスを中心に巻き起こったジャポニズムのきっかけになったということです。
北斎館から高井鴻山記念館に通じるちょっとした裏道が「栗の小径」です。
小布施の特産である栗の木の間伐材をブロック状に敷きつめていて、小径の両側には土蔵や白壁の蔵などが立ち並び、情緒のある小布施を代表する観光スポットです。
小径の周りはナチュラルガーデンが広がり、家の庭をオープンガーデンとして公開している家も多い。
以上で信州旅行の第一日目の予定を終えた私たちは、小布施駅発15時8分の長野電鉄に乗り、今宵の宿である湯田中温泉「よろづや」に向かいました。
江戸時代の湯田中は、松代藩の湯治場としてのほかに、北国街道の発展に伴い、善光寺詣での後の精進落としの湯として名を馳せました。
「よろづや」の桃山風呂は純木造伽藍建築で、平成15年に国の登録有形文化財に指定されました。
日本の大浴場ベスト10にも選出された名物風呂です。
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