65オヤジのスタイルブック

65オヤジの履歴書(4)

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修業先がH市に決まり、最初に買おうと決めていたのがイタリアのスクーター、ベスパ。ローマの休日やアメリカングラフィティでタイガーが乗っていたスクーターで後にさらば青春の光、こちらは主流がランブレッタでしたが、モッズが乗り回してた憧れのスクーター。

H市はポンポン(バイク)の町で有名で国産バイクに交って、ベスパ専門のバイクショップもあり中古で白のベスパ50Sをローンで購入。その後事故で初代を失いましたが、相手の過失もあり、二代目はグレーのベスパを手に入れることができました。二代目はエンジンの調子も良く、30才まで僕の相棒となりました。

修業先は、市内外に5店舗を構える画材と額縁、美術品を扱うアートショップを社長一代で築いた会社で、三年の契約で働くことになったのですが、長身で戦争下で少年通信兵だった社長は、とても厳しい人で、当時僕も含め新米社員が多く、お客様にお構いなく社員に叱責が飛びます。寛ぐ時間はほぼなく朝から夜までピリピリした時間を過ごしてました。

住んでいる場所は会社から程近い町中で6畳一間の木造アパートで風呂なし、共同トイレの貧乏暮らしでした。それでも、わずかな生活費の中から、輸入盤レコ―ドを買い集め音楽を聴き、画材を試しながら絵を描いたり、愛車ベスパで海や町に出かける休日は修業時代の厳しさから解放される特別な時間でした。

そんな中で、思わぬ出会いが僕の音楽欲を掻き立ててくれました。映像会社を経営する兄弟と親しくなり、いつしか食事やお風呂をごちそうになり家族のような付き合ってくれたのです。代わりに仕事の手伝いをする中で開局準備中のFM局の選曲をすることになり、修業を終える時期に、パーソナリティを務めていた兄上の番組に構成作家として出演させて頂きました。

二週にわたる出演での企画は、ビルボードの年間ベスト100を紹介していくもので、マイケルジャクソンが上位を独占する中でポリスの「見つめていたいEvery Breath You Take」が僕の忘れられない思い出の曲となりました。

映像会社の兄弟をはじめ、昭和の雰囲気漂うカウンターだけのおなべのオーナー、日本人シェフとスペイン人夫妻が営むスペイン料理店、ジャズの生演奏が聴けるパブで出会った人々など、素敵な出会いがありました。

H市は、僕にとってひとり立ちした原点の町でした。


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