このようなブログへの訪問ありがとうございます。
こうして色々と整理していると、十数年間を精算するには、自分自身の気持ちの中でも
時間がまだまだ必要なんだとあらためて思います。振り返ると色んな思いがあふれてきてしまいます。
本当にいろんなことがありました。
二人分ぐらいの業務量をこなしながら、大学の通信教育の卒業論文執筆、夜間のカウンセリングスクールの受講、精神保健福祉士の国家試験受験のための通信教育(専門学校)、そして試験合格、心の血を流しながら過ごしてきた日々でした。
もうしばらく先に大きな山場が待っています。
そこでどんなことに結実していくのか、見えかけているようでまだ見えてはきません。
私の十数年間は何だったんだろう、ということにおそらくならないだろうという感じが漠然とですがしています。でもまだわかりません。
自分の気持ちの中できちんと精算できないと次に進むことはできないですね。
歯がゆいですが、今は断捨離しながら少しずつ気持ちの整理をしている日々です。
どんな結果になっても一生懸命に働いてきた、仕事の内容はともかく、自分で納得できるように働いてきた、その点において悔いはありません。
平日の居心地の悪さは続いていますが、妹と両親が守っていてくれると信じて今はこのまま進んでいくしかありません。
いろんな方が少しずつ背中を押してくれたり、情報をくれたり、感謝しています。
一生懸命働きながらあちらこちらに種をまいてきたことが、これから少しずつ芽を出してくるでしょうか。出てくると信じ続けます。
誰もが年齢を重ねていきますが、そのことがマイナスになってしまうというのは悲しいものがありますね。特に一般事務職はそうなのか、専門職であっても同じなのかはよくわかりませんが、同じ所に長く働くというのは難しいものだということも、あらためて実感しています。
長くいる間に忘れてしまっていました。
卒業論文の資料からひろってみました。
「若さは、日本社会一般においてのみならず、職場でも女性に積極的な価値をもたらすものであるらしい。若い女性が職場の男性に「ちやほやされる」状態を、ある商社勤務のOLは次のように説明してくれた。
「遊びにお誘いがしょっちゅうかかる。テニス旅行に行ったり、スキーに行ったり。そういうの・・・無理しなくても金曜日には何か予定が入るし。口コミでくるのよ、そういう話が」
しかしそのような誘いは、入社後何年か経つとこなくなることが多いという。多くの男性社員の注意が、新しく入社した女性たちに向けられるようになるからである。
(略)
OLたちは、言葉使いなどを通して年功による上下関係を律儀に守っていたが、こと男性との関係については、若いほうが優位に立つ逆上下関係が成り立っていた。すなわち、年次が上のOLを先輩として立てつつも、立てる方も建てられる方も若さに価値が置かれていることを十二分に意識していたのである。若さを尺度とする逆上下関係が、複雑で難しいOL同士の関係をさらに複雑で難しいものにしていたのは言うに及ばない。
若さという指標でOLを計ろうとすることも、彼女たちが任されている仕事の性質と無関係ではない。OLが担当する仕事が単純で反復的であればあるほど、年を経るごとに身につけることができるさまざまなスキルや経験が意味を持たない。あるテレビドラマの中のベテランOLのセリフに、「40歳過ぎて誰にでもできる仕事をしていると、年をとっていてすみませんと男性みんなにあやまらなければいけないような気になる。自分の席にかわいい女の子が座っていたらってみんなおもっているんだろうなと思う」というようなのがあったが、単純反復作業をしている場合には、若さとか魅力といった要素の比重が大きくなりがちなのであろう。
(略)
実際に男性が2、3年の差で新人の女性ほどちやほやするのは、単に男性からみた場合、新人の方が目新しいという要素が大きいらしい。(前述の)銀行マンの説明によれば、
「だって目新しいというのは、あきるじゃん。次にまた自分の知らない人が入ってきたら、今度はこっちはどんなかなって好奇心、持つだろう。そういうのは新しいほうがいいんじゃない」。
なぜ「あきる」のが男性であり、「あきられる」のが女性であるかという大きな問題はあるものの、この見方によれば新人女性がちやほやされるのは、通常考えられているように若い女性ほど魅力的だからというわけでは必ずしもないことになる。むしろ、来る日も来る日も長い時間を共有しなければならない職場環境に原因があると考えることができる。」
(小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』中公新書、1998年発行、45-48頁より抜粋して引用しています。)
こうして色々と整理していると、十数年間を精算するには、自分自身の気持ちの中でも
時間がまだまだ必要なんだとあらためて思います。振り返ると色んな思いがあふれてきてしまいます。
本当にいろんなことがありました。
二人分ぐらいの業務量をこなしながら、大学の通信教育の卒業論文執筆、夜間のカウンセリングスクールの受講、精神保健福祉士の国家試験受験のための通信教育(専門学校)、そして試験合格、心の血を流しながら過ごしてきた日々でした。
もうしばらく先に大きな山場が待っています。
そこでどんなことに結実していくのか、見えかけているようでまだ見えてはきません。
私の十数年間は何だったんだろう、ということにおそらくならないだろうという感じが漠然とですがしています。でもまだわかりません。
自分の気持ちの中できちんと精算できないと次に進むことはできないですね。
歯がゆいですが、今は断捨離しながら少しずつ気持ちの整理をしている日々です。
どんな結果になっても一生懸命に働いてきた、仕事の内容はともかく、自分で納得できるように働いてきた、その点において悔いはありません。
平日の居心地の悪さは続いていますが、妹と両親が守っていてくれると信じて今はこのまま進んでいくしかありません。
いろんな方が少しずつ背中を押してくれたり、情報をくれたり、感謝しています。
一生懸命働きながらあちらこちらに種をまいてきたことが、これから少しずつ芽を出してくるでしょうか。出てくると信じ続けます。
誰もが年齢を重ねていきますが、そのことがマイナスになってしまうというのは悲しいものがありますね。特に一般事務職はそうなのか、専門職であっても同じなのかはよくわかりませんが、同じ所に長く働くというのは難しいものだということも、あらためて実感しています。
長くいる間に忘れてしまっていました。
卒業論文の資料からひろってみました。
「若さは、日本社会一般においてのみならず、職場でも女性に積極的な価値をもたらすものであるらしい。若い女性が職場の男性に「ちやほやされる」状態を、ある商社勤務のOLは次のように説明してくれた。
「遊びにお誘いがしょっちゅうかかる。テニス旅行に行ったり、スキーに行ったり。そういうの・・・無理しなくても金曜日には何か予定が入るし。口コミでくるのよ、そういう話が」
しかしそのような誘いは、入社後何年か経つとこなくなることが多いという。多くの男性社員の注意が、新しく入社した女性たちに向けられるようになるからである。
(略)
OLたちは、言葉使いなどを通して年功による上下関係を律儀に守っていたが、こと男性との関係については、若いほうが優位に立つ逆上下関係が成り立っていた。すなわち、年次が上のOLを先輩として立てつつも、立てる方も建てられる方も若さに価値が置かれていることを十二分に意識していたのである。若さを尺度とする逆上下関係が、複雑で難しいOL同士の関係をさらに複雑で難しいものにしていたのは言うに及ばない。
若さという指標でOLを計ろうとすることも、彼女たちが任されている仕事の性質と無関係ではない。OLが担当する仕事が単純で反復的であればあるほど、年を経るごとに身につけることができるさまざまなスキルや経験が意味を持たない。あるテレビドラマの中のベテランOLのセリフに、「40歳過ぎて誰にでもできる仕事をしていると、年をとっていてすみませんと男性みんなにあやまらなければいけないような気になる。自分の席にかわいい女の子が座っていたらってみんなおもっているんだろうなと思う」というようなのがあったが、単純反復作業をしている場合には、若さとか魅力といった要素の比重が大きくなりがちなのであろう。
(略)
実際に男性が2、3年の差で新人の女性ほどちやほやするのは、単に男性からみた場合、新人の方が目新しいという要素が大きいらしい。(前述の)銀行マンの説明によれば、
「だって目新しいというのは、あきるじゃん。次にまた自分の知らない人が入ってきたら、今度はこっちはどんなかなって好奇心、持つだろう。そういうのは新しいほうがいいんじゃない」。
なぜ「あきる」のが男性であり、「あきられる」のが女性であるかという大きな問題はあるものの、この見方によれば新人女性がちやほやされるのは、通常考えられているように若い女性ほど魅力的だからというわけでは必ずしもないことになる。むしろ、来る日も来る日も長い時間を共有しなければならない職場環境に原因があると考えることができる。」
(小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』中公新書、1998年発行、45-48頁より抜粋して引用しています。)