ヒノキの香りのする瞑想の湯に浸かったあと、鴨鍋付き四季の京会席料理に舌鼓を打った私たちは、翌、2月21日(火)8時半に宿を出て、河原町五条からバスで、「銀閣寺」へ向かいました。
世界遺産の銀閣寺は延徳2年(1490年)、室町幕府8代将軍の足利義政が祖父である足利義満の建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営したとされています。
銀閣寺を象徴する建物が銀閣と呼ばれる観音殿です。
さらに、方丈の前庭にある白砂の砂盛り向月台と、波紋を表現した銀沙灘も見所の一つです。
銀閣の前にある錦鏡池を中心に池泉回遊式庭園が広がっています。
この庭園は1952年に特別史跡、特別名勝にも指定されている景勝地です。
金閣寺の庭には松をはじめとする常緑樹が圧倒的に多いのに対し、銀閣寺の庭には桜、楓、躑躅、皐月、椿、燕子花等々数えきれない程の草花と西芳寺に負けない苔が生息して四季を彩ります。
銀閣寺の総門を出て参道を下り、銀閣寺橋を左に折れて「哲学の道」(写真の右側)を歩いて「南禅寺」を目指します。
哲学の道は熊野若王子神社前の若王子橋から始まり、琵琶湖疏水に沿って銀閣寺橋まで続く約2kmの散歩道で、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らした道です。
「南禅寺」に着いた頃には小雪が舞い始めました。
南禅寺は、数ある寺院の中でも最も格式が高く、別格扱いの寺院です。
歴史的な建造物や美しい庭園などが多く、京都を代表する観光スポットとなっています。
現在の三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したものであり、禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。
三門をくぐって法堂(はっとう)に進みます。
現在見られる法堂は明治42年(1909年)に立て替えられたものです。
堂内の天井には今尾景年の筆による「雲龍図」が描かれているということです。
堂の前の香炉にお参りの人が立てる線香の香が、手入れの行き届いた樹林の間にただよっています。
南禅寺の境内を抜けると、古代ローマの水道橋を思わせるような、重厚なレンガ造りのアーチ橋が木立の向こうに出現します。
「水路閣」は、この疏水事業の一環として施工された水路橋で、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つになっており、サスペンスドラマの大ファンである妻のお気に入りのスポットです。
また、ここから西500メートルにあるインクラインは、高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き、艇架台により舟を運ぶ施設で、当時の舟運による交通事情がよくうかがえます。
南禅寺を出て、三条通りから神宮道を南に進むと、左手に「青蓮院」が見えてきました。
天台宗の祖である最澄が比叡山に作った住坊のひとつ「青蓮坊」が青蓮院の起源とされています。
写真は門前に並ぶ楠の大木です。
親鸞聖人お手植えとされる5本の大木は、京都市の天然記念物に指定されています。
大正から昭和にかけて、活動写真の撮影場所として門前の構えが重宝され、この門前の厳めしさと気品が雰囲気に合い、各撮影所が「町奉行所」とか「薩摩屋敷」として多用したそうです。
青蓮院の南隣が浄土宗の総本山「知恩院」です。
知恩院は浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、徳川家康、秀忠、家光らの外護により現在の壮大な伽藍が形成されました。
知恩院の三門は三解脱門といい「空・無相・無作」の意味を持っており、1621年、徳川二代将軍、秀忠公の寄進によって建立された、我が国最大級の木造二重門です。