アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

ボルベール 〈帰郷〉 2006年 スペイン

2008-01-26 | ヒューマン・ドラマ
ペネロペ・クルスがよかった。
久し振りの母国での撮影とあって、生き生きと、実に輝かしい演技を見せてくれた。
近年、ハリウッドでの活動が続いていた彼女ではあったが、こうしたヨーロッパ作品では、まるで水を得た魚のようである。
アメリカでは言葉の壁にも苦労したらしいが、米・欧映画と見比べてみても、後者のほうが、ずっと彼女らしさが出ていると思う。

’99の『オール・アバウト・マイ・マザー』と同様に、本作品も〈母親〉を意識した映画である。
母の無償の愛、切っても切れない親子の絆、母親と娘の葛藤をもあからさまに表現していた。
何があろうと、あなたは私の娘。
いつまでも、ママはわたしのママ。
それは、永遠に変わることはない。

『オール・アバウト~』を観たときに、原色の赤が際立っていたのがとても印象的で、今回の作品でも、この演出が見事に効いていた。
カラフルな配色が、まるでスペイン絵画のようでオシャレ。

話は前に戻るが、今回のペネロペの演技は、往年のイタリア女優、ソフィア・ローレンを見ているようだった。
強くて勝気でセクシーで、でも働き者で気丈な女性、ライムンダを演じたペネロペはまさに、ソフィアのような堂々たる貫禄であった。

猿の惑星 ’68 アメリカ

2008-01-20 | SF
SFはその言葉のとおり、空想科学のお話であって、創り手にとっては想像力の膨らませがいがあるってものだろう。
だが、そこはきちんとした辻褄合わせがないと、ただのガラクタ同然となってしまう。

本作品での特殊メーキャップ技術は、非常に素晴らしい出来映えであった。
60年代でこれほどのものを見せたというのは、さすがハリウッドである。
これを機に、アカデミーの〈メーキャップ部門〉ができたというのだから、その影響力は殊更強い。

この映画は、観る度に違った印象を受ける。
それは、年代と共に変化していく。
人間と猿族の関係 ―― 人間は彼らにとって、下等動物だという立場上の逆転。
人類は滅び、猿族が事実上、地球を支配する。
では何故、人類は滅びていったのか。
’60の『タイム・マシン』と類似する点がいくつかあると思うのだが、今にして彼らの言うことが、じくじくと胸に突き刺さるのである。

「人間が、全てを破壊していった」

20年近く前に観た頃は、差ほど恐怖は感じられなかった。
ただ今の時代、地球はどんどん壊れかけている。
戦争は今もなお、核も含め続いている。
温暖化やオゾン層の破壊、生物の染色体の異常・・・
環境破壊が進む現実を、ゴアさんがカメラに収めた『不都合な真実』で言っているように、地球を存亡の危機に陥れる要素は存分に備わっている現状を考えてみれば、これはいよいよフィクションでは済まされなくなってくるかもしれない。

そんな現実的な空想とは裏腹に、氷河期に恐竜が絶滅したのと同様に、いつか人類も滅び、果ては得体の知れない生物が生まれ、この星を征服していくのではないかと思い込ませるような映画があるから、それはそれでまた、イマジネーションが膨らむのである。

ゴスフォード・パーク 2001年 アメリカ

2008-01-12 | ミステリー&サスペンス
古典劇の殺人ミステリーとくれば、アガサ・クリスティを思い浮かべるのだが、その類とはまた異なり、本作品では単に謎ときを重立たせているわけではなく、ヒューマン・ドラマの要素もしっかりと際立たせているところが秀逸である。
ロバート・アルトマン監督も、「これは殺人者探しの映画ではない」と語っていた。

アルトマン作品は、とにかく出演者が多いのが特徴。
サスペンスものは初めて、と言っていたが、「あれ? そうだっけ」と勘違いしてしまうのも無理はない。
他作品を観ても、まぁ、出てくる出てくる、次から次へと新たな顔(役者)が。
「彼女は誰だったっけ? あぁ、そうだった。 で、彼は? えっ、こんな人いたっけ?」
配役の顔と、劇中の名前を記憶しておきながらストーリーを追うのも大変なこと。
大勢が物語の中で錯綜しまくるので、サスペンスじゃなくても、何だかミステリーに思えてきてしまう(笑)

イギリス ―― 田園風景が広がる中に建つ壮大なカントリーハウスに、上流社会の有象無象が集う。
階下では、彼らの使用人たちが、階上のゴシップに耳をそばだてながら雑用に追われていた。
そして、事件は2日目の夜に起こった。
屋敷の主人が殺されたのだ。

曲者だらけの貴族たち。
金があれば、人の心などどうでもいいという人間ばかり。
自分の主(あるじ)には徹頭徹尾従う使用人たちもまた、叩けば埃が出そうな者たちばかりであった。
対をなす上と下の社会。
決して混ざることはない、歴然たる関係。

米映画につきものの、どこかテレビ・ドラマチックな展開が皆無な彼の作品は、他と比べても非常に現実的である。
要するに、“作られて”いないのだ。
そのものズバリ。
ラストはたいてい何事もなかったかのように、パァーっと散っていく。
まとめ方が本当に見事だった。
彼の新たな作品が、もう観られないのは実に惜しい。

ニューヨーク・ストーリー ’89 アメリカ

2008-01-04 | ドラマ
三人の監督が、それぞれニューヨークを舞台に撮ったオムニバス。

第一話 〈ライフ・レッスン〉 by マーチン・スコセッシ

若い女性なしでは生きていけない、有名どころの画家。
22才の、助手として同棲していたカノジョに愛想をつかされた彼は、次なるミューズを見つける。
「君もアーティストかい?」
「わたしは、ただの絵描きよ。 あなたのようになれたら・・・」

第二話 〈ゾイのいない人生〉 by フランシス・フォード・コッポラ

子どもを主人公にした、コッポラ監督の意外にも可愛らしい作品が観られるのも、オムニバス映画の特権か。

両親が各国を周っているため、小学生の女の子ゾイは、超高級ホテルの一室で暮らしている。
世界的有名なフルート奏者の父とはなかなか会えないゾイ。
母親は夫婦仲がよろしくないため、あえて旅をしながら、写真を撮ったり、本を書いたり、自由気ままに暮らしている。
親子三人が顔を合わす日は、一体いつになるのやら・・・

第三話 〈エディプス・コンプレックス〉 by ウディ・アレン
Oedipus complex ―― 母親と息子との間に潜在する思慕。

50才にもなる息子に、未だにあれこれと口を出す老母。
生後6ヶ月の頃の息子の写真をバッグに入れ、大切に持ち歩く。
婚約者を連れてきても、大反対。
突然オフィスを訪ねてきたり、人の事などお構い無しの、超マイペースな母親の存在が疎ましくなり、カウンセリングを受ける息子。
そして怪しい霊能者を紹介されるのだが・・・!

ラストを締めくくったウディ・アレンの作品はおもしろかった。
母親から見れば、息子は幾つになっても可愛いものだし、まして連れてくる相手ともなれば、色々と言いたくなるのも分かる(笑)
「親の意見となすびの花は・・・」って言うけど、ま、間違ったコトは言ってないよね、このお母さん。
うるさすぎるのは年のせいとして、大目にみてあげましょうよ。