アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

おくりびと 2008年 日本

2009-12-24 | ヒューマン・ドラマ
故人のおくりかたも、今ではずいぶんと様変わりしてきたようだ。
多種多様というと妙な言い方かもしれないが、ただひたすら暗いだけの葬儀が少なくなってきているのは確かだろう。

あるアンケート調査によると、自分の葬儀にお金をかけたくないという人は、40代以前に関すると半数以上にのぼるらしい。
そもそも自分の葬儀に、ああしてほしい、こうしてほしい、幾らぐらいのああでこうでと、生前に話をしておく人は、おそらく少なかったと思う。
しかし先述したとおり、今では家族にきちんと意志を伝えておく人が増え、その人らしい、中にはユニークでさえある個性的な葬儀も行われている。
故人に喜んでもらえる ―― お金をかけるかかけないかではなく、心をこめておくってあげられるかが大事なのだろう。

この映画の主人公は、チェリストから、まったくの異業種である納棺師という仕事に就く。
不思議なことに見ていると、故人に触れるその丁寧な指先は、まるで楽器を奏でる繊細なそれと似ているのだ。
粛粛とすすめる納棺師の行いはとても上品で、故人を尊び、心からいたわる気持ちが伝わってくる。
これには遺族たちも安堵し、感謝することだろう。
ただ、この作品が大きな話題となり、納棺師になりたいという人が急増したらしいが、その覚悟は本物かどうか問いたい。

出演者たちもそれぞれで、みな表情が生きていた。
特に山崎努はやっぱり上手いなぁ。
彼は、’84の『お葬式』にも出てましたね。
で、これもやっぱりだったが(笑)、広末のセリフは、どうしていつもぶりっ子(死語だが)調なんだろうか。
わざとなのか、ああいう演技方なのか。
どうしても耳障りで困る。

革命児サパタ ’52 アメリカ

2009-12-13 | 伝記
マーロン・ブランドといえば、非常にクセのある俳優で有名だったらしい。
見れば、一癖も二癖もある男って雰囲気が漂っている。
あまのじゃくなところがあっても、仕事は完璧にこなしていたから、文句も出なかったのだろうが、扱いにくかったのは確かなようだ。

彼の、「母よりも美しい女性はいない」という言葉から、究極のマザコンだったということが証明されてしまったようだが、確かにセクシーさを表に出しても、相手の女優に対して、なんとなく本気さが見えてこない気がする。
要するに、相手に“恋して”ないのだ。
ここら辺は大概気づきにくいものだが、演技といえどもわかるものはわかる。

個人的には、意外にも’54の『波止場』より、メキシコの革命家エミリアーノ・サパタを演じた本作品の彼のほうが断然よかった。
ブランドらしかぬ男臭さがプンプンしていて、メキシコの乾いた土埃さえ光って見えた(笑)。

農民から大統領にまでのぼりつめた英雄の彼が、ふと自分のやっている過ちに気づき、かつての仲間と故郷に帰る。
やがて彼は、悲しい運命(さだめ)に泣くこととなる。
十中八九、命がなくなると予見していても、わずかながらでも相手を信じようとする気持ちが彼にはあった。
強さだけでは、英雄にはなれないのだろう。

希望をまったく失わせてしまいそうな場面が、農民たちの力強い言葉ですべてが救われる、そんな思いのする感慨深いラストであった。

イージー・ライダー ’69 アメリカ

2009-12-02 | ドラマ
休日に車を走らせていると、たまに〈イージー・ライダー〉風のバイカーを見かけることがある。
あの独特なバイクにまたがり、顔とほぼ同等の高さにあるハンドルを、まるで鉄棒でもするかのようにひしっとつかみ、まっすぐ前を見据え、豪快に走り去っていく。
自慢のマシンに周りの視線が注がれ、更に気分も高まってくる。
第2、第3(!)の青春を謳歌できるのはうらやましい限りだ。

さて、バイクはひとたび置いといて本作品についてだが、こんなひどい話ってあるだろうか。
これが自由の国アメリカなのか。
どこでも“よそ者”を嫌うふしはあろうが、こうも自分たちとは違う“人種”とだといわんばかり、いや、人間とも見ない田舎町で、彼らを排除しようとする行動は、いくらなんでも理解できない。
保安官までもが、見て見ぬふりだ。
ビリーは言った。
「昔はこんなんじゃなかった・・・」

ビリーとワイアットが、コールガールたちと墓地でトリップする場面。
サイケデリックな映像が突出していて、何かのプロモーション・ビデオみたいだったし、つなぎ用に映し出されるちょっとした風景も、短い詩を読むような感じで、デニス・ホッパーの才覚に触れることのできる作品である。

トリップで思い出すが、’65頃、ピーター・フォンダはLSDにハマっていたらしく、そのシーンを見ていて、もしや“地”で演ってたのかなぁ、などと勘ぐってしまった。
彼はやっぱり御坊ちゃま風だけど、実際のところは放蕩息子だったんでしょう。
お父さんとは全然違いますもんねぇ。

この映画で個人的に一番お得感が高かったのは、まだ無名の頃のジャック・ニコルソンに出会えたことだろうな。
あの酔いどれ弁護士。
いかにも、ニコルソン向きのキャラであった。