たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

雪組『凱旋門』より-「いのち」

2022年09月13日 12時43分02秒 | 宝塚
「いのち

   作詞/謝珠栄、柴田侑宏 作曲/寺田瀧雄

  果たしなく続く 戦いの道に

  怯え 震え 泣く 愛しい命よ

  傷つけられて 流す血の涙

  微笑み 忘れた 切ない命よ

  届かぬ叫び やり切れぬ思い

  それでも 光 求め

  密かな望み 自由を信じて 信じて 人は生きる

  青ざめた心 襲いくる不安

  言葉も隠した 虚ろな命よ

  それでも今は 明日を信じて

  信じて人は 生きる」










旅の思い出写真_凱旋門
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/35492199ed313cdb075d4db76ba430ea


旅の思い出写真_凱旋門(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e545bcdc82d634e08b28b1a806745390

宝塚歌劇の殿堂より_雪組『凱旋門』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bd8617c24dfd72e67c1abeff97e20343

雪組『凱旋門』_思い出し日記
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/463427fa262a1b5708ab5e99125dee3b

2000年雪組『凱旋門』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/84759eb8a1ec3ac0dc9bd9b69189db24

久しぶりの雪組『凱旋門』『Gato Bonito!!』_東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9f34944e0e4d8f3c7d99eae1a6641649

『ラ・プラタの博物学者』第21章より

2022年09月13日 00時12分04秒 | 本あれこれ
『ラ・プラタの博物学者』第1章より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3f6659e4405acee2d6a3b787959e6756







「パタゴニアの南の果てにファナコの死に場所、すなわちそのあたりにいるすべてのファナコが、死が近づくと、そこに遺骨を横たえに行く場所がある、というのは有名な事実である。ダーウィンとフィツロイ館長が彼らの手記の中に初めてこの不思議な本能を記録し、その後彼らの観察が他の人たちによって完全に確かめられた。この死に場所あるいは埋葬地の最も有名なものは、サンタ・クルス、ガエゴス両河の流域にあって、そこは渓谷が、藪といじけた矮(わい)小の木が密生する太古の茂みで埋められていて、そこの地面は無数の年代のファナコの骨でおおわれている。「ファナコは大部分死ぬ直前に藪の中にはいこんだものにちがいない」と、ダーウィンはいっている。その習性からいうと顕著な群生動物であり、一生を開けた不毛の高原や山腹で送る動物としては不思議な本能ではないか!画家にとっては何というすばらしい題材であろう! 一千年の間、その根もとの石の多い地面を白くしている獣骨に養われた、年経る葉の少ないグロテスクな矮(わい)小ないばらの灰色の荒野。沈みかかった太陽の光線に照らし出された、うそ寒い灰色の音もなく動くものもない密林の内部-ファナコのゴルゴタ(墓地)。はかりしれぬ茫漠たる過去につながる幾世紀もの長い間、山や平原から数知れぬファナコが激しい死苦を味わうためにここへ来たので、そのすべてのファナコの苦しみの幾分かが、この悲しみをこめた寂然たる自然の中にしみこんでいるように思われる。そこへ最近の巡礼者である一頭のファナコが来る。密生する茂みにはいこもうとする努力でわずかに残る力を使いつくし、黄昏の光の中で見る姿は見るからに老いさらばえ、長い毛を乱し、臨終でかすむおちくぼんだ眼で暗い密林の中を見つめている。このような場面、神秘で非情な自然の悲劇の感じをよくとらえて、それをカンバスに描いてわたしたちに見せることのできるような画家が一人英国にいるー「放蕩息子」と「仔を護(まも)る雌のライオン」を描いた画家J・M・スウォンである。

 ファナコの死に場所と本能との記述に、ダーウィンは次のごとく付け加えている。「わたしはこの理由を全く理解することができない。しかし、わたしは、サンタ・クルス河の地方では傷ついたファナコの死に場所が必ずその河の方へ歩いて行ったということはできる」。

 いかなる本能でもそれをまったく独自なものときめてしまうのは確かに軽率だろう。しかし、アジアのゾウに関する疑わしい報告-これは『アラビアンナイト』の中の船乗りシンドバッドがゾウの墓地を発見した話に由来しているのかもしれない-を除くと、他の動物にファナコのそれに類する本能があるということは聞いたことがない。わたしの知る限りでは、この本能は動物界で唯一のもので、他の動物の行動でこれに類似するもの、またはこれへの類似を暗示するものはなにもない。しかし、これに人の心が惹かれるものは主としてその珍しさのためである。事実それは人間より下級な動物の一つが持つ本能というより、むしろ、死の知識を持ち死後の存在を信ずる人間の迷信的な儀式のように思われる。すなわち、その昔、解放された霊魂がその来世の住み家に達するには、死んだとき、必ずその種族あるいは家族の古い死に場所から出発し、生ける者の眼には見えない踏みならされた太古の道を、西か空か地下へ向って進まねばならぬという考えを抱いていたある種族の迷信のように思われるのである。」

(ハドソン著・岩田良吉訳『ラ・プラタの博物学者』岩波文庫、1934年2月10日第1刷、1978年12月10日第12刷発行、318--320頁より)