たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

骨折してもPCR検査

2022年09月25日 01時57分19秒 | 日記

 1994年9月に妹が家で自死したあと藁にすがる思いでお会いしたカウンセラーさんが自宅で転倒して大腿骨を骨折、月曜日に手術されることになりました。80代、コロナワクチン3回接種済(4回目はやめたほうがいいと何度かお伝えしましたがわかりません)。救急車で運ばれて、PCR検査で陽性となったので入院できたそうです。娘さんもお孫さんも病室に入ることはできず、全て看護師経由で連絡するようにといわれているそうです。お孫さんはコロナワクチン非接種、同級生が接種後の副作用に苦しんでいるのをみて接種しないと決めたそうです。このまま接種しないよう伝えてくださいとお伝えしています。わたしがこちらにまた暮らすようになってもコロナコロナコロナで結局お会いしないまま時が過ぎています。コロナコロナコロナから、ワクチンワクチンワクチンになってしまいました。骨折なので電話の声はお元気そうですがもうお会いすることはないままになるかもしれません。

 陽性判定≒コロナ感染、コロナだけを特別こわいものとして扱うこんなおかしな社会はいつまで続くのでしょうか。わたしの、直接命に関わらない整形外科の手術先送りは100歩譲ってのむとしても、わたしたちがこのままコロナ煽りにのっていつまでもコロナこわいこわい、コロナだから仕方ない、コロナだから仕方ないを続けることは結局自分たちの首をしめ続けていることになるのではないでしょうか。無料のPCR検査、ワクチン、3回接種or陰性証明が必要な〇〇割キャンペーンも結局自分たちで自分たちを食っているにすぎないと思います。増税、社会保険料増額、年金減額という請求書があとからやってくるでしょう。すでに何十兆円というお金が使途不明のまま湯水のごとく流れているというのに、次世代へのツケがどんどんどんどん増えるばかり。

 国のトップであるはずの検討使はたぶん出世したかったにすぎません。出世したら到底その器ではなく空っぽで、あとはひたすら支持率を気にしながら保身に走っているだけ、どこかの大きな会社などでみてきたような、自分のことしか頭にない管理職と同じにしか見えません。検討使の玉音放送を待っていてもおそらく玉音放送する決断はできないでしょう。だったらこのコロナ騒動を終わらせるには、わたしたちがこの騒動のおかしさに気づいて、意識をかえていくしかないと思います。PCR検査を受けない、ワクチンを打たない、マスクをできるだけ外す、未来ある子どもたちを守るためにも・・・。

 ワクチン3回目を接種しない方がいいと半年ほどLineで繰り返し伝えたことにより、おそらく20数年来の友人をひとり失いました。今年の春一浪の末希望の大学に合格した息子もいるので接種してほしくないと思いましたがおそらく伝わっていません。賢明な人だと思っていましたが盲信してしまっていて、弟も自分の母親も義理の母親も癌で失くしている女性ですが、コロナで毎日人が亡くなることに驚いていました。信じられませんでした。10数年前から髪を切ってもらっている美容師さんは2回目を接種したあとの副作用がきつかったのでもう接種しないと話しています。いとこの中に非接種の人がいるそうですが、友人だった人と会う時もうお互い腹のさぐりあいになっているそうです。