たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ちひろのことば』より「ゆきのひのたんじょうび」(1972年12月)

2014年05月18日 16時22分51秒 | いわさきちひろさん
「もう秋もふかまってきました。この絵本を武市さんの案でごいっしょに考えだしたのは今年のはじめだったので、ほとんど一年中この本のことを考えて暮らしていたことになります。

 絵を描く時間はたかがしれていますし文章をみんなで考えるのもそうはかかりません。それなのにどことなくこの本のことを考えていたのは、この本を考えていると、なにかほっとして楽しかったからだと思います。他の仕事をすませた後この絵本のゲラ刷りを繰ってみたり、言葉のことを考えているとき、まだ私には、することがあるんだという、生きがいみたいなものを感じていました。

 この世の中にひしめきあって長く暮らしていると、時には疲れてしまい、もういつ死んでもいいと思ったりするのです。まだ年とった母も生きていますし、息子も一人前とはいえないのに「私がいなければいないでなんとかなるでしょう」とこう思うのは、これは私が病気のせいかどこか気弱でさびしくなっているせいでしょう。

 男子が一歩外へ出ると七人の敵がいるそうで、私は女子だからそんなことはないと信じておりましたが、女も一人前になると二、三人の敵はいるようです。本当の敵なら勇ましく立ち向かえるのですが、敵であろうはずのない人がときどき舌を出したり、足をすくったりするので本当に心臓がドキンとして冷や汗をかいてしまいます。

「みんな仲間よ」私は自分の心にいいきかせて、なつかしい、やさしい、人の心のふる里をさがします。絵本の中にそれがちゃんとしまってあるのです。そして私が描きかけている絵本のなかにも。だから、私は一年中頭のどこかでいつも絵本のことを考えているにちがいありません。この“絵本のしあわせ”が、みんなの心にとどくように、もし私が死ぬまでこうして絵本をかきつづけていけたとしたら、それは本当にしあわせなことです。」

(いわさきちひろ『ちひろのことば』講談社、昭和53年11月10日第一刷発行、64-65頁より引用しています。)


20歳前後の実家に暮らし、地方銀行で働いていた頃、
いわさきちひろさんが大好きで、繰り返し繰り返し読みました。
小さな本です。
断捨離するつもりでしが、できそうにありません。
宝物としてもうしばらく大切に持ち続けようと思います。


いわさきちひろ
本名松本知弘。
三人姉妹の長女。東京府立第六高卒。戦後昭和46年共産党に入党。
50年(昭和25)松本善明と結婚。
童画の世界で多くの作品を生み、人々に深い感銘をのこしてきた。
1974年(昭和49)原発性肺ガンのため死去。55歳。


若い頃はわかりませんでしたが、大家族の中で仕事をしながら主婦としての役割も果たされて55歳は早すぎましたね。
私が21歳の頃に自費出版した童話集はちひろさんの命日にちなんで88冊つくりました。


生きていくことは本当に大変でむずかしい。
明日何が起こるか誰にもわかりません。
一日一日精一杯です。


今回の混乱で大きな山場を間近に控えて不安と緊張の中にいます。
「過去のことを考えても仕方ない。今置かれている状況の中で最善を尽くす。」
加入している団体の方の言葉です。私の力になってくれます。
信じて先ずは精算できるようにがんばります。
自分の甘さを悔やんでも仕方ありません。
これからのことに目を向けていこうと思います。
きっとやれることがあるはず。
一人でいると、どうにかなってしまいそうですが、今は我慢の時。


こうしてちひろさんの本を読み返してみると、懐かしい場所に心が帰ったみたいな感じです。しばし休まります。
もう少し落ち着いてきたら、ちひろ美術館に20年ぶりぐらいに行ってみようと思います。