アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

キー・ラーゴ ’48 アメリカ

2007-09-30 | アクション
トレンチコートが似合う男、それはハンフリー・ボガート。
一般的に言われているけど、本当にそうなのかなぁ?
スタイルもいいとは言えないし、アメリカ人にしては顔が大きいし。
ハードボイルド男優の代表ともいえる彼だから、余計なコトだろう、個人的な見解は(苦笑)

そんなボギーの妻であった、これまたハードボイルド女優のローレン・バコールとのゴールデンカップルの共演。
正直言うと本作品よりも、’46の『三つ数えろ』(レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』の映画版)のほうが好きなんだが(こちらのふたりのほうが魅力あり)、ただ単に、タイトルが気に入ったのである。

フロリダ半島沖は、小島が数珠つなぎになっていて、その中で一番大きな島がキー・ラーゴである。
キー・ウエスト行きのバスから降りたフランクは、亡き戦友の遺族が経営するホテルに赴く。
だがそこには、まるで占拠したかのように、怪しげな男たちがはびこっていた。
彼らは「客だ」と言い張るが、実は悪名高いギャングの一味であった。

「俺の人生は、考えることとやることが逆のことが多い。 理性が負けてしまうのさ」
優柔不断な者のセリフに聞こえても、ボギーが言うと、“硬派な男”になるから不思議だ(笑)
緊張感漂う中、フランクは奴らを撃退すべく、ある賭けに出る。
ここで考えていてはいけない、行動あるのみ。
守らねばならない人たちがいるではないか。

ボギーのとっつぁんと、クールビューティなバコール。
同じニューヨーク出身で、意外にも似た者夫婦であったようで、年の差を感じさせない、映画界の中でも素敵なカップルでした。

ロード・トゥ・パーディション 2002年 アメリカ

2007-09-26 | ドラマ
復讐劇の中で見せる父子愛がテーマのこの作品・・・なのだが、どうもちょっと・・・。
かじりかけのハンバーガーのような、氷が溶けて薄まったアイスコーヒーみたいな、何となく中途半端な感を否めない。

先が読めてしまうからなのか?
いや、どうも違う。
この妙な感覚は、トム・ハンクスが原因だったようなのである。
ベテラン俳優ポール・ニューマンと、怪演が見事にハマっていたジュード・ロウにはさまれ、主演であるにもかかわらず、どうにも重厚さに欠けていた。

ラスト近く、浜辺で犬と戯れる息子を眺めるシーン。
ここでのトムはまるで、『キャスト・アウェイ』を彷彿させるかのようであった。
そこで考えてみた。
ここ最近の彼は、コメディから離れ、シリアスものばかり出演している。
彼の場合、シリアスな作品は、’99の『グリーンマイル』あたりで止めておいたほうが
よかったのではないか、と。
それ以前の、オスカーを連続受賞した頃は、重いテーマながら表情が活きていたのだが、ここ数年の作品では、何だかみんな同じ演技に見えてしまう。
眉間にシワをよせればいいってもんでもないだろう。

『フィラデルフィア』や、先の『キャスト・アウェイ』など、役によって体重の増減を難なくこなしていたのは、ロバート・デ・ニーロにも負けていなかった。
しかし気を抜くと、たちまち粗が見えてくるところが、俳優業のコワイところである。

恋する遺伝子 2001年 アメリカ

2007-09-18 | ラブ・ストーリー
以前にも述べたが、意外な女優がコメディに挑戦すると、結構マルだったりする。
そのいい例として、本作品でラブコメに進出(?)したアシュレー・ジャド。
お堅い弁護士や、いぶかしげな女の役などが多かった彼女だが、初めてとは思えないコメディエンヌぶりだった。

彼女のシンプルなファッションや、さり気なく自在に変えるショートヘア。
それらが颯爽としていて、でもキュートで、働く女性たちに参考になるスタイルかも。
マリサ・トメイとのガールズ・トークも楽しい。

失恋の痛手からジェーンは、ふと目にした記事から一つの理論を打ち出した。
それも、“人間の♂は、雄牛と同じ。”
繊細な心をもつ男性陣から、「牛なんかと一緒にするなぁ!」と怒られそうだが、一理はあるかもしれない(笑)

生物学的に言ってしまえば、そりゃあ♂は、あちこちに子孫を残そうとする“本能”があるからして、失恋直後の彼女としては、同僚でプレイボーイのエディを横目で見てると、そう感じてしまうのかも。
でもジェーンの思い込みをよそに、実はエディ、心はとってもナイーブで傷つきやすいヒトなんだけど。
冒頭、パスカルの言葉が映し出される。
「感情には、理性では計れない理由がある。」
ううむ、何とも深いお言葉・・・

原題は、『Someone like you』だが、ジェーンがあみ出した恋愛論から付けられたであろうこの邦題。
個人的には悪くないんじゃないかな、と思う。
だって恋をしなきゃ、遺伝子だって残せないんだしね?

ゆれる 2006年 日本

2007-09-05 | ドラマ
ビリー・ジョエルのヒット曲に、『ストレンジャー』という歌がある。
「誰もが永久にひた隠す、もう一つの顔をもっている。 それが“他人”であっても、みんなその仮面をつけてみたいと思っている」

兄・稔(みのる)と弟・猛(たける)は、“他人”という仮面をつけたり外したりしながら、お互いの心を探り合っている。
一見仲が良さそうな二人が、実は妬み合い、嘘を重ねていく。

「初めから疑って、最後まで信用しない、それが猛なんだよ!」
温厚な兄が逆上し、それこそ本音を出したシーン。
何かがふっ切れたような表情の弟。
この二人を見ていると、空恐ろしくなってくる。
こんなにも自分をひた隠して、今まで他人になりきっていたのか、それともその逆なのだろうか、本当の自分はどちらなのか・・・
一体、この兄弟は、どこでねじれてしまったのだろう。

亡き母が保存していた、幼い頃の二人の映像。
そっと弟に手を差しのべる兄の姿を見て、猛は愕然とする。
「兄ちゃんは、やっぱり兄ちゃんだったんだ」
そんな思いを胸に、兄のもとへと走り出す猛・・・

稔を演じた香川照之が、洗濯物をたたんでいるシーン。
あの背中は、心をもまで映し出した名演技だった。
しかし何より、この作品を撮った西川美和監督の、類まれな才能には本当に驚かされた。
〈兄弟と幼なじみの女性〉とくれば、大概、三角関係になるというパターンが多いのだが、あえて劇中で表沙汰にさせなかったのはさすがである。
もしそうしていたら、チープなものになってしまうと予見していたのかもしれない。
だからこそ、法廷でのあの“芝居”が際立ってくるのだ。

繊細に二人の奥底を描き出した彼女の才能に、俳優陣が嫉妬したというのも分かる気がする。