アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

海を飛ぶ夢 2004年 フランス・スペイン

2009-05-29 | ヒューマン・ドラマ
ラモンは、死ぬことを渇望していた。
26年前に、海に飛び込んだ際首の骨を折り、以後、首から下は不随となってしまった。
彼の家族 ―― 兄、義姉、甥、父、みんながラモンを心から愛している。
特に義姉のマヌエラは、自分の息子のようにラモンを世話していた。

ラモンは、この辛い状態のままでいるのはもう耐えられないと言う。
まわりの愛情に背いても、自分の意志をどうしても曲げることはできない。
どうしても死にたい。
愛しているのなら、死なせてほしい、と。

避けたくても避けられない、誰にも訪れる死。
死も人生の一部である。
尊厳死というものが、普通に認められるのかどうか意見はさまざまだが、「認める」などとたやすく口にはできまい。
しかしながら、それを心から望み続ける人もいる。

「人生は苦行の連続である」と云われるが、人はこの世に生を受けた瞬間から、苦しい修行が始まると聞く。
いかなる困難や苦境に立たされても、この修行をまっとうしなければいけないのだ、と。
この映画は実話だそうだ。
これは実際に観て、各々が感じてほしい作品である。

ラモンは大好きな海を目指す。
人は風になるのだ。
あの歌のように風になって、やがて好きな場所へ向かうことができるのだろう。

譜めくりの女 2006年 フランス

2009-05-20 | ミステリー&サスペンス
復讐とは、仕返しをすること。
復讐といっても、本作品の主人公メラニーの恨みのはらし方は極めて陰湿。

少女メラニーは、翌日にピアノの試験を控えていた。
自信はそこそこ。
もし落ちたら、ピアノはもう弾かないと言う。
父はそれでも続けたらいい、と言ってくれてはいた。

試験当日。
滑らかに鍵盤をはじくメラニー。
ところが試験の最中に、審査員の一人が無断で入ってきた女性に平然とサインをしてやっていたのである。
さっきは「忙しい」と断っていたのに。
それに気づいたメラニーは、集中力が散漫となり、ミスが続いてしまう。
悲観した彼女は、自宅のピアノに鍵をかける。
永久にピアノを葬ってしまうかのように・・・

短大を卒業したメラニーは、弁護士事務所で研修生として働くことに。
そこの上司であるジャンの家では、しばらくシッターが休暇をとるらしく、その代わりを探していた。
メラニーは自ら、「わたしでよければ」と申し出る。

駅でジャンの妻と息子を待つメラニー。
やがて迎えに来た夫人は、メラニーのピアノの道を断たせた、あの時の審査員であった。
表情ひとつ変えないメラニー。
彼女はこのことを知っててこの家に入り込んだのか。
それとも単なる偶然か。

夫人は優しく、ピアニストである自分の譜めくりを依頼するほどメラニーを信頼した。
譜をめくる役というのは、シンプルそうでいて、実は大変重要な仕事である。
演奏者との呼吸が合わないと、演奏にも打撃を与えてしまうことになる。
それほどの役目をメラニーに、彼女はしたのである。

あたかも相手を思いやっているかのように見せかけ、反面じわじわと、夫人もその家庭も崩壊させていこうとするメラニーの執拗さにはヒヤリとする。
思い込みも頑固さも人一倍であるメラニーは、100%他人(ひと)のせいにしてしまう傾向が強すぎたのかもしれない。

ネイキッド・タンゴ ’91 アメリカ

2009-05-11 | ラブ・ストーリー
他人になりすましたがために、踏んだり蹴ったりの日々をおくるハメになってしまったステファニー。

老判事の夫と小さな諍いを起こし、やけになった彼女が甲板で見かけたのは、今まさに海に身を投げようとしていた女性であった。
目が合った二人。
しかし、ステファニーが駆け寄るも早く、女性は黒い海の中へ・・・
そこには女性の脱いだ靴と鞄がそっと丁寧に置かれており、とっさに、ステファニーはその鞄を持ち、靴を履き替え、まるで自分が身投げしたかのように装い、その場を離れた。

鞄の中にはパスポートと日記が。
名はアルバ。
ポーランドからアルゼンチンへ、金で買われた花嫁らしかった。
ステファニーは、アルバのパスポート写真を剥がし、自身の写真を貼り付ける。
「わたしはアルバ・・・」

アルバの夫となるジーコは、いいとこのおぼっちゃま風。
ほくそ笑む“アルバ”だったが、実はこの男、娼婦館のオーナーで、娼婦たちを買いあさる組織の一員であった。
捕われの身となってしまった“アルバ”。
だが彼女のしたたかさを気に入ったジーコの友人チョーロが、皮肉にも後に、“アルバ”からステファニーへと戻らせるきっかけとなる。

ステファニーとチョーロが踊る、情熱的且つ官能的なタンゴは鳥肌もの。
特に、死がふたりを分かつラストシーンでの狂わしいダンスは、強く印象づけられた。