アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

イヴの総て ’50 アメリカ

2010-04-29 | クラシック
女の争いはすさまじい。
爪を立てて、「キーッ」と争い合うような次元の低い話ではなく、いかにしてチャンスをつかみ、他人が現在(いま)いる地位をどうしたら奪えるか、といったライバル心を燃やす闘いである。

ショー・ビジネスの世界では当たり前だろうが、誰もがスターになりたいと願っている。
たいした才能もなく、ちょっとしたきっかけでのし上がる者もいれば、実力はあってもツキに恵まれず、いつまでも下積みでとどまる者もいる。
認められるということの素晴らしさ。
努力はもちろんだが、運はそれ以上に必要なことなのかもしれない。

マーゴは誰もが認める大女優であった。
しかし周囲では、そろそろ若手に目が移る頃でもあり、それは本人も薄々感じてはいた。
ある日、彼女のファンであると近づいて来る娘がいた。
自身の不幸な身の上話に、マーゴは同情した。
娘は、マーゴの身の回りの世話をするようになる。
やがて娘は、彼女の舞台台詞までも暗記し出して・・・

美内すずえ著『ガラスの仮面』の中にも、同じようなシーンがあったっけ。
相手に同情心を植えつけ、大ファンであることを強調し、そばにつきながら隙を見て入り込む。
そして役を奪い取る。

お人よしではこの世界では通用しないのか。
「隙あらば」と狙っている役者の卵たちは多いのだろうか。
ものすごい強運の持ち主で、努力も怠らず、隙も見せずに物事をソツなくこなし、スキャンダルもなんのその、かえってそれを糧にするほどの強さがなければ、トップでい続けるのは難しいのかもしれない。

いまや、マーゴを超えるスターとなったイヴ。
彼女の部屋のドアをノックする音が聞こえる。
そこには、ひとりの清楚な女学生が立っていた。
「あなたの大ファンなんです」

こうしてまた、時代はめぐっていくのである。

ダーティハリー ’71 アメリカ

2010-04-17 | アクション
「何を考えているかわかるぜ。 6発撃ったか、それとも5発だったか。 実は、俺も数えちゃあいなかったんだ」
マグナム44を敵に向けながら、倒れた犯人にそう話しかけるハリー。
落とした銃を奴が拾うかどうか。
運が試される瞬間。

強引な捜査で、なにかと問題を起こすサンフランシスコ警察殺人課のハリー・キャラハン。
彼は自分に正直であった。
ねじくれ曲がったことは我慢できない。
検事や法律にも食って掛る姿勢は、被害者を憐れみ、容疑者を許すべからずの勧善懲悪。
いつでもバッジを外す覚悟で、危険な捜査に挑んでいた。

『ダーティハリー』1作目は、異常連続殺人のはしりといえる、緊迫した犯罪アクションである。
5作目まで、それぞれに工夫をこらしたテーマをおき、シリーズものにしてはマンネリ化せずに成功した作品であろう。

犯人の要求した金を運ぶハリー。
指定場所近くの公衆電話が鳴り響き、息せき切りながら走り込み、受話器を掴み取る。
敵は含み笑いをしながら、次の指定場所を告げる。
「走れや走れ、刑事さん」
今ではまず見られない光景だが、昔の刑事ドラマ、例えば『太陽にほえろ!』なんかで似たような場面があったように思う。

細身のスーツにサングラス。
やや猫背気味になった今と違い、姿勢もピシッとしていた。
額のシワは、この頃のほうが多かったか?(笑)
なにより風にゆれる豊かだった頭髪が、年月を感じさせてくれる。

理想の女(ひと) 2004年 スペイン・イタリア・イギリス・ルクセンブルク・アメリカ

2010-04-06 | 文芸
「理想のタイプは?」と訊かれ、はにかみながらもマジメに答える人は多い。
これ、「好きなタイプ」とはまた異なり、好き=現実的な、理想=想像する上で、最も素晴らしい状態のことをいう。
理想と現実のギャップに泣くということはそういうことであって、理想が高く、夢見がちな場合は気をつけないといけない。

題名からすると、男性が想うある女性の物語に聞こえる。
そういった要素ももちろん含まれてはいるが、本作品での意味するところは、娘が母親に対するところの思いである。
幼いときに死に別れた母を、彼女は神以上の存在として崇めていた。
「母が理想の女(ひと)なんです」
顔も知らない母を、娘はまるで女神のように崇拝していた。

男たちからは慕われ、妻たちからは憎まれる女。
金持ちに近づいては、夫たちを寝取る。
徹底して悪女になりきる女。
冷ややかな妻たちの視線を浴びながらも、堂々と開き直るその姿勢。
彼女を良く言う女性はいなかった。
それは自身もよくわかっていたことだった。
だからこそ、これほどの浮名を流せてこれたのだ。
だが、ひとりの若い女性が口にした言葉で、彼女の気持ちは変わり始める。

30年代のクラシカルな女性たちを、ヘレン・ハントとスカーレット・ヨハンソンが巧みに演じておりました。
スカーレットは、何演っても似合っちゃうのが不思議。
ヘレンは現代ものよりも、こうした古風な格好のほうが合ってるような気がする。
こっちのほうが、はるかに目立つし(笑)。

劇中、さかんに結婚に対しての悪評が叫ばれていた。
「結婚とは、騙し合いの上に成り立っている」とは言い得て妙?(笑)
ところで、人生の悲劇は二つあって、一つは「欲しいものが手に入らないとき」
もう一つは「欲しいものが手に入ったとき」だそうで、後者のほうがより深刻なんだそうだ。
なんだかコワイなぁ。