お正月の『ハプスブルク展』以来の上野に、日常生活として出かけてきました。国立西洋美術館で6月18日から開催されている『ロンドン・ナショナルギャラリー展』、本来は3月3日から6月14日までの開催予定でした。夕方からの時間指定は慌ただしくて時間が足りませんでした。もう少しゆっくりみたかったという思いが残りましたが、コロナ禍の中、こうして会期を変更して開催され訪れることができたのは幸いです。全61点日本初公開、よく飛行機にのって貴重な絵画がこんなグダグダな日本にはるばるやってきてくれました。この世にいる間にまたロンドンを訪れることはないと思うので本当にありがたいことです。時間が少ないから借りるのやめようと思っていたイヤホンガイド、ゆん(古川雄大さん)の名前と写真をみて思わず借りてしまいました。声の印象が舞台とは違っていました。

ゆんの隣の絵はルノワールの『劇場にて(初めてのお出かけ)』、
ピエール=オーギュスト・ルノワール
劇場にて(初めてのお出かけ)
1876‐77年
油彩/カンヴァス
「絵は楽しいものでなければならない」と78才で亡くなる晩年まで生命力あふれるを描き続けたルノワールの、初めて劇場に出かけた少女のウキウキ、ワクワク、ドキドキした様子が伝わってくる絵でした。奥の観客はぼかして少女の表情をクローズアップしています。

ルノワールの他に、大好きなモネの、夏の昼下がり、緑あふれ光ふりそぞく「睡蓮の池」、このフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」、34才のレンブラントの自画像、ボッティチェリ、最近2015年『ルーヴル美術館展』で振り返ったばかりのムリョーリョ、ベラスケスなど、何度も絵画展に足を運んでいるうちにお馴染みになってきた画家たちに会うことができました。

チラシや看板に大きく使われているのはゴッホの「ひまわり」でした。間近でみると絵の具のでこぼこがわかりました。いちばん最後のコーナーにあり、ゴーガンとのエピソードなどゆっくり読みたかったですが時間切れでした。セザンヌの絵も時間切れ、10月18日までやっているのでもう一回いくこともでるかな・・・。




館内は階段で移動が基本ですが、入口でエスカレーターに乗りますか?と声をかけられたのは、足が悪いように見えてしまったのかな、ありがたいことですがちょっとショック。一年半余りのほとんど歩かなかった田舎生活から、がんがん歩く生活に急に戻り、朝から石の階段や急な坂を歩いていた自分が、あれほど毎日歩いていた自分が歩けなくなってしまっています。訪問の仕事、きびしい。先延ばしにしていたらこうして戻ってくることも田舎生活を送ることもできなくて再起不能になっていたかも。馴染むことのできなかった田舎生活の疲れに引っ越し疲れもあるから今は仕方ない。不安と焦りがありますが、まだ間に合うと信じてひとつひとつやれることからと思います。
お正月は工事をしていた上野駅、すっかりきれいに様変わりしていました。広いですね、駅の中だけでも歩く、歩く。近くにはパンダ橋なるものが整備されていて、橋には仕事帰りの男性がいっぱい休んでいました。上野動物園も事前に券を購入してからの入場。コロナとの共生、なかなかに慣れませんがこうして動いていること自体が奇跡、働いてくれている方々に感謝ですね。自分も「あなたを待っている人たちがいる」との相談員さんの言葉を信じて・・・。

ゆんの隣の絵はルノワールの『劇場にて(初めてのお出かけ)』、
ピエール=オーギュスト・ルノワール
劇場にて(初めてのお出かけ)
1876‐77年
油彩/カンヴァス
「絵は楽しいものでなければならない」と78才で亡くなる晩年まで生命力あふれるを描き続けたルノワールの、初めて劇場に出かけた少女のウキウキ、ワクワク、ドキドキした様子が伝わってくる絵でした。奥の観客はぼかして少女の表情をクローズアップしています。

ルノワールの他に、大好きなモネの、夏の昼下がり、緑あふれ光ふりそぞく「睡蓮の池」、このフェルメールの「ヴァージナルの前に座る若い女性」、34才のレンブラントの自画像、ボッティチェリ、最近2015年『ルーヴル美術館展』で振り返ったばかりのムリョーリョ、ベラスケスなど、何度も絵画展に足を運んでいるうちにお馴染みになってきた画家たちに会うことができました。

チラシや看板に大きく使われているのはゴッホの「ひまわり」でした。間近でみると絵の具のでこぼこがわかりました。いちばん最後のコーナーにあり、ゴーガンとのエピソードなどゆっくり読みたかったですが時間切れでした。セザンヌの絵も時間切れ、10月18日までやっているのでもう一回いくこともでるかな・・・。




館内は階段で移動が基本ですが、入口でエスカレーターに乗りますか?と声をかけられたのは、足が悪いように見えてしまったのかな、ありがたいことですがちょっとショック。一年半余りのほとんど歩かなかった田舎生活から、がんがん歩く生活に急に戻り、朝から石の階段や急な坂を歩いていた自分が、あれほど毎日歩いていた自分が歩けなくなってしまっています。訪問の仕事、きびしい。先延ばしにしていたらこうして戻ってくることも田舎生活を送ることもできなくて再起不能になっていたかも。馴染むことのできなかった田舎生活の疲れに引っ越し疲れもあるから今は仕方ない。不安と焦りがありますが、まだ間に合うと信じてひとつひとつやれることからと思います。
お正月は工事をしていた上野駅、すっかりきれいに様変わりしていました。広いですね、駅の中だけでも歩く、歩く。近くにはパンダ橋なるものが整備されていて、橋には仕事帰りの男性がいっぱい休んでいました。上野動物園も事前に券を購入してからの入場。コロナとの共生、なかなかに慣れませんがこうして動いていること自体が奇跡、働いてくれている方々に感謝ですね。自分も「あなたを待っている人たちがいる」との相談員さんの言葉を信じて・・・。