たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ちひろのことば』より-「アンデルセンの絵と私」

2021年08月13日 14時34分15秒 | いわさきちひろさん
「戦争が終わったすぐあとのころでした。私がつとめをもちながら、ときどきカットなどをかいて暮らしていたころのことでした。ある日大へんものごしのやさしい女の方が、つとめ先にあらわれて、私にアンデルセンの「おかあさんの話」の紙芝居の絵をかいてくれといわれました。三千円も画料を払うというのです。あのころは三千円もあれば女ひとりなら一か月の生活は十分できたのです。ーつとめをやめて、絵だけかいて生きていける。ー私は一生けんめいになりました。ペンをつかったり、パステルをつかったり、何もかもごちゃまぜにした、どうしようもないような絵を何枚もかいたのですが、しあわせでしあわせでたまりませんでした。この絵をたのんでくださった方がいまの童心社の編集長の稲庭桂子さんだったのです。

 それからもう20年近く、私は毎年のようにどこかの本にアンデルセンをかきました。

「マッチ売りの娘」などみじかい話なので、絵の場面をとる場所がきまってしまって、どうしたら新しい感じがだせるか困るようになりました。それでもまたもっとうまく同じものがかきたくてしょうがなかったのです。

二年あまり前、稲庭さんとソビエト旅行をしたときに、私は稲庭さんに、自由に締め切りなしにアンデルセンの絵をかきたいものだともらしました。レニングラードの北欧風の町なみや、古い石だたみ道が、アンデルセンの話にでてくる町を思いださせたのです。どんな出版社の仕事でも締め切りがないとうのは無理なことなのでしょう。私の願いを聞き入れて、二年前から計画してくださった稲庭さんもやはり締め切りをつくってしまいました。締め切りがないということは永遠にかけないのだということをさとられたのだと思います。さあ締め切り前の私の悲壮だったことは自業自得だとして仕方がないとしても、毎晩おそくまで私の家につめていられた編集の渡辺さんにはわるくってたまりませんでした。

 急いでかいたときほど、絵の良し悪しが、かいたときの感じと本になったときのかんじとではちがうものなのですが、こんどのアンデルセンもそうでした。そしてああもこうもといろいろ欲もでますけれど、印刷がほんとにきれいにできたのでいままでかいたどのアンデルセンよりもいちばん好きなものになりました。

 晩秋の静かな夜ふけに締め切りのことを気にしながら少しあせった気持でこの原稿をかいているのですが、私が小さいときから好きだった絵をかいてこうして暮らしていることが、何としあわせだろうかと思います。けれど、東洋の南でやっている戦争(ベトナム戦争)が、おそろしくひろがってこないとはいえないこの不安な世相の中でアトリエだけで暮らしているこのささやかな童画家は、自分自身と日本の子どもとその親たちのために、どうやって平和をまもって絵をかきつづけなければならないだろうかと考えなければならなくなっているのです。」


「1974年8月8日、東京・代々木病院で死去(病名・原発性肝ガン)55歳であった。絶筆『赤い蝋燭と人魚』ーいま、ちひろは埼玉県狭山湖畔霊園に眠り、その墓には、ちひろの作品「少女像」が浮き彫りされている。」



2021年8月8日(日)8月8日「ちひろ忌」
https://chihiro.jp/tokyo/events/18883/

 8月8日はちひろさんの47回目の命日でした。ちひろさんの願いがどうか世界のすみずみにまで届きますように・・・。

 子供が犠牲になるのはつらすぎる、これ以上ききたくない、みたくない。


















銀座駅の珠城りょうさん(3)

2021年08月13日 00時36分35秒 | 宝塚
銀座駅の珠城りょうさん(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6497b4d49a9e96525a244e1cc319287d

7月11日(日)の東京メトロ銀座駅、スカパー!のサイネージ広告より、



































無事に15日の大千穐楽、退団者のみなさまが卒業の日を迎えられますようにと祈るばかりです。