アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

NINE 2009年 アメリカ

2014-11-24 | ミュージカル
'63の『フェリーニの8 1/2』を基に、今回ミュージカル映画として制作された本作。
共に主人公は、才能豊かな名監督グイド・コンティーニ。
前者は故マルチェロ・マストロヤンニが、後者をダニエル・デイ・ルイスが演じている。
二人ともグイド同様とてもモテる男である。
浮名を流した女性(女優)は数知れず。
ロジェ・バディムやセルジュ・ゲンズブールなんかもそうだが、才能も魅力も兼ね備えていれば、当然人はよってくるものだろう。

新作に向けて会見を行うグイド。
しかしその「新作」の中身は、まったく何も決まってはいなかった。
脚本さえ、まだ一行も書かれていない。
苦悩と葛藤で疲れがにじみ出る。
そんな中、彼は作品への妄想がつのっていく。

女たちは懸命に歌い、踊る。
エネルギッシュに、なまめかしく、大胆に。
彼女たちは、全身全霊をかけて表現する。
それらのシーンは圧巻で、ストーリーよりも彼女たちのパフォーマンスに注目したい。
'02の『シカゴ』ですでに目をみはったが、元振付師だったというロブ・マーシャル監督が手腕を振るうと、女性たちの美しさが非常に際立つのだ。
見事なダンスシーンは、監督の手によって導き出されている。

彼女たちの熱意でいっぱいなぶん、グイドのだめ男ぶりがまたエラく対照的なのだが、無精ひげを生やし、少しやつれ気味のグイドが、2012年に主演した『リンカーン』とダブって見えてしまったことにドキリとさせられた。
事実、この『リンカーン』でアカデミー「3勝目」を受賞したルイスである。
この時点で、もう彼が演じるべきだと決まっていたかのような錯覚をおぼえたことにドギマギとしてしまった。

パリの恋人 ’57 アメリカ

2013-02-21 | ミュージカル
オードリー・ヘプバーンは、’53の『ローマの休日』で映画初主演し、そのときに共演したのはグレゴリー・ぺックであった。
オードリーよりひとまわり以上年上の俳優である。
翌年の『麗しのサブリナ』では、いきなりのビッグ俳優、ボギーことハンフリー・ボガートと共演してしまった。
本作品で彼女は、有名ダンサーのフレッド・アステアと踊り、’57の『昼下がりの情事』では、なんとゲイリー・クーパーおじ様と初共演。
そこで考えてみた。
なぜ彼女は、当時60近い(ぺック以外)、いまでいう“アラ還”で、しかも超有名ビッグアクターを次々と相手役にしてしまったその力は一体なんなのかと。

考えてみたが分からなかった。
ただオードリーの場合、あのやたらと落ち着き払ったハリウッド女優らしかぬ雰囲気と、品のよすぎる身のこなしといい、若者や粗野な相手とはどうしたって合わない。
マーロン・ブランドとか、まったくイメージできないし。(私生活では年下のパートナーだったけど・・・。)

原色も鮮やか、オシャレなミュージカル映画。
オープニングからなんだかワクワクしてきそうな勢いだったのに、どうも話が“お約束通り”すぎて、表面と中身が反比例していってしまったのが心残りである。

新しいモデルが要るとのことで、アステア扮するカメラマンが書店員のジョーがいいとイチオシする。
ジョー本人は、「地味でこんなファニー・フェイスなのに」と(一応)謙遜はするが、彼は、「それがキミの個性さ」とほめる。
オードリーのどこがファニー・フェイスだというのか。
そもそもこの映画の原題が『Funny Face』なのだが、よくいえば個性的ともとれるけど・・・。

次々と出てくる服が当たり前のように似合ってしまうジョー。
それはそうだろう。
オードリーなら、役作りなどするまでもない。
ジバンシィのお気に入りだったくらいなのだから。
そしてこれはミュージカルであるから、踊り、歌う。
個人的にはどうでもいいシーンなのだが、だからこそ余計に、アステアのその長ったらしい場面には参ってしまった。
ううむ、やはり長い。
いやしかし、彼はアメリカを代表するダンサーである。
制作側としては絶対に削れないだろう、だってアステアせんせいがこれほど踊ってくださるのだから。

親子ほども歳の離れた相手にキスをされ、ポーッとしてしまったジョー。
それは彼が先鋭なカメラマンだったからか。
ジョーは最後まで、彼一筋であった。

撮影場所となったパリ郊外の小さな教会。
小高い裏庭では川のせせらぎに、花々は甘い香りをただよわせ、鳥たちがさえずる。
こうした幻想的な舞台で、ふたりは歌い、踊るのであった。
ああ、なんておもしろくないエンディング(苦笑)。

オペラ座の怪人 2004年 アメリカ・イギリス

2011-06-07 | ミュージカル
ミュージカル映画は、はっきりいって苦手である。
故に、本作品に関しても、観るまでに相当な時間がかかってしまった。
舞台のミュージカルについては、以前“食わず嫌い”なところがあったのだが、後学のため(?)と思い、ついでに人のススメもあって観てみれば、「素晴らしい」の一言であった。
ところがこれが映画版となると、スクリーンに押し込められてしまう圧迫感と、一つ一つがカメラによって処理されてしまい、全体を見通せないもどかしさに加え、ミュージカルなのにそうでないような、どうも半端な感じがしてしまうのが個人的に残念なのである。

〈オペラ座の怪人〉ことファントムは、一種のストーカー的要素を含んだ人物であるように見えるが、それはどうも違うようだ。
彼はクリスティーヌを愛するがために自ら身を引き、最後には彼女の幸せを願ってやるのだった。
まぁ、よくよく考えれば、クリスティーヌも良女とは言い難いかも。
もし幼なじみの青年貴族であるラウルがいなかったら、それこそ情が愛に変わって、美女と野獣のカップルにだってなっていた可能性もあったかもしれない。
でも彼女だって、やっぱりねーってな選択をしちゃうのだった。
選ぶとなれば、やはり容姿と金なのかクリスティーヌよ。
彼は君の“エンジェル・オヴ・ミュージック”ではなかったのか?
あぁ、これこそファントムにとって、超現実的な悲劇ではないか。

クリスティーヌから淡いキスをもらうと、彼は彼女を解き放す。
もう何も求めない。
これで十分だ。
さぁ、奴のもとへ行くがいい。
幸せになるんだクリスティーヌ!
さぁ、早く!

年老いたラウルが亡き妻の墓前に向かう。
“良き母、良き妻であった”と記されたクリスティーヌの墓石に、深紅のカーネーションが一輪、そっと置かれていた。
ファントム、おまえなのか・・・

コーラスライン ’85 アメリカ

2006-07-17 | ミュージカル
今にして思うと、80年代はダンス映画が多かった。
’83の『フラッシュダンス』や’84の『フットルース』。
それに’87の『ダーティ・ダンシング』とか、どれもヒットしたっていうのもスゴイところだ。

さて、本作品を観終えると、どうしても頭の中で「One」がいつまでも鳴り止まないのが困る(笑)
今回、15型のテレビデオで観直してしまったため、見事なラストシーンが圧巻とは言い難くなってしまった・・・
やはりあの場面は、大画面で堪能せねばもったいない。

延々とオーディション風景が続く。
その中で、審査に残った者たち、それぞれの人生を語っていく。
思い出や、恥ずかしかった経験なども話せと言われる。
それも審査対象なのである。
彼らは踊りながら、パフォーマンスを交えながら話を披露していく。
後で落とされた者にとっては、話損だろうけど・・・

敏腕演出家に扮したマイケル・ダグラス。
今ではワイフのキャサリン・ゼダ=ジョーンズの指示で、顔面リフトアップや健康維持に精を出しているようだが、若い奥さんをもらうと、それなりに苦労するもんです。
この映画での彼は、元来のスキモノ顔をしてましたね。
あ、今もか!?〈笑)
 

女は女である ’61 フランス

2005-03-22 | ミュージカル
ポップでキュートなミュージカル・コメディ。
ミュージカルといっても、全編歌っているわけではない。
でも、一応ミュージカルらしい(笑)。

アンナ・カリーナがオシャレである。

彼女が演じるアンジェラは、エミールの子供をほしがっている。
しかし、彼はまだ早いと言う。
そこで彼女は、
「ならアルフレッド(エミールの友だち)に協力してもらうから!」
などと口走ってしまう。
だがエミールは、わざと彼女の言葉を突っぱねる。
そこへテロップが流れる。

「愛するが故に意地を張り合っていると、全てがまずくなりそうだ。
 それが大丈夫と思うのは大きな間違い」

なんとも絶妙なタイミング!

アンジェラとエミールがケンカをして、口をきかないある晩、ふたりは棚から本を持ち出してくると、侮蔑する言葉を探しては相手に提示し、沈黙の諍いをする。
その場面がなんとも愉快で、若いなぁと思うのである。

先日観た’03の『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』に、アンナ・カリーナが出演していた。
ものスゴイ迫力だった。
存在感120%! さすがである。
かつて、ジャン=リュック・ゴダール監督のミューズとして注目を集めていた頃の彼女とは、比べるにも無理があった・・・

本作品のアンナはやっぱりカワイイ。

ところで、ふたりの部屋を訪れたアルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)が、
「テレビで『勝手にしやがれ』を観たい」
と言うところがいい。
ある意味、宣伝か!?(笑)