アブリコのCinema散策

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グランドホテル '32 アメリカ

2014-04-12 | クラシック
グレタ・ガルボは宝塚向きである。
もちろん男役で。
あくまでも〝向きである″ということ。
あの身長、あのハスキーボイス、あの美貌。
あのスレンダーさに、あの身のこなし。
どこをとっても宝塚の男役向きだろう。
同様に、マレーネ・ディートリッヒもそっち向きではないかと思うのだが。

旧ソビエトのプリマドンナ役という、実際の舞台でのシーンはなかったにせよ、ガルボの身長(170cmぐらい)では、この役は合わんのでは?
それに衣装を着けた彼女もまったく想像できない。
だって男役向きなんだし。

当時の売れっ子としてガルボとジョーン・クロフォードが共演したのはいいが、同じシーンで顔を合わすことは一度もなかった。
この頃二人はかなり険悪な状態だったらしい。
クロフォードは結構頑張り屋さんな女優だったけど、ガルボは英語も話せない、ヨーロッパの名もない女優で、運よくアメリカで見出されちゃって、トントン拍子で売れっ子女優になっちゃったから、クロフォードにとってはおもしろくないわな。
ガルボのスウェーデン訛りはアメリカでかなりウケたようで、当時のハリウッドでは、外国人女優のもつ独特な魅力に夢中だったそうである。

'05の『THE有頂天ホテル』のレビューで本作品については少し触れたが、〝グランドホテル形式″を生み出しただけでも、この映画は名作として今でも賛美されているが、見直してみると、ストーリー的にはどうであろうかと悩まされてしまうのが正直なところである。
ラストのあっけなさはどうであろうか。
名作ならではの余韻というものが、悲しいことに感じられないのだ。
有名ホテルといえども、「人々がやってきて、また去っていく。ただそれだけ」という日常が、あまりにもはかないということを謳いたかったのかもしれない。
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イヴの総て ’50 アメリカ

2010-04-29 | クラシック
女の争いはすさまじい。
爪を立てて、「キーッ」と争い合うような次元の低い話ではなく、いかにしてチャンスをつかみ、他人が現在(いま)いる地位をどうしたら奪えるか、といったライバル心を燃やす闘いである。

ショー・ビジネスの世界では当たり前だろうが、誰もがスターになりたいと願っている。
たいした才能もなく、ちょっとしたきっかけでのし上がる者もいれば、実力はあってもツキに恵まれず、いつまでも下積みでとどまる者もいる。
認められるということの素晴らしさ。
努力はもちろんだが、運はそれ以上に必要なことなのかもしれない。

マーゴは誰もが認める大女優であった。
しかし周囲では、そろそろ若手に目が移る頃でもあり、それは本人も薄々感じてはいた。
ある日、彼女のファンであると近づいて来る娘がいた。
自身の不幸な身の上話に、マーゴは同情した。
娘は、マーゴの身の回りの世話をするようになる。
やがて娘は、彼女の舞台台詞までも暗記し出して・・・

美内すずえ著『ガラスの仮面』の中にも、同じようなシーンがあったっけ。
相手に同情心を植えつけ、大ファンであることを強調し、そばにつきながら隙を見て入り込む。
そして役を奪い取る。

お人よしではこの世界では通用しないのか。
「隙あらば」と狙っている役者の卵たちは多いのだろうか。
ものすごい強運の持ち主で、努力も怠らず、隙も見せずに物事をソツなくこなし、スキャンダルもなんのその、かえってそれを糧にするほどの強さがなければ、トップでい続けるのは難しいのかもしれない。

いまや、マーゴを超えるスターとなったイヴ。
彼女の部屋のドアをノックする音が聞こえる。
そこには、ひとりの清楚な女学生が立っていた。
「あなたの大ファンなんです」

こうしてまた、時代はめぐっていくのである。
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いとこ同志 ’58 フランス

2009-09-24 | クラシック
本作品の設定ではいとこである男二人の話だが、映画や小説の中では、兄弟であれ友人であれ、性格においては正反対な場合が多い。
似た者同士といった話はあまりない。
やはり起伏に欠けるからだろう。

父親同士が兄弟というシャルルとポール。
シャルルはポールのアパルトマンで同居することに。
シャルルの母親が、いとこであるポールの家ならということで、パリ行きを許したようだ。
どのくらい二人があっていなかったのかは定かではないが、二人の仲はさほど良さそうには見えない。
一般的に、子どもの頃はよく一緒に遊んでいたといういとことも、いつからか、ぱたりと会わなくなってしまうケースが多いように思う。

生真面目なシャルルと、あやしげな生活をおくるポールは同い年。
豪勢な暮らしぶりの中、ポールは学生仲間を集めては乱痴気パーティを開く。
シャルルは、バーで一目ぼれしたフロランスと、なんとか親しくなりたい。
後日、デートの約束までこぎつけるのだが、純真なシャルルをあざ笑うかのように、好色男のポールは、さっさとフロランスを自分のものにしてしまう。

フロランスも罪作りで結構な悪女(ワル)なんだが、シャルルがそれと気づくまでにはまだ時間がかかった。
彼女をいとこにとられても、シャルルは平静を装い、勉学に励む。
なんと痛々しいことか。
しかもフロランスはポールたちと一緒に住むこととなり、イチャイチャとふたりでシャワーなんぞ浴びている様子を耳にしながら、シャルルは参考書を前に耐えているのだ。
集中できるわけないだろう。

試験日が近づく。
シャルルは寝る間も惜しんで勉強する。
一方ポールといえば、本を開いている姿を見たことがない。
シャルルはポールに、「君も勉強したほうがいい」と忠告するのだが、「そんな必要はないさ」と一蹴され、彼は遊びほうけていた。
数日後、ポールとその取り巻きたちは全員が合格していた。
シャルルの試験結果は翌日である・・・

真面目にやってきただけなのに。
それなのに何故なのだろう。
ポールの要領がよすぎたからなのか。
腑に落ちないラストは、あまりにもあっけない。
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三人の妻への手紙 ’49 アメリカ

2009-09-07 | クラシック
もし夫や恋人が、憧れの女性から誕生日プレゼントをもらったり、彼女と親しげに話している姿を見かけたり、はたまた家にその人の写真でも飾られていようものなら、心中穏やかではないだろう。

デボラ、ローラ・メイ、リタの3人は、アディが話の中心になることをよくは思っていない。
だが自然とそうなってしまうのも常であり、夫たちが今でも彼女を気に留めているらしいことも事実なのであった。

アディ・ロス。
どれほど美しく、魅力的なのだろうか。
彼女は町を去ったらしい。
それも突然のことであったようだ。
彼女は別れの手紙を友人たちに送っている。
― 親愛なるデボラ、ローラ・メイ、リタへ ―
そこには、別れを惜しむ言葉がつらつらと並べられていたが、最後はこう締めくくられていた。
「あなた方3人のうちの誰かと駆け落ちします。 アディ」
“3人のうちの誰か”というのは、もちろん「誰かの旦那」ということだが、友人宛に、こうもいけしゃあしゃあと書けたこのアディという女性、同性の敵でしょうねえ(笑)。

婦人クラブの奉仕活動で出掛けた3人は、それぞれが、もしかして自分の夫ではないかと気を揉む。
家に帰るまで、帰って夫の顔を見るまでは不安で仕方ないのである。
何不自由なく、すべてを手に入れたような裕福な暮らしの中でも、「お金よりも愛」という純粋さが、時代を物語っているように思えた。

最後まで、アディの姿は画面上に映し出されることはなく、ひたすらミステリアスな印象を我々に残す。
見えそうで見せないところがまたいいのだろうが(笑)、やはり気になる。
アディって、一体どんな女性だったのか。
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終着駅 ’53 アメリカ・イタリア

2008-08-11 | クラシック
愛と別れのプラットホーム。
男女の、切なくも美しい別れが涙を誘う・・・と、多くのラストシーンで見られた光景であるが、この『終着駅』という映画は、決して美しいとは言い難いラストである。

ジョヴァンニはマリアに夢中。
だが彼女には、夫も娘もいる身であった。
しかもジョヴァンニとは、ローマに滞在中に知り合った仲であったようである。
作中、ふたりが過ごした日々は映し出されず、描かれていたのは別れの時間だけ。
だから余計に、男のジレンマが痛々しいのである。
一方マリアにとっては、旅行中の火遊びぐらいのものだったのだろう。
一途な男としたたかな女。

ふたりだけになれる場所 ―― ジョヴァンニが向かったのは、停車中の列車の客室だった。
それがもとで警察沙汰になってしまうとは、マリアにとっても耐え難い事であっただろう。
運よく、署長の計らいで「なかったこと」にしてもらえたけど、旅の恥はなんとやらで、プライドの高そうなマリアだから、彼女の中でも「なかったこと」にしたんだろうなぁ(笑)

なんやかやで、発車時刻が近づいてくる。
「わたしはもうとにかく、何がなんでも早くこの場から逃れたいの」と、心の中では叫んでいたに違いない。
口では一応、それらしく男に愛を語ってはいたが。
ただ惨めなのがジョヴァンニである。
あれよあれよと時間が過ぎ、まっとうな別れもできず、ホームでこけてしまったこの男。
肩を落とし、一人ホームを歩く姿に哀れみを感じるというより、嘆かわしいと思わせてしまうのは、マリア役のジェニファー・ジョーンズを愛した、本作品のプロデューサーであるセルズニックの思惑だったのだろうか。
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街の灯 ’31 アメリカ

2007-12-02 | クラシック
チャップリンのこの『街の灯』が好きで、もう何度も観ているが、鑑賞するたびに、彼はやはり偉大な人だなぁ、と思わされるのである。
時代を越え、誰もが笑い、誰もが涙ぐむ。
貧しくも、愛する人に尽力する彼の姿が人々の心を打つ。
細微に至るまで完璧な演出も手がけ、単なるコメディにとどめず、甘美なシーンもふまえ、観る者の心をしっかりと掴む。

我々が映画を観て感動するときというのは、その場面と台詞が一体となったときであろう。
しかし、サイレント映画の場合は視覚のみである。
だたし、台詞の代わりに効果音が流れる。(この音楽がまた各シーンによく合っている←これももちろんチャップリンの作曲。)
これで聴覚を刺激することになるのだろうが、そうなると、言葉(台詞)はそれほど重要ではないということなのだろうか。
難解なことかもしれないが、逆に台詞が多すぎて観るのに難儀することもあるし・・・(脚本にもよるだろうが。)

サイレントの場合、演技力は言うまでもないが、ストーリーも単純なようでいて、結構手が込んでいる。
様々な国の人でも、子どもでも、誰が観ても楽しめて感動できる、そんな映画を作ったチャップリンを天才と言わずして何と言おうか。

一枚の硬貨を男の手に包んでやる娘。
その手の温もりに覚えのある彼女は、じっと、男の顔を見つめる。
「あなたなの?」
情感溢れるラストは、まさしく映画史に残る名場面であろう。

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歴史は夜作られる ’37 アメリカ

2007-06-03 | クラシック
清廉潔白な妻に不倫疑惑を募らせる海運王の夫。
妻に対する信頼度はゼロに近い。
嫉妬心の強すぎる夫のもとから、妻アイリーンはパリへと逃れる。

パリのホテルで妻を張っていた、夫ブルースと雇い人たち。
自分が仕組んだ罠により、皮肉にもアイリーンは、運命の人ポールと出会うことにある。

ジーン・アーサーとシャルル・ボワイエの二大スターの共演。
控えめな華やかさと、落ち着いた大人の美しさで、二人の魅力が存分に浮き立っている。

ジュード・ロウを年取らせたような(笑)、シャルル。
こぶしに顔を描いて、腹話術なんかやっちゃう。
これぞと思う女性を落とす、彼なりのニクイやり方。
とてもシャレていた。
パリでも有名な給仕長であるポール。
その颯爽として、しなやかな仕事ぶりに、女性客が増えるのも店側としては嬉しいもの。
高級レストランともなれば、このぐらいの徹底ぶりは当たり前なんでしょう。
ずさんなサービスをしているところも結構多いし。

ブルースの強行により、プリンセス・アイリーン号は悪天候の中、船路を進める。
何故なら、妻とその恋人ポールが乗船していたから。
限りなくこの夫は愚かであった。
タイタニックのような大惨事を予感する乗客たち。
しかし、アイリーンは救助を拒む。
死よりも、ふたりが離れてしまうことのほうが辛かったのだ。

クラシックの醍醐味といえる、しっとりと酔えるような珠玉の名作。 
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慕情 ’55 アメリカ

2007-05-12 | クラシック
チャイナドレスが似合う女優さんてなかなかいないと思うが、この映画のヒロインを演じたジェニファー・ジョーンズは、大人の色香を漂わせながら、実にしっとりと美しく着こなしていた。
’00の『花様年華』のマギー・チャンも同様に、品の良さをかもし出していた。

このチャイナドレス、ちょっと間違えると非常に下品なものとなってしまう。
美しく装うというよりも、日本人の場合むしろ、エッチっぽく見せたいと思う人の方が多いかもしれない。
いや、そういう風に見たいとする輩が少なくないのかも。

ジェニファー・ジョーンズって、見ようによってはエキゾチックな顔をしているから、今回の中国とイギリスの混血という役も、そんなにムリな設定ではないように思う。
全く関係ないが、実際、アグネス・チャンさんよりも、ジュディ・オングさんのほうがチャイナドレス似合ってます。

本作品は、チャイナドレスがどうのという話ではない(笑)
愛がどれほど素晴らしいか、である。
ジェニファー演じる、ハン・スーインの恋人マークが、彼女に送った手紙の中でこう記していた。
「人生の最大の悲劇は、愛を知らないことだ」

某誌のアンケートで、「愛のない人生とは?」との問いに、「不毛の地のようだ」と答えた人がいたが、まさしくそうだろう。
原題と主題歌『Love is a many splendored thing』のとおり、やはり愛は素晴らしいのである。

だが、いかなる愛も・・・と言ったら、それは美化しすぎだろうけど。
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幸福なる種族 ’44 イギリス

2007-03-03 | クラシック
巨匠デヴィッド・リーン監督が描いたファミリードラマ。
1919年から20年間の、ある一家の出来事を時間の流れと共に紡いでいく。
時代背景は違えど、ごく普通の家族の日常は今も昔も変らない。
いつの時代も親は子を心配し、母は家事で忙しく、時折、家庭内でくだらない言い合いをしたり。

子供たちの成長と共に、幸せな時間(とき)はやってくる。
逆に、辛い時期もある。
だが、不幸の波を乗り越えていけるのも家族があってのこと。

個人的に感銘を受けたのが、父親が息子の結婚式当日にしたある忠告。
これがいい話だった。
今でも(いや、時代は関係ない)大黒柱になる息子にこういった話を聞かせたら、身が引き締まるんじゃないかな。
親父に言われれば、男たるもの「そうか」って。

気を揉んでばかりの母親を演じていたシリア・ジョンソン。
何となく狆に似てて、決して器量のいい女優さんではないのだが、彼女が作品を引っ張っていっていたのは間違いない。
翌年の『逢いびき』でも、同監督と組んでいる。
何とも不安げな表情の似合う女性(ひと)である。

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オペラ・ハット ’36 アメリカ

2006-09-04 | クラシック
’30の『モロッコ』では、マレーネ・ディートリッヒの影になってしまっていたゲーリー・クーパーだが、本作品では堂々たる主役を演じている。
以後、彼は二枚目俳優として活躍してました。

アメリカ人だが、幼少の頃イギリスで教育を受けただけあって、立ち居振る舞いがとてもスマートな俳優である。
単なる長身で終わることなく、洗練されたその仕草は、当時の日本女性が沸き立っただけのことはあろう。

大資産家が亡くなり、世間では、相続人は一体誰なんだ?と大騒ぎ。
それが田舎で暮らす、甥のディーズであることが判明。
記者や政治関係者たちが動き出す。
遺産はなんと2千万ドル。
ディーズは今までののんびりとした生活から、ニューヨークでの騒々しい暮らしへと一転する。

遺産を狙う強欲な親戚や、まとわりつくマスコミ関係。
毎日、一面に書き立てられるゴシップ記事。
うんざりする中、唯一信じていた女性にも裏切られたと思い込んだディーズは、ひとりの男の話をきっかけに、ある決断を思い立つのだが・・・

長身でルックスもいいお金持ち。
知性があり、ユーモアも多少あって、センスもよい常識人。
純真で嘘もつかず、言うべきところはガツンと言う。
子供っぽいところもあって、ちょっとケンカっぱやいけど、思いやりがあって優しいディーズ。
今時少女マンガの中でも存在しないであろうキャラだが(笑)、女性にとっては永遠の王子様像なんだろうなぁ。 
 
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