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アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

西の魔女が死んだ 2008年 日本

2009-07-10 | ヒューマン・ドラマ
祖母は、母親とはまた違う温もりがある。
ワンテンポおいたゆとりと存在自体の温かさで安心させてくれる。
説教めいたことは言わず、穏やかに優しく、的確にものを言ってくれる。
だからみんな、おばあちゃんが大好きなのだろう。

中学校へ行かなくなったまいは、祖母の家へエスケープ。
祖母から怠惰な生活を指摘され、規則正しい毎日を心がけるよう教えられる。
シンプルなことは意外と難しいもの。
でも、まいはそれを実行に移すことにする。

早起きをして、朝食も祖母と一緒にとり、家の手伝い、勉強、読書の時間や祖母とのおしゃべり。
11時には就寝。
生き生きとした表情に変わっていくまい。
「このまま、おばあちゃんのとこにいようかな」
「まいがそう思うのなら、ずっとここにいてもいいのよ」

祖母役のサチ・パーカーが上手かった。
たどたどしい日本語が逆によかったように思う。
目元あたりが、実母のシャーリー・マクレーンに似ていたな。
『ターシャの庭』を思わせるような生活様式が、とても素敵だった。
あそこなら、いつでもエスケープしたくなってしまいそうである。

意地を通したまま祖母と別れてしまったまいは、まだ中学生の子ども。
でもそうした経験から、後に大きな事を学ぶことにもなる。
2年後、祖母が約束を守ってくれたことは、まいにとって衝撃的であった。
自分をこれほどまでに思いやってくれていたんだと。

遠くにいても見守っていてくれる、それが祖母なのである。

海を飛ぶ夢 2004年 フランス・スペイン

2009-05-29 | ヒューマン・ドラマ
ラモンは、死ぬことを渇望していた。
26年前に、海に飛び込んだ際首の骨を折り、以後、首から下は不随となってしまった。
彼の家族 ―― 兄、義姉、甥、父、みんながラモンを心から愛している。
特に義姉のマヌエラは、自分の息子のようにラモンを世話していた。

ラモンは、この辛い状態のままでいるのはもう耐えられないと言う。
まわりの愛情に背いても、自分の意志をどうしても曲げることはできない。
どうしても死にたい。
愛しているのなら、死なせてほしい、と。

避けたくても避けられない、誰にも訪れる死。
死も人生の一部である。
尊厳死というものが、普通に認められるのかどうか意見はさまざまだが、「認める」などとたやすく口にはできまい。
しかしながら、それを心から望み続ける人もいる。

「人生は苦行の連続である」と云われるが、人はこの世に生を受けた瞬間から、苦しい修行が始まると聞く。
いかなる困難や苦境に立たされても、この修行をまっとうしなければいけないのだ、と。
この映画は実話だそうだ。
これは実際に観て、各々が感じてほしい作品である。

ラモンは大好きな海を目指す。
人は風になるのだ。
あの歌のように風になって、やがて好きな場所へ向かうことができるのだろう。

あなたになら言える秘密のこと 2005年 スペイン

2009-03-23 | ヒューマン・ドラマ
これほど無口が似合う女性もなかなかいないだろう。
サラ・ポーリーは若手にしては、そういった面では稀有な女優だ。
前作『死ぬまでにしたい10のこと』と同様、イザベル・コイシュ監督と組んだだけあって、作品のニュアンスが非常に似ていた。

「あなたに“なら”言える」
そう言う方も言われる側も、相当信頼し合っていなければ簡単に出る言葉ではない。
同じく、かなりの覚悟もいるだろう。
これをもし、「あなたに“だけ”言うけど」となると、もうどうしようもなく軽々しくなってしまうから、言い方とはたいそうややこしい。(「だけ」と言ってても、たいてい他者にも話しているのがホントのところ。)

むごい過去と向き合わなくてはならない辛さ。
えぐられた心の傷は癒えず、心の闇が晴れることはない。

だが、本当に心を開ける相手に出会うことができれば、闇もいつかは、徐々に晴れていくに違いない。
この映画では、これが救いとなっている。
ハンナは、ジョゼフと出会えたことで、闇の中で光を感じることができたのだから。

サラの演技力はかなりのものであるが、彼女の場合、あまり笑ってほしくないし、明るい役も見たいようで、あまり見たくない。

迷子の警察音楽隊 2007年 イスラエル・フランス

2009-01-13 | ヒューマン・ドラマ
日々のストレス等で凝り固まった身体を和らげたいときに、オススメしたい映画である。

設定が子どものおつかいみたいでほのぼのとしている。
エジプトからイスラエルへと、友好のため招待されたアレキサンドリア楽団の男たち。
由緒ある楽団らしく、彼らもそれなりにプライドがあった。

空港へ着いても迎えの車は見えず。
待てども、それといった車は来ない。
仕方がない、自分たちで行くしかないか。
行き先の地名を告げバスに乗ったはいいが、着いたのは全く異なる場所であった。
言葉の違いから、“べ”と“ぺ”を聞き間違えたために、男たちは途方に暮れる。

いい歳の男たちが、まるで子どものように小さくなって、異国の通りすがりとでもいう人たちに世話になる。
若い楽団員は、土地の青年に、デートの世話をしてあげてたけど(笑)。

両国の歴史的背景にはほとんど触れず、人間味を前面に出した味わい深い作品に仕上がっていた。
(一人を除いて)やたら生真面目な男たちの姿が妙に笑えた。

菊次郎の夏 ’99 日本

2008-12-22 | ヒューマン・ドラマ
北野作品は苦手なのだが、この映画はツボにうまくはまった感がある。
他人(よそ者)と子どものロードムービーだからか。
個人的に好きな『セントラル・ステーション』や『パーフェクト・ワールド』に通ずるところがあるからか。

ビートたけしとたけし軍団のノリをわざわざ作中に入れる必要があったかは疑問に残る。
笑いを含ませるのであれば、他の演出で勝負してほしかったかなぁ。

少年にスポットを当てているのかと思いきや、実は、菊次郎が幼い頃の自分に想いを馳せていたという事実には胸がつまる。
「オレと同じ境遇・・・か」

互いの心をまさぐりながらも、相手を理解しようとする気持ちが痛々しくも温かい。
小学3年生にして事の重大さを知るも、どうしようもなくフーテンなこの男に対して笑顔で別れる少年に、同類の憐れみを感じつつ、切ない目で見送る菊次郎の姿が哀しい。

美しき運命の傷痕 2005年 フランス・イタリア・ベルギー・日本

2008-11-28 | ヒューマン・ドラマ
カッコウという鳥が、こんな怖い生き物だったとは知らなかった。
確かNHKのドキュメンタリー番組で、初めてその生態を見たのだが、同じような光景を本作品のオープニングで見せていた。
カッコー、カッコーとのどかな鳴き声とは裏腹に、その実、ひどくおぞましい。

親と同じような運命を辿るということはよくあること。
運命は変えられないのか。
なぜ愛されないのか。
父の死をきっかけに、三人の娘たちは苦悩し、それぞれが混沌とした生活を送っていた。

施設にいる母を見舞うのは長女ばかり。
「ほかの娘(こ)たちは来ないの?」
ノートにそう記す母。
長女は黙って本を読み聞かせる。

親の思うままに子は育たないのと同様、子が親を操ることもできない。
双方の思いが食い違ったままで、幸せになれるはずがない。
「何もわたしは後悔していない」
母の書き記したメモを見、久し振りにそろった三姉妹は顔を見合わせる・・・

次女役のエマニュエル・ベア―ル。
ここのところ、髪を乱しながらの演技が多い。
’87の『天使とデート』の初々しさから見れば、偉くすごい女優に成長した。
母親を演じたキャロル・ブーケもかつて、シャネルの広告モデルを務めていた頃を思い出すと、時間(とき)の流れというのは、実に切ないものだと思うのである。

生きる ’52 日本

2008-10-22 | ヒューマン・ドラマ
体に変調をきたし、『家庭の医学』を開いてみれば、あれもこれも当てはまるように思え、「もしかしたら重病なのかもしれない」と、青ざめたりする。
実はそれが、単に風邪だと分かると、不思議と不安も消え去っていく。(ときに、風邪から重い病につながる場合もあるから油断はできないが。)
逆に単なる疲れからきたものだろうと軽くみていたら、実は大変なことになっていたという例は多い。(なので、ことによっては『家庭の医学』も開くべきだろう。)

30年間無欠勤という記録を目前に、これまで平平凡凡と勤務し続けてきた市役所の市民課長であるわたなべは、胃の不具合から病院へ向かう。
待合室で他の患者が並べる胃ガンの症状を耳にしながら、次第に沈痛な面持ちへと変わっていく。

末期だと確信すると、彼は今までの生活を忘れるかのように盛り場へ繰り出し、体験したことのない楽しみを味わう。
そして、自身が残りの僅かな人生を何に懸けることができるか模索するのである。

本作品は、志村喬の表情が生きているからこその映画である。
中盤、暗闇の中で見せる眼光が不気味な影を漂わせ、生ける屍のごとく、凄まじい形相を見せていた。

この映画を観て改めて思うことは、お役所仕事に対する風当たりは、今も昔も変わらないのだな、ということであります。

リトル・ヴォイス ’98 イギリス

2008-09-21 | ヒューマン・ドラマ
ずば抜けた才能をもちながら、それを活かそうとしないのは世間的に悪いことなのか。
その才能をどうしようなんて本人の勝手だし、他人がとやかく言うことではないだろう。
堂々と誇示しようが、爪を隠そうが、その人の人生である。

無口なエル・ヴィー(LV)は、奔放で口やかましい母親と二人暮し。
かつてレコード店を営んでいた亡き父が残した、古いレコードが彼女の宝物。
鬱積した生活の中で、唯一の心の拠り所が、名盤から流れてくる歌声であった。

母親の言う“恋人”であるレイ・セイは、LVの歌声を聴き、「天才だ」と確信する。
彼女をショーに出し売り出せば・・・
彼の成功への欲望が始まる。

「わたしに任せれば、全てがうまくいくから。 一緒に頑張っていこう」
そう励ますレイ・セイ。
慎重にLVに語りかける。
「お父さんもきっと、喜ぶと思うよ」
彼女は、「一度だけなら」と承諾するが・・・

LVを演じたジェーン・ホロックスは、口パクではなく、実際に歌っていたというのだから驚きでした。
彼女こそ天才だろう。

女はみんな生きている 2001年 フランス

2008-09-15 | ヒューマン・ドラマ
フランス映画では、男性が女性に翻弄され“すぎる”ものが多い気がする。
もちろん現実は、男性みんながみんな振り回されっぱなしってことはないだろう。
前に、故岡本太郎氏が対談か何かで語っていたのを読んだことがあったが、映画では、そういった作品が目立つけど、実際のフランスは男性優位の国で、だから逆に女性を強くイメージすることで観客が喜ぶ、のだとか。

本作品の構成はすごくよく出来ている。
主婦のエレーヌの行動力には驚かされたけど。
彼女と主役を二分する、娼婦のノエミのこれまでの生き様がすごい。
厳格、かつ男尊女卑の家庭で起こる悲劇。
娘を人身売買さながら嫁がせようとする、父親の横暴さ。

ノエミを何としても助けようとするエレーヌ。
次々と折り重なるように問題が噴出する中、二人はそれらを乗り越えていく。
彼女たちが何故ここまで強くなれたかは、それぞれ心に負った傷が深かったからだろう。

一言で、「女、強し」といった作品。
とにかく徹底的に女性が〈賢者〉で、男性を〈愚者〉に描いている。
うーん、ここまで男たち(特に、エレーヌのダンナ)を愚かしく表現されては、当の男性諸氏も、観ていて苦笑いするしかないだろうなぁ。

プラダを着た悪魔 2006年 アメリカ

2008-06-17 | ヒューマン・ドラマ
厳しさの限度にもよるだろうが、本人の人格が明らかにならない限り、厳しすぎる上司というのは、「悪魔だ、鬼だ!」と誤解されやすい。
呼ばれる方としてはそんなこと(たぶん)承知だろうし、部下が嫌悪しようが痛くもかゆくもないだろう。
一方呼ぶ側としては、「悪魔め~」と心の底から憎悪するか、あるいはその厳しさをバネにして、「根性見せたる」と余計に張り切るかは、それぞれのとらえ方かもしれない。
ケースにもよるけど、骨があるかどうか試されてるってことも大いにアリだから、叱られたぐらいで会社を辞めたりしないでくださいね。

全くファッションに興味のない女性アンディが、超一流ファッション誌『ランウェイ』の編集部に採用されたことにより、どんどん洗練され美しくなっていく。
もともと頭のよい彼女だから、仕事の呑み込みも速く、鬼編集長ミランダの信用も得ていく。

服に無頓着だったアンディだが、美しいモノを紹介する仕事にたずさわる者として目覚め、自分なりに努力していく様子がとてもいい。
よくあるサクセス・ストーリーの中でも楽しい一作である。
アンディがキャリアアップを止め、自分のやりたいことにスイッチする展開も潔くていいのではないか。
異業種の仕事を経験して実力をつけ、次にステップアップするのもとても大事なことだし。

ミランダ役のメリル・ストリープ。
初め、グレン・クローズが演じているのだとばかり思ってしまった(笑)
今まで似ていると感じたことはなかったのに。
アン・ハサウェイもアンディを演じて以来、ファッションに関してうるさくなったようである。

観終わって、背筋がピンと伸びて姿勢がよくなったのは気のせいか。