人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

自問自答?

2006-07-14 21:15:15 | 人生論・閃き
悩み事を他人に相談するとき、自問自答してしまうケースが多々あると思います。前から答えをしっていたのではなく、話している過程で閃いてしまうわけです。相談された側からすると、「ありがとう」といわれても「・・・何もしていません」と思うわけです。

しかしそうではなくて、他人を意識しつつ反応を伺いながら、相手がどう答えるかを想像したり、問題の所在を簡潔に伝えようとしたり、相手にアホを思われないように自分にストーリー性や整合性を求めたりすることによって新しい視点を得られるわけですよね。じゃあぬいぐるみに同じことを求めれば・・・と思うわけですが、反応をしてくれないため人間に話すほどの効果は得られませんね。一定の効果はありますが。

誰かが相談に来てくれるということは嬉しいことです。そして頑張って、相手を答えに導いてあげたいと思うのは自然です。とはいっても、色んなアドバイスをするのが必ずしも相手のためになるわけではないことは、前述のお話から明らかですよね。

できることは、話を聞くこと。気持ちや優先順位について質問を聞くこと。該当する自分の経験があるのであれば、もしくは相手が本当に経験について聞きたがっている場合でなければ、その付加価値は限定的になってしまうのではないでしょうか。

また、「私に相談したということは、私の意見が聞きたいということだ」と思ってしまいがちですが、そうでもないのです。もちろんたまねぎの切り方などの技術的なことや事務処理的なことであればそうなのかもしれませんが、自分の進路や恋愛相談などについてはまず「話を聞いてほしい」という気持ちが先行しているケースがほとんどといえるでしょう。

ここで、「話を聞くだけなら私じゃなくてもいいじゃないか。私は忙しいのだ。他にあたってくれ」と思うのも多少筋違いなのです。まずは、その人だからこそ相談できるのかもしれない。そして、相手がどう考えるか、どう反応するかを想定しながら話す以上、誰を聞き手として想定するかはとっても重要です。恋愛相談を2年上の先輩にするのと、2年下の後輩にするのと、心の持ち方がまったく違うのはおわかりになると思います。

相談する人は自分の気持ちを整理したい、自分が話すことで自分自身で状況を理解したい、などの想いはわかるはずです。しかし、聞き手になった途端これを忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。我々は年を積む上で相談をうける機会が多くなっていくはずなので、相談したい側だったときの気持ちを忘れずにいたいものです。

相手が自問自答したとしても、それは自分ではできなかった自問自答であるので、あなたのおかげででた答えなのです。何もしないことが相手にとって重大な意味を持つことがあるということですね。

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