若草物語

妻と二人で愛車プリウスに乗って、あちこち出かけ、デジカメで撮った写真が中心のブログです。

わたらせ渓谷鐵道ドライブ

2010年03月25日 | ドライブ




振替休日の3月22日(月)妻と二人で「わたらせ渓谷鐵道」沿線をドライブしてきました。

「わたらせ渓谷鐵道」は旧国鉄足尾線で、群馬県の桐生駅から栃木県の間藤(まとう)駅までの44.1kmを結んでいます。

最初に愛車プリウスを止めて歩いたのが花輪(はなわ)駅です。

駅のすぐそばの旧花輪小学校は、明治6年5月に開校した歴史ある小学校です。

現在の木造校舎は、日本鋼管の創立者である今泉嘉一郎の寄付により建てられました。

平成13年11月に登録有形文化財の指定を受け、映画・テレビのロケなどで大変人気のある観光スポットとなっています。。









タイミング良く花輪駅に電車が到着しました。

わ89-201 愛称「くろび」という、わたらせ渓谷鐵道開業時に用意された軽快気動車です。








次に車を止めたのが神戸(ごうど)駅です。

神戸駅の名所は、元東武鉄道の特急DRC1720系を利用した、「レストラン清流」です。

ここの名物は舞茸ごはん定食で、けっこう美味しいという話です。








神戸駅からプリウスをさらに走らすと、草木湖(くさきこ)に到着です。

草木湖は昭和52年、渡良瀬川の上流に完成した草木ダムが形成する多目的利用の人造湖です。

緑の山々に包まれた風光明媚な湖畔には、ドライブイン・富弘美術館・国民宿舎(サンレーク草木)などがつくられ、観光地化が一層進んでいます。

平成17年には、「ダム湖百選」に選ばれました。








渓谷鐡道沿いに、沢入(そうり)・原向(はらむこう)を過ぎると、いよいよ足尾銅山に到着です。

通洞橋(つうどうばし)のたもとに「足尾銅山観光」がありました。









「足尾銅山観光」の駐車場に車を止めて、まずは昼食です。

家から持ってきたおにぎりを車内で頬ばりました。

う~~ん・・・外で食べると何でも美味しいですね(笑)

昼食後、観光トロッコに乗り込みました。









「足尾銅山観光」は1980年(昭和55年)、400年続いた銅山の閉山を機に、その内部を開放し、足尾銅山の再現をはかって始められた国内最大の坑内観光です。









この坑内観光を見学すると、足尾銅山の歴史や内容ばかりでなく鉱山のもつしくみをよく知ることができます。

薄暗い坑内は人形を使って、年代ごとに紹介されています。

人形とは思えないほどの迫力です。








「足尾銅山観光」の見学を終えてからは、足尾町を観光案内マップに従って車を走らせました。

わたらせ渓谷鐵道の「通洞駅」「足尾駅」を見て、「古河掛水(かけみず)倶楽部」へ行きました。

「古河掛水倶楽部」は約100年前に銅山の迎賓館として建設され、現在も古河機械金属㈱の福利厚生施設として現役で活躍しています。

このドライブでは一番見たかった所ですが残念ながら3月一杯は冬季休館日となっており中には入れませんでした。









わたらせ渓谷鐡道の終点「間藤(まとう)駅」を見て、「古河橋」へ。

明治17年に直利橋(なおりばし)製錬分工場が開設されたことに伴い、木造の直利橋が架設されました。

明治20年の松木の大火により焼失しましたが、明治23年に鉄製の橋に架け替えられ、このとき名称が「古河橋」になったそうです。

架橋以来、当時のまま現存する極めて貴重な道路用鉄橋です。

「古河橋」の向こうに、我がプリウスの勇姿が見えます。(笑)







「古河橋」より足尾銅山の製錬所跡を望みます。

銅の産出量の増加に対応するため、明治17年に直利橋製錬分工場として開設されました。

当時の先端技術を導入し、生産量が飛躍的に増加しましたが、同時に亜硫酸ガスの排出によって煙害問題も発生しました。

その後、煙害克服のための技術改良が続けられ、昭和31年に亜硫酸ガスの完全回収に成功したそうです。








プリウスは更に足を伸ばして「銅(あかがね)親水公園」へ。

この公園は足尾町北部にある足尾砂防ダムの下に“荒廃した山々に緑と潤いを取り戻そう”ということを目的として、国・県・町の共同事業により、平成8年に完成した公園です。

独特の荒廃裸地化された松木渓谷が眺められます。

う~ん・・・何か・・・考えさせられる景観でした。




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