たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『アンネの日記』より‐戦争の罪はだれにある

2024年06月27日 11時09分03秒 | 本あれこれ

「土曜日から食事時間を変えて、11時半に昼食を食べることにしました。しかも茶碗一杯のおかゆですませます。これで一食分節約になります。野菜はまだとても入手が困難です。今日の午後、腐ったようなレタスをゆでて食べました。野菜といえば、レタスとホウレン草しかありません。それに腐ったようなジャガイモを添えて食べます。とてもおいしい取り合わせです!

 あなたも想像できるでしょうが、わたしたちはときどき絶望的に、「戦争が何の役に立つのだろう?なぜ人間は仲よく、平和に暮らせないのだろう?この破壊は、いったい何のためだろう?」と、疑問をいだきます。

 この疑問はよくわかります。しかし、これまでのところ、だれもこれに対する満足な回答を思いつきません。そうです。人間は復興用に組み立て式の家を発明する一方において、どうして飛行機や戦車を大きくしようと努力するのでしょう。毎日、戦争のため何百万というお金を使いながら、どうして医療施設や、芸術家や、貧しい人のために使うお金が一文もないのでしょうか?

 世界には食物があまって、腐らしているところがあるのに、どうして餓死しなければならない人がいるのでしょう。人間はどうしてこんなに気違いじみているのでしょう。

 わたしは偉い人たちや、政治家や、資本家だけに戦争の罪があるとは思いません。いいえ、決してそうではありません。一般の人たちにも罪があります。さもなければ、世界の人々はとっくの昔に、立ち上がって革命を起こしたはずです! 人間には破壊と殺人の本能があります。そして人類が一人の例外もなく全部、大きな変化を経るまでは、戦争の絶え間はなく、建設され、つちかわれ、育てられたすべてのものが破壊され、ゆがめられ、人類はまた最初からすべてをやり直さなければならないでしょう。

 わたしは意気消沈することがよくありますが、決して絶望はしません。この隠れ家生活を恐ろしい冒険だと思いますが、同時に、ロマンチックでおもしろいとも考えています。日記の名kで、あらゆる不自由をおもしろいものとして扱っています。わたしはほかの女の子とは違った生活、そして大きくなったら、普通の家庭の主婦とは違った生活をしようと決心しています。わたしの出発点はとても興味に満ちていました。最も危険なときでも、そのユーモラスな面をみつけて笑うのは、全くそのためです。

 わたしはまだ若く、埋もれた素質をたくさんもっています。わたしは若く、健康で、大きな冒険の中に暮らしています。まだそのまっただ中にいるのですから、一日じゅう、不平ばかり言ってはいられません。わたしは快活な性質と強い性格をもっています。自分が精神的に成長していること、解放が近づいていること、自然はどんなに美しいかということ、周囲の人々がどんなに親切かということ、この冒険がどんなにおもしろいかということを、毎日感じています。それなら、なぜ絶望する必要があるでしょうか?」

(A・フランク 皆藤幸蔵訳『アンネの日記』1974年7月25日第1刷、1978年10月1日第11刷文春文庫、310~312頁より)


三好春樹『関係障害論』より‐「オムツになってしまったKさん」

2024年06月26日 13時22分13秒 | 本あれこれ

三好春樹『関係障害論』より‐「「専門家に相談」は正しいか」

「特別養護老人ホームの生活指導員を4年半ほどやっておりました。私のいた施設は、キリスト教系の非情に真面目な人を中心とした、今でもいいケアをやっているということで知られている施設なのです。それでも当時オムツを付けている人が半分くらいはいたと思います。だいたい病院からやってくる方は、みんなオムツです。病院で、専門家がいっぱいいるところでオムツを付けてきたわけですから、それ以上こちらで良くなるなんていうことは考えませんでした。ところが、どうも病院でオムツ付けられているのではないか、という気がしてならなくなってきました。

 こういうケースがありました。80代でしたが、ADLは全部自立しているKさんというおばあさんでした。広島大学からきている若いドクターが、いろいろと検査をやり、「この人は元気そうにみえるけど、ちゃんと精密検査を受けてもらったほうがいいよ」という指摘があったので、私が病院に連れていくことになりました。杖などは持っていますが、自立している人ですから、私の車の助手席に乗せて行くことにしました。近くの総合病院に電話したらベッドが空いていたので、段ボール箱2つくらいに、着替えとか洗面用具をもって、すぐ入院しました。

 4人部屋の一角でした。ベッドの高さが高いのです。でも検査入院で1週間だし、しかも元気な人なので、私は何も言わずに帰ったのです。ところが、その日の夜、彼女はオムツになってしまいました。昼間は病院に来ているということがわかっていたのですが、夜、目を覚ましてトイレに行こうと思って、いつもと同じつもりで足をベッドから降ろしたら、床に届かずにズルズルとすべって尻もちをついたのです。そこで看護婦さんがやってきて、骨折でもしたら大変だということで、オムツをして、トイレにいってはダメよということで、落ちないようにベッドの柵をガチャンガチャンと付けてしまったのです。

 1週間後、まだ出ていない結果もあるけれど、出ている分には異常はないので、迎えに来てくださいということでした。ですが、もう自分の車では行けません。24時間テレビでもらった車イスのまま乗れる大きなマークのついた車で連れて帰ることにしました。

(略)

 そういうことで、その車のリフトを使って車イスで連れて帰るということになりました。高齢という以外は、どこも障害はありません。にもかかわらず、1週間オムツを付けていますと、まず濡れているかどうかわかりません。帰ってきてすぐ寮母さんが、「いま、オムツ濡れている?」と聞いても、「わからない」というのです。もちろん尿意もありません。

 おかしな話です。でも、考えてみると、オムツでやってきた人はみんなそうです。誤解を恐れずに言うと、脳卒中なんていう障害があっても、脳卒中による片マヒは手足の感覚マヒであって、膀胱感覚がなくなるということは普通ではあり得ないことなんです。

 下半身マヒなら別です。下半身マヒにもいろいろあって、オムツがなくてもやっていける人はいっぱいいるのに、脳卒中だとか、骨折後遺症なんて、神経系統と何も関係ない疾患の人が、みんなオムツを付けてやってくるわけです。しかも、今みたいに尿意がないだけではなくて、皮膚感覚もないんです。お尻は鈍感で、会陰(えいん)部はすごく敏感なのですが、それが濡れているかどうかもわからなくなっているというケースは、いっぱいあります。

 あれは、どうしてでしょう。」

 

(三好春樹『関係障害論』1997年4月7日初版第1刷発行、2001年5月1日初版第6刷発行、㈱雲母書房、35-37頁より)

 

 

 


「保険証交付義務」の省令規定を削除しないで!厚労省要請2024年6月20日

2024年06月26日 01時15分36秒 | 気になるニュースあれこれ

パブリックコメントは5万件余り

 

2024年6月24日全国保険医団体連合

「保険証交付義務」の省令規定を削除しないで!厚労省要請2024年6月20日 (youtube.com)

【6.20厚労省要請】マイナ利用を強要するキャンペーンは中止を、「保険証交付義務」の省令規定を削除しないで 資料一式 https://hodanren.doc-net.or.jp/wp-con... https://hodanren.doc-net.or.jp/info/n...

保険証廃止 省令改正のパブコメに5万人超が提出 https://hodanren.doc-net.or.jp/info/n...

マイナ保険証利用促進 一時金倍増でトラブル倍増!! https://hodanren.doc-net.or.jp/info/n...


2014年9月を振り返る

2024年06月25日 17時08分44秒 | 祈り

「2014年9月20日(土)

昨日は自死遺族の会で自分のことを語ったぶり返しがけっこうきている。

母の病気、妹の死-受け入れられなくて自分をどうしたらいいのかわからなくて本当に苦しかった。母をみていてこの人から生まれた自分を好きになることができなかった。きつかったなあ、自分を責め続けてー。

子供が亡くなった第一発見者で「この子は私に最初にみつけてほしかったんだ」というお母さんの声をきかせていただいた。

私はMちゃんの現場をみていないが、姉としてはそれが背負いきれる限度だったんだと今さらながら気づいた。

母が発見した時にはヒモが切れて下に落ちていた。安達のおじさんに電話しておじさんとおばさんが駆けつけてくれてA生病院と警察がきてとそこまでは聞いている。

その光景をたびたび想像してしまうことがあるが、背すじが凍りつくのでそれ以上はやめようと思う。私が受け入れられるのはここまでだ。これ以上のことをきいてしまっていたらもっともっと私が大変で気も狂わんばかりになっていただろう。姉として受け入れていくには十分すぎる。背負い切れるのはここまでだったということだ。

母は病気だったし、父は話をきいてくれるような人ではなかったので、具体的な話が成立する関係ではなかった。だから父も母も私の苦しみは知らない。

終わってからS本さんがおっしゃられた。HPをリニューアルするので是非原稿を書いてほしい。親を亡くした人、子供を亡くした人の声はたくさんあるけれど兄弟姉妹で声を発信している人はほとんどいない。声を発信していてほしいとー。親は知らず知らずに子供を傷つけることを言っている。ここらへんに私のやるべきことがありそうだ。

私のやりたいことは書くことー。それでどうやってごはんを食べていくんだ。早くできるだけたくさん示談金ほしい。」

 

この後実際に手記を書き一定期間HPに掲載されていましたが、4年前郷里に馴染めず気がつけば人生の半分以上を暮らした地域に舞い戻ってきたのを機に削除していただきました。結局なにもできませんでした。

自分がわかっていなかっただけで生まれる前からの右足股関節脱臼に始まり、変形性膝関節症末期で終わろうとしている人生。股関節の痛みも足先の痛みも痺れもたしかに直接命に別条ありませんが歩くことができなくなったらどうなるのでしょう。ADLってやつが低下したらどうなるのでしょう。それはいつやってくるのでしょう。自力で歩けところまで生きるしかないと言い聞かせつつ、老いてきた見苦しい面をさらしつつ今のところまだなんとか生き永らえています。

 

 


椎名桔平が『未来少年コナン』のおじい役で現代に警鐘を鳴らす

2024年06月25日 14時32分28秒 | ミュージカル・舞台・映画

舞台『未来少年コナン』-2024年6月1日

 

 

椎名桔平が『未来少年コナン』のおじい役で現代に警鐘を鳴らす - インタビュー&レポート | ぴあ関西版WEB (pia.co.jp)

「「えっ、僕がおじい役? ついにきたかと思いましたよ(笑)」と話すのは椎名桔平。引き締まった体躯と精悍な顔つき。とても今年還暦とは思えない彼が、一人二役で出演する舞台『未来少年コナン』がいよいよ大阪で幕を開ける。

「名前の後にカッコして60歳と書かないでくださいよ(笑)、まだ59歳なんだから。若者みたいなこと言ってちゃいけないのかなと思いますが、肉体的にも精神的にもあまり変わっていないというのが現状」と言う。今回、宮崎駿が1978年に初監督を務めた名作アニメを、鬼才インバル・ピントによる演出・振付・美術で舞台化。椎名演じるおじいと二人きりで孤島で暮らす少年コナン(加藤清史郎)のもとに、謎の少女ラナ(影山優佳)が流れ着き、コナンの運命が動き出す冒険活劇だ。

オファーを受け、舞台でおじいさん役はやったことがないから、楽しいかもと思ったと話す。演じるのは、コナンの育ての親・おじいと、ラナの祖父・ラオ博士の二役だ。「おじいは人類の希望であるコナンを育て、一方、ラオ博士は、地球を崩壊させた原因でもあるエネルギーを開発した人。最近の映画『オッペンハイマー』にもあるように、最新の強力なエネルギーを悪用するのはいつの時代でもあって、何かが発達すれば何かが失われていく。その均衡が崩れてしまったというところからこの物語が始まるんです」。

おじいとラオ博士が伝えたいことは現代人への警鐘でもあり、メッセージでもあると力を込める。「もう近所の頑固なじいちゃんが子どもたちにあれこれ言わなくなってきた時代じゃないですか。タイトルに騙されたらダメだと思うんですよ。この作品は、大人の皆さんにこそ見てもらいたい。非常に意味の深い舞台になると思いますね」。

大阪で舞台に立つのは2018年の『レインマン』以来、6年振り。その『レインマン』では、映画版でダスティン・ホフマンが演じて世界的に知られたサヴァン症候群の役を、ホフマンに負けない名演技で観客を唸らせた。今回、役への向き合い方は違うのだろうか。「あの役は橋爪功さんもされて、お二人とも小柄なので、僕がやるとイメージが違う。施設を回ってサヴァン症候群の背の高い方を観察し、これは新しい人物像が作れると。だからケースバイケースですね。今回はインバルさんの視点や文化の違いからくる考え方が非常に刺激的で新鮮なんです。そこにいざなわれてディスカッションしながら役を深めたいと思います」。

今は映像の仕事が中心だが「舞台に立つことを忘れちゃいけない」と言う。芸歴38年。続けてこられたのは、「ほかに何にもできないし(笑)。演じることの喜びは色あせないんですよね」と少し照れくさそうに笑った。」

 


1998年宙組『エクスカリバー』『シトラスの風』プログラムより-宙組の皆さんへ

2024年06月25日 00時22分30秒 | 宝塚

「宙組の皆さんへ 阪田寛夫(作家)

 宙組はいいですね。

 たまに戸外に出て、それがいい天気の日だと、立ち止まって雲の行方を追いながら「ソラ組!」、空の青みに吸い込まれながら「チュー組!」と叫びたくなります。

 そんなことを思うのは私だけかも知れませんが、この組の名前が決まった頃から、私は第三回ヨーロッパ公演に出たチームのことを思い合わせるようになりました。ご承知の通りその公演は、昭和50年9月から翌年1月まで4カ月の永きにわたりました。広いロシアで3カ月、パリで1カ月、全部で110回の公演を空路や陸路で移動しながら続けたそうです。

 きびしい条件の中で、バレエやレビューの本場での公演に成功をおさめた専科二名、各組選抜四十数名の方々が、公演期間中か、帰国後にか、ともかくご自分たちのチームの愛称を「空組」と命名されたと聞いています。

 その名には遠く宝塚を離れた場所、やがて冬と共に白一色となる空間を、運命を一つにして溶け合わせて移動する、という感覚も含まれていたかも知れません。そして宙組の皆さんも、最初は各組から選ばれた四十数名による、香港公演の稽古から歩みが始まりました。それから組の名が決まり、香港へ出かけて公演を見事に成功させました。

 私は香港へ行けませんので、テレビでしっかり観せて頂きました。ロンドン公演にも出演した生徒さんが、あちらのお客さんは、髪の毛で現地の人か日本人かの区別がついたが、こんどは皆さんひとしく黒い髪で、地元の人の反応がつかみにくいのではないかとおっしゃっていました。海外公演が7回目の専科の松本悠里さんのように、

「香港は宝塚と同様、西洋と東洋が入り交っていますから、あちらの方が宝塚をどのようにご覧になるのかも興味深いです」(宝塚GRAPH)

 という積極的なご意見も頼もしく、結果としては大成功だったことは、中国人、英国人たちへの観劇後のインタビューでよくわかりました。(略)

 ヨーロッパ公演の「空組」は、バレエやレビューの故郷に、いわば恩返しをなさったのですが、香港へ行った宙組は、文字や音楽など、古代からもっと濃く深く日本へ文明をもたらした中国へのご恩返し、という感銘も持ちました。

 桜のボレロ、タップには、映像で1、2分間見ただけで血が躍りました。映像といえば、ほんの十秒ほどさしはさまれた、全員レオタード姿のラインダンスの足捌きを見たとき、このスタートダッシュに目をみはりました。お正月の口上も、映像ですから至近距離で拝見することができました。

「栄えある伝統に無限に広がる夢をのせて、先達四組に負けぬ宙組を目指す所存でございます」

 という姿月あさとさんのきっぱりとした言葉を聞いて、私は自分の仕事や日常について思わず深く反省しました。

 大正3(1914)年に開幕した宝塚の歴史をかえりみますと、5つの組が生まれた時は、それぞれ大きな、大切な節目に当たっていることが分かります。

 花組、月組が同時に生まれた大正10年7月の夏季公演から、それまで年4回、延べ170日足らずの公演だったのが、大体毎月の公演になりました。観客数がふえたからです。

 雪組の誕生は大正13年夏で、この時4千人が収容できるといわれた宝塚大劇場が完成しました。日本の自然美の象徴「雪月花」が、これで揃いました。

 星組は昭和8(1933)年7月の宝塚大劇場公演から出発しました。ご承知の通り翌年1月に東京宝塚劇場が竣工。定期的な東京公演の開始に、「星」の持つモダンな匂いが似合いました。

 そして宙組が飛び立ちました。

 私の親しい宝塚ファンの方々も、香港の流感のことをずいぶん心配しておられましたが、みんなの祈りが叶えられて、風邪もよせつけぬ大成功おめでとうございました。

 突然ですが、ここでまど・みとお氏の「どうしていつも」という詩を、宙組の名にちなんで引用させて頂こうと思います。まどさんは宇宙をふるさとと考え、地球という自然をこの上なく大切に思い、花や雪の詩もたくさん書いておられる詩人であります。

 

 太陽

 月

 星

 

 そして

 雨

 風

 虹

 やまびこ

 

 ああ 一ばん 古いものばかりが

 どうして いつも こんなに

 一ばん あたらしいのだろう

 

 東京通年公演再開の年、一ばん新しい宙組の皆さまの、これからのご活躍を期待しております。

 

 


第四章OLという存在-⑩ OLの女房的役割と主婦の類似性

2024年06月24日 12時36分54秒 | 卒業論文

 先に、日本の職場では男性の女性に対する依存度が高いことを記したが、ここでアンペイド・ワークという観点から、OLの職場における「女房的役割」と主婦の無償労働の類似性について検討してみたい。構造的には弱者であるはずの女性が実際の職場生活においては優位な立場にあるという男女の力関係は、タキエ・リブラが述べた家庭における妻と夫の力関係に似ている。日本の家庭における夫の妻に対する完璧なまでの依存は、妻に何がしかの力を行使する余地を与えている。妻の献身が夫にとって必要不可欠なものとなればなるほど、妻は夫に対し一定の力を行使しうることになるからである。女性に対する男性の依存度が高ければ高いほど女性は権力を行使することができるのだ。日本の主婦はたいてい生活費をまるごと管理している。夫の小遣いの額を決めるのも、へそくりの額を決めるのも家庭の経理部長であり、財務部長である妻が決定権を持っている。財布のヒモを握っている故に日本の主婦は地位が高い。さらに、日本では夫は身の回りの世話を妻に頼りきっていることが、家庭内で女性が持つ奇妙な力の源であるとタキエ・リブラは説明している。小笠原祐子が引用して述べているところによれば、日本の夫の「まるで子供のような妻への依存」、すなわち妻からの手助けなしにはやっていけない状況が、妻の力の行使を可能にしていると考えられる。妻に身の回りの世話をやかせているのはまさしく父権であるが、その結果成立するのは母権である。つまり、日本の家庭においては父権と母権が併存している。そして、外的構造を無視して家庭の中だけに注目すれば、日本の女性は男性よりも、またアメリカの女性よりも力が強いと言い得る。[i] 職場においても、OLはしばしばこのような奇妙な力を持つ「社内妻」になぞられる。それは、繰り返し記してきたOLの役割と仕事の内容の質によるのである。社会全般において、社会的労働・有償労働には普通計算されない家事、育児、介護、そして教育や環境保全にかかわる無償労働は圧倒的に女性のみによって担われている。同様に、職場においても社内妻になぞられるOLの仕事は、「職場の家事」が大きな役割を占めていると考えられる。日本では職場においても家庭においても、多くの女性が男性の身の回りの世話をし、また、女性に身の回りの世話を頼っている男性が存在するのである。だから、「OLを敵に回したら、サラリーマンは生きてゆけない」[ii]のである。

 第二章で、家事労働の意味づけについて女性の「愛情表現」であることを記しているが、ここでアンペイド・ワークという概念を用いながら、OLの「職場の家事労働」も含む「家事労働」は意味づけが困難で評価されにくいものであることを考えたい。アンペイド・ワークとは、日本では「無償労働」とも訳され、近代社会の賃労働成立の過程で賃労働に対して、賃金が支払われない労働を意味するものとして定義されるようになった。日本では、1997年に経済企画庁が初めて「家事の値段はいくら?」という試算を発表した。この試算は、正式には「無償労働の貨幣評価」と呼ばれ、賃金はもらっていないが、人間の生活に必要な労働が、社会の中にどの程度あるかをつかむためのものであった。[iii] いわば「見えざる労働」を見える形にしたという意味では、これは大変画期的なことであったといえる。アンペイド・ワークという概念は、目の前にあるにもかかわらず生産概念や経済学から体系的に無視されてきたような、たいへん多様な労働をそのまま把握するためにあみだされた実践的な概念だといえる。[iv] アンペイド・ワークに注目することは、「隠れていた労働」「見えない労働」を目にみえるものにし、女性の地位を上げることにある程度貢献するであろう。「主婦」の「家事労働」は、第二章でも少し触れているが、通常の統計では測定されてこなかったアンペイド・ワークである。専業主婦は、「三食昼寝つき」「夫に養ってもらう身分」「家庭で行っているのは消費活動」などと言われて、あたかも生産労働に従事していないかのようにみなされてきた。

 「主婦」が誕生したのは、第二章で見たとおり、欧米では産業革命後である。家族が共同で農作業や工業生産に従事する体制に代わって、企業による大規模生産が一般化する。賃労働成立と共に近代家族の機能が消費と子育てとに縮小していく過程で近代的性別役割分業が成立していき、「主婦」が誕生した。当時台頭してきた市民階級は、女性の本質によって女性の役割を、男性の賃労働と対比させて家事労働に固定した。女性の「美しいふるまい」としての家事労働は、女性の本性からただちに生じるものとみなされるようになったのである。B・ドゥーデンは、18世紀にドイツで発表された『女性の性格描写試論』という一文を当時の知識人たちが描く理想の女性像として紹介している。少し長くなるがここに引用してみたい。

「われわれは自分たちの目を、愛すべき対象、善良で家庭的で高貴な女性、つまり、子供たちの楽しい集まりとともにあり、母としての美しい役割を果たし、夫との仲睦まじい交わりの仲に見出される女性に向けてみよう。そして、それなしにはわれわれのもっとも効果的で長続きのする善き事を目指す動機がしばしば失われることになるであろう、そういう一つの性に対して、ここで内面的な敬意を払うことを学ぼう。われわれの周囲、社会的な生活集団において、やさしく善良で啓発的な一家の母のイメージほどに、心を惹きつける、思いやりのある、教訓的で高貴な人間像はありえない、ということを私は強く主張したい。諸君の目が、この愛に満ちた品位のある家族の女神につき従ってゆくところ、いずこにおいても、諸君は作為や故意といったあらゆる無駄を経験することなしに、家庭的秩序、家庭的質朴、家庭的調和、そして、穏やかであるがそれだけにいっそう愉快で無邪気な生活の楽しさを見つけ出すだろう。母および夫人としての家事執政官としてのその美しいふるまいのすべては、彼女をとりまく人々に快活さと愛を幅広くもたらしている。・・・貞淑さと穏やかさが彼女の行為ひとつひとつを特徴づけている。・・・愛情のこもった抱擁の中でも、あるいは夫や子供たちの機嫌が嵐のように荒れ狂っていても、高貴な女性の心と言葉は貞淑さと穏やかさを見失うことがない。」[v]

「家事」は本当に「女の本質」によって根拠づけられるものなのか。ここで、アン・オークレーの『家事の社会学』を参照しながら、「家事」について少し考察してみたい。「家事」とは、大半の女性が生活の中で日常茶飯にする経験であり、特に誰かがほめてくれる性質のものではない。何をいつやるのかある程度自分の思い通りに決めることができるので「自分自身が快適であるように」[vi]と心がければ、いくらでも快適にすることができる、そういう意味で自律性をもつ。しかし、同時に自分自身が主であるということは、自分が確認義務を負わなければならないので心理的な圧力を感じてしまう、管理されているわけではないが、自分自身の活動を選ぶほどには自由ではない、という点で他律的であると言える。家事は同じ行為の繰り返しを限りなく要求される「きりがない女の仕事」なのである。目には見えない非建設的な性格を持つ家事は、取るに足らないものというステレオタイプ的な考え方は主婦自身にも内面化され、「単なる」とか「ただの」主婦といった、他のどんな職業よりも劣っているものだという暗示を含んだ言い方をする。単調で繰り返しの多い労働は、多様なものに比べ、仕事に対する不満と結びつきやすい。主婦自身が家事に向ける不満は、それが本質的に単調で反復的だということにある。家事にはさまざまな仕事があるが、絶えず繰り返されなければならず、本質的な意味が捜せず、しかも達成したという感じが一時的である。明けても暮れても同じ決まりきった仕事を機械的にこなす完璧な主婦ほど、「自動的」なものはない。家事の単調さは、それをやりがいのない仕事にかえてしまう。全体的な注意力など必要でなく、ひたすら、些細なことに神経を使うために何か他のことに集中するのは無理なのである。このように単調さと細切れは密接につながる。そして、毎日、果てしなく続く仕事をこなしながら、いつもやることがいっぱいあるという思いにつきまとわれるのだ。また、家事はあまりにも細切れなので、今やっている仕事のことを考えていると報告する主婦はほとんどいない。さまざまな技能が必要だが、完全な精神的集中力はいらない。家事が多種多様な仕事の寄せ集めであるために、主婦の注意力はあちこちに分散する。さらに、自分ではどうすることもできない時間的束縛を他の種類の仕事に比べより強く感じてしまう。要約すれば、単調、細切れ、及び時間的な束縛は、家事について主婦が共通に感じていることだということになる。[vii] このような家事労働について、主婦は自分自身で仕事の定義を見つけ管理しなければならない。

 有償労働の中に隠された「すきま業務」、多くの場合OLに割り振られる、労働として評価されない「職場の家事」もアンペイド・ワークに含まれる。OLの職場での役割と先に記した主婦の家事労働とは、毎日同じことの繰り返しで単調、こまぎれ、オーバーペースであるという点できわめて似通った性質をもつのである。女性は職場でも、ファックス・メールやテレックスの確認・仕分け・配布業務、ごみ捨て、来客へのお茶・コーヒー出し、洗い物をする、ポットにお茶を入れる、給湯場清掃、会議の準備・後片付け、書類のファイル及び保管、企業内外の書類運び、郵便物の回収と仕分け、電話取り、電気つけ、庶務(切符・慶弔・その他の手配)、取引先へのお土産をととのえる、コピー機やファックスの紙詰まりを直すなど、一般事務と一口に言っても、OLが毎日実際に行っている仕事は、このようにマニュアル化されない不定期な他人の世話という部分が多くを占めている。その仕事内容はあまりにも切れ切れで細々としているため、やっている女性自身も自分の仕事であるという感覚を持つことが難しい。自分では管理することのできない要因による制約があるため、受身的にならざるを得ない。頼まれ仕事を引き受けるのは、OLにとって仕事というよりは男性のためにしてあげる「サービス」である。しかし、日本の男性は、女性が責任範囲外の仕事を頼まれても嫌とはいえないと思い込んでいる。だから、正規外の仕事を女性にやらせることはあっても、同僚の男性に頼もうとはしない[viii]。女性は受身的であるという性のステレオタイプが暗黙のうちに受け入れられてしまっているのだ。男たちは、占有する「高度な仕事」、「世界を相手にする」ビジネス、「会社の命運を賭けた」プロジェクトなどに集中したいと考える。その集中を妨げられないように周辺の、前後処理の「職場の家事」を女たちにまかせている。本務以外の雑用が女性というだけで押し付けられる。女性に求められているのは、男性が雑念を持たず「大切な仕事」を気持ちよくできるような環境を整えることである。「女性の特質」だと企業社会を体現する男性が考え、性別職務分離を正当化している、ソフトな対応、思いやり、ケアに適した性格などを仕事に生かして男性を補佐することをOLは求められている。仕事のスキル以上に、対人コミュニケーション能力が必要とされるOLの役割は、「主婦」という性役割と同じ性質をもつのである。「家事って炊事や育児とかの一つ一つのことじゃないのよ。家族が次々持ち込むごたごたの総和なのよ」(竹信三恵子「連載・家事神話」『WE』1999-2000年) [ix]という主婦の発言があるが、雑用係としてのOLの仕事にも、このような性格がまとわりつくのである。一人で複数の男性をサポートすることが多い日本の職場では、OLはしばしば「母」と表現されることもある。OLに求められるのは、先に述べられているような母性豊かな穏やかさ、人と調和していく能力であり、いつも笑顔を絶やさないでいてくれることを職場の男性は望んでいる。このような性格の仕事にはふつう「おじさん」はまぬかれているしんどさが伴う。一つ一つの事と事との間に横たわるそのしんどさは、言葉では非常に言い表しにくいものであり、評価の対象にもならない。従来、労働市場において、「男の仕事」・上位職務を特徴づける要素としての知識、「問題解決能力」、人事・財務の「統括責任」などが高く評価されるのに対して、「女の仕事」・下位職務にまとわりついている要素は軽視または無視されてきた。「女の仕事」の労苦は「男の仕事」の知識に比べて極めて市場価値が低い。誰かがやらなければならない「すきま業務」は、「女の仕事」であることを理由に労働市場において過少評価されてきたのである。  

 男性からみればOLは些細なことに、不当に、しかも脈絡なく腹を立てるように感じられる。小笠原祐子は、女性の気まぐれな性格を警戒する代表的意見として、ある研究所勤務の男性の次のような言葉を紹介している。「女性って、つまんないことで、文句言うところがあるでしょう。電話を取るのが遅いとか、後片付けがしっかりできていないとか。仕事がたいへんだ、あの上司は詰まんない仕事を押しつけるとか、陰で文句を言う。女性がかたまると、つまんないことでも大きなことになってしまう。陰口とか広まってしまう。要は些細なことでそうなっちゃう・・・。男も悪口をいったりはするけど、些細なことでそんな騒ぎにはならない。ほんの些細なことで女の子に文句を言われたと、よく同僚とか後輩の男がこぼしている」[x] 電話を取るとか後片付けをするとかは、それらを仕事としてカウントしていない男性から見ればつまらないことであるだろう。しかし、そうした「見えざる労働」を要求されるOLから見れば、決してつまらないことではないのである。下位に位置する単純・補助労働も日本経済に不可欠の営みである。実際にOLなしでは、どこに書類がファイルしてあるのかわからなかったり、コピー機の紙詰まりを直せなかったり、出張旅費の払い戻し方法がわからなかったりする男性が多い。難しい商談を成立させても、女性が必要書類をそろえ事務手続きを滞りなく行わなければその商談は正式には成立しないのである。にもかかわらず、「すきま業務」は、ほとんど仕事としては評価されていない。ある女性が先に記したような雑業の時間を計測すると一日一時間以上となった。この分だけ労働時間を短縮すれば13%の賃上げと同じ効果がある。 (『朝日新聞』97年3月22日、ペイ・エクティ研究会[97])。[xi] 

「労働」はそれをする個人にとって、決して単一な定義ではおさまらないし、また、共有的な意味ももちにくい。つまり、労働の意味は、職種の数だけ存在するとも言えるのだ。[xii]雑用係のOLが仕事として評価されない周縁労働にやりがいを見出すことはむずかしい。仕事の内容が自分の仕事というよりは頼まれた男性へのサービスとなれば、OLは仕事のどこにやりがいを求めるのか。OLがやりがいを感じる余地があるとしたら、「女らしい」ふるまいと、主婦という性役割に固定された「家事労働」との同一化が、女性自身に知らず知らずのうちに内面化されていることが考えられる。どんなことでも義務でするのと、何の制約もなくするのとでは気分が違ってくる。OLとて「やっぱり女の子だから、周りの人にかわいく思われたいとかやさしく思われたいとか、いい人に思われたい」[xiii]という気持ちがあるので、積極的に性別役割を認識して、自ら「女らしさ」を再確認しようとする方向へと導かれる。どうせやらなければならない仕事なのだから、OLは自ら仕事の定義づけを行い、「かわいい女」「やさしい女」を統合して、パーソナリティの機能として展開していく。その結果が、ジェンダーの落とし穴の項で紹介したような、例えば好きな男性のフォローは積極的に行い、逆に嫌いな男性に対しては言われた以上のことはしない、というようなことをもたらす。好きな男性のためにしてあげる「サービス」としての労働の対価は、ねぎらいの言葉や出張に行けばおみやげを買ってきてくれるなど、女性の仕事に対する感謝の念を表してくれることである。

 近年きかれるようになった成果本位という名の能力主義はまたこれまで有償だった労働の無償化を促す要素をはらんでいる。日本型企業社会では多くの場合、それぞれの行っている職務を洗い出して確定し、その仕事に賃金をつけるということは行われてこなかった。このままで「能力」や「成果」を問われたら、「認められない仕事」を担わされた人は、いくら働いても賃金は上がらないことになってしまうのである。1997年、東京のある女性の契約社員が、春闘に臨んで「仕事」を正確に評価してもらおうと、自分が職場で果たしていることの全てをリストアップしてみた。朝の机の拭き掃除、新聞・郵便の回収、コーヒー入れ、電話取りなど、男性が「仕事」としてカウントしていない「すきま業務」を書き出してみると数十にものぼり、しかも、これに、就業時間のかなりの部分をとられていることがわかった。この指摘は重要なものを含んでいる。一日何時間職場にいれば、いくら、という計算方法をやめ、「能力」や「成果」で大きく格差をつけるなら、「職場の家事」とも言える見えない仕事をカウントしないと、これらはみなアンペイド・ワークにされてしまう。日本の職場では「能力」や「成果」を公正に評価する方法を持たないのに対し、欧米のオフィスでは、しばしば「ジョブディスクリプション」(職務の記述)として、仕事の項目を書き出して労使で合意のうえ、仕事の確定を行う。ここで合意した仕事内容について、評価の対象にするのである。日本の職場で、その職務についてのどんな「成果」を評価の対象にするのかはっきりさせず、「長時間職場にいる社員は勤勉」との従来の評価を据え置いたまま、印象による「能力給」部分を厚くすれば、当然残業が増える。さらにその構造を変えずに裁量労働を拡大すれば、サービス残業はこれまで以上に増え続け、家庭でのアンペイド・ワークの時間は一段と失われていくのである。見えない仕事も洗い出し、職務を確定した上での能力評価が不可欠である。[xiv]「女の仕事」の市場価値は低い。今「男の仕事」と「女の仕事」の現実の賃金格差を100対60としよう。しかしそれぞれの仕事に求められる技能・知識・精神的及び肉体的な労苦、責任などを公平に秤量してみれば、両者の「職務価値」の差はあるいは100対80、あるいは100対100になるかもしれない。「女の仕事」に特徴的に求められる文化的・人間関係的な熟練、細部に気配りする責任、ストレスに耐える力など「見えざる労働」を評価させる営みも見直されるべきであろう。[xv] OLの仕事の内容の豊富化と公平な評価が今求められている。OLの見えない仕事も洗い出し、職務を確定した上での能力評価が不可欠である。

 

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引用文献

[i] 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』26頁、中公新書、1998年。

[ii] 唯川恵『OL10年やりました』133頁、集英社文庫、1996年(原著は1990年刊)。

[iii] 久場嬉子・竹信三恵子『「家事の値段」とは何か』2頁、岩波書店、1999年。

[iv] 川崎賢子・中村陽一『アンペイド・ワークとは何か』20頁、藤原書店、2000年。

[v] B・ドゥーデン・C・ヴェールホーフ著、丸山真人『家事労働と資本主義』1-2頁、岩波現代選書、1986年。

[vi] 栗原はるみ『貯金の話題 315号』郵便貯金振興会、2001年4月1日。

[vii] アン・オークレー著、佐藤和枝・渡辺潤訳『家事の社会学』91-100頁、松籟社、1980年。

[viii] トレーシー・ワイレン/中川雄一訳「アメリカ女性が日本人と仕事をする心得」内橋克人・奥村宏・佐高信編『日本型経営と国際社会』199頁、1994年、岩波書店。

[ix] 熊沢誠『女性労働と企業社会』211頁、岩波新書、2000年。

[x] 小笠原、前掲書、65頁。

[xi] 伊田広行『21世紀労働論-規制緩和へのジェンダー的対抗』142頁、青木書店、1998年。

[xii] アン・オークレー、前掲書、113頁。

[xiii] 小笠原、前掲書、128頁。

[xiv] 久場嬉子・竹信三恵子、前掲書、53-54頁。

[xv] 熊沢誠、前掲書、205-206頁、210-211頁。

 


熊本県が「農業用水をTSMCに提供」

2024年06月24日 01時25分59秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの石原達郎さん: 「全国でも異例 「農業用水をTSMCに提供」 熊本の水本当に大丈夫なのか!? https://t.co/D1DrU1rafz」 / X


パブリックコメントは5万件余り

2024年06月23日 16時35分10秒 | 気になるニュースあれこれ

マイナ保険証ゴリ押しの政府に待った!医師・弁護士300人が反対集会!トラブル続きのマイナ保険証をなぜゴリ押しするのか!パブコメ募集中!

 

 6月22日締切のパブリックコメント、23時6分時点で50,598件目でした。6月7日の13時9分時点では2,781件だったので啓蒙活動により一定数の方が関心を寄せてコメントを送ったことになります。

 そもそも任意のはずのマイナンバーカード、当初は使用範囲も限定的だったのに次から次へと紐づけして無理矢理健康保険証と一体化、誰も困っていない現行の健康保険証とマイナ保険証とで点数に差をつけて、マイナ保険証をすすめる医療機関と薬局にはご褒美を出し、さらにマイナ保険証の導入を拒否した医療機関を保険診療から外させる?という河野デジタル担当大臣と岸田政権の暴挙。このおかしな方向性にどうしたらブレーキをかけることができるのでしょうか。この国はすでにドボン、滅亡まっしぐら。

 

受付番号: 495240032000050598
提出日時: 2024年6月22日23時6分

案件番号: 495240032
案件名:行政手続における特定の個人を識別するための番号の
利用等に関する法律等の一部を改正する法律の一部の
施行に伴う厚生労働省関係省令の整備に関する省令案
(仮称)に関する御意見の募集について


所管省庁・部局名等:厚生労働省保険局国民健康保険課

 電話:03−5253−1111

 


松本侑子著-断頭台に散った女王メアリ~スコットランドの風土と魔法をたどる旅~

2024年06月23日 11時09分54秒 | 本あれこれ

イギリスへの旅の思い出-エジンバラ2日目

イギリスへの旅の思い出-エジンバラ

 

 2024年6月21日(金)東京宝塚劇場で月組を無事に観劇。『Eternal Voice消え残る想い』がレディ・ベス(のちのエリザベス1世)に処刑されたスコットランド女王メアリ・スチュアートの首飾りをモチーフとした物語だったので復習。映像もとても綺麗で、1992年に訪れたロンドンとスコットランドの丘がおぼろげに思い出されました。

赤毛のアンのセミナーでいただいた資料より全文引用させていただきます。

 

「連載エッセイ「読む旅vol.4

断頭台に散った女王メアリ

~スコットランドの風土と魔法をたどる旅~松本侑子

 

🌸『赤毛のアン』に登場する女王メアリの詩

 スコットランド女王メアリを、ご存じだろうか。私は以前はよく知らなかったが、『赤毛のアン』の翻訳をきっかけに興味をもった。『アン』の主人公案は、スコットランド系カナダ人で、メアリの悲劇を描いた詩を唱える。そこから興味をもって、英国貴族レディ・アントニア・フレイザー著『スコットランド女王メアリ』(中公文庫)を読んだ。本を持ってスコットランドに行き、メアリの生涯の土地を訪ねてまわった。

 

🌸生後6日めに父と死別、16歳でフランス王妃に

 メアリは1542年、スコットランド王の娘として生まれた。当時のスコットランドは、イングランドとは別々の国で、両国は戦争中だった。メアリが生まれた6日後、父は、戦況悪化の心労で逝去する。

 国内には、王と敵対する反乱貴族もいた。いずれは女王となるメアリの身を案じた母は、娘をフランスに送る。というのも母は、フランス貴族の出身だったのだ。

 メアリは5歳で母と離れ、フランスへ。私は、メアリが母と永遠に分かれたグラスゴー近く、ダンバートンの山城に登り、メアリが船出した海を見下ろした。冷たい海風に吹かれながら、幼くして親元を離れて外国へ行くメアリの寂しい心境を想像したものだ。

 フランスで、メアリは美しく育ち、15歳で皇太子と結婚、16歳でフランス王妃となる。ところが夫が亡くなり、18歳のメアリは、スコットランド女王として祖国へ帰る。

 

🌸メアリとエリザベス、波乱に満ちた2人の女王

 その頃、スコットランドの隣国イングランドは、エリザベス女王1世が治めていた。

 エリザベス女王と言えば、スペインの無敵艦隊を破って英国を発展させ、劇作家シェイクスピアが活躍した時代を作った名君として有名だ。

 そのエリザベスにむかって、生意気にも、19歳のメアリは、自分こそが正当なイングランド王だと主張した。王家の血筋を見ると、メアリの要求に不思議はないが、いずれにしても、血のつながった2人の女王の亀裂が深まり、結局メアリは自分の死期を早めることになる。

 さらに時代は宗教革命。スコットランドでも新教プロテスタントが力を伸ばし、少数派となった旧教のメアリは、力が弱かった。

 そんな折り、イングランド王の血をひくダーンリー卿と出逢い、若いメアリは救いを求めるように結婚。だが夫は酒と女にだらしなく、しかもメアリの王位を狙っていた。夫に裏切られた身重のメアリは、堅牢なエディンバラ城にこもり、一人で息子を出産する。

🌸古都エジンバラに残されるメアリの面影

 古都エジンバラには、20代のメアリが夫と暮らした宮殿、出産したお城がある。彼女の毛髪、日用品、丁寧な刺繍、肖像画があり、メアリの人となりを思い浮かべて見学した。

 メアリの生涯は波瀾万丈で簡単には語れないが、結局は、スコットランド国内で、貴族との戦いに負け、イングランドに逃げていく。

 祖国スコットランドを離れる最後の夜を過ごした最後の夜を過ごした僧院は、エジンバラから遠く離れた辺境の村。500年たったいmは、廃墟になっていたが、保存公開されていた。遠くから海鳴りが響く寂しい所だった。次の日隣国イングランドに入ったメアリは、すぐに捕まり、19年間幽閉され、44歳の時、処刑された。

 

🌸ケルトの魔法に包まれた魅力あふれるスコットランド

 スコットランドは、しばしば冷たい時雨がふり、夏でもホテルやバスに暖房が入るほど寒い。木も育たない荒れ地、灰色の湖と海が広がる。けれど冷たく澄んだ空気や、バッグパイプの不思議な音色、スコットランドなまりの言葉に、ケルト族の魅力が、魔法のように溶けているのだ。

 帰国したある日、英国ペンクラブ元副会長が来日され、お会いした。驚いたことにメアリの評伝作者、フレイザー女史の妹さんだった。メアリの直筆手紙も研究した作家の身内からお話を聞いて、はるか昔に生きたメアリとの距離が少しだけ縮まった気がした。」