65オヤジのスタイルブック

終戦の日と平和の俳句と表現の自由

8月15日終戦の日。中日新聞(東京新聞)紙上で平和の俳句特集が組まれていた。いとうせいこうさん、黒田杏子さん、夏井いつきさんの選者が10句の俳句が選ばれていた。30句も10代から80代と様々な世代の俳人たちから多彩な平和への思いが綴られていた。

なかでも、僕が注目したのが、10代の若き俳人の句3首。

話し合おうきっとわかるさ君のこと(いとうせいこう選)

にっこりと笑うだけで平和みたい(黒田杏子選)

画面の銃打つ子我が手で銃うつ子(夏井いつき選)

いずれも15才中学生の作品で、平和への素直な感情があふれた作品で、この子たちような青年がいる限り平和への路は続くと感じた。

平和の俳句が生まれたのが戦後70年の2015年1月1日。前年に、いとうせいこうさんと亡くなられた金子兜太さんの対談をきっかけに、軽やかな平和運動として始まり、17年末まで毎日続き、毎年終戦の日限定で復活している。当時「梅雨空に九条守れの女性デモ」の俳句がさいたま市の公民館の月報に掲載を拒否された「九条俳句」問題を戦前の新興俳句運動への弾圧と重ね、戦争に向かう空気に抗するように生まれたそうだ。

今回あいちトリエンナーレで、中止となった「表現の不自由展・その後」でも展示された作品でもある。金子さんの危惧されていることが、残念ながら再び起こってしまっている。中止の判断を、ただ批判するだけの表現者当人に対しても鑑賞者の立場から疑問に感じるが、今それほどまでに、社会の在り様が大きく変化し、ネット右翼のように高圧的に物言う者だけが優位になる傾向にある事実を表現者も感じてほしい。また、保守思想の言論人たちも知らないうちに彼らの後盾になっていることを知るべきだ。自らの主張が正当化したいのなら、先ずは彼らを諫めるべきではないか。

今回の中止によって、新たに9組の辞退表明が出ているが、関係者と作家がさらなる対話を重ね、先ずは鑑賞者優先のトリエンナーレに向かってほしい。主催者により、展示中止に追い込まれた作家には同情の念を持つが、世界的にナショナリズムが台頭する中で、単純に物事を判断するのは難しい。さらに辞退表明が進めば、一方的な考えの人達が喜ぶだけで、広く表現の自由が脅かされてしまう。今表現者たちの真価が問われている。

戦争を知らない僕たちでも、映画や20世紀の世界史にみる映像により、戦争の愚かさは感じている。特に僕がライフワークとしているのは今なお描かれるナチスドイツが行った残虐行為の歴史を通し、人種の壁を越えて異なる思想信条を持つ人々が、平和の見地にたって人間として認め合う世界を築きたいという思いだ。

今回の平和の俳句。約1ヶ月の応募期間に寄せられた句は6082句。こうした軽やかな運動が平和に源流になることを祈って。




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