アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

第三の男 ’49 イギリス

2005-10-29 | ミステリー&サスペンス
40年代に、これほどの秀作を生み出してしまったのは、一種の罪ではないかと思ってしまう。
英映画界では尚更のこと、映画好きたちをも唸らせた、芸術性の極めて高いこうした作品を作り出すのは、容易なことではない。

’41の『市民ケーン』で天才振りを発揮した、オーソン・ウェルズ。
なぜか二枚目になりきれない、ジョゼフ・コットン。
キリリとしたまなざしの美しさと、強烈な存在感を残したアリダ・ヴァリ。
名優ぞろいに凝ったサスペンス。
そして、なんといっても絶妙なカメラワーク!
どこをとっても大当たりといった、素晴らしい映画である。

テーマ曲(BGMも兼ねている)のアントン・カラスが奏でる、チターの名曲も実に合っていて、一層、物語を引き立てている。

モノクロならではの良さも痛感する。
名場面のひとつとされるラストシーンも、モノクロだからいいんだろうな。
地下水道での追跡シーンも、カラーだったらイメージ的に、大きくマイナスとなっていただろう。
不思議とモノクロだと、光と影との調和が、ものすごくミステリアスに撮れていいんだよね。
視線とかも。

内なる魅力を浮き立たせる、カラー作品では絶対に出せない趣向である。 

シッピング・ニュース 2001年 アメリカ

2005-10-24 | ヒューマン・ドラマ
ひどく重い映画である。
原作本の『港湾ニュース』では、ピュリッツァー賞を受賞しているそうだ。
映画自体、内容云々よりも、個人的には配役に注目したい。

主人公クオイルをケビン・スペイシー。
’95の『ユージュアル・サスペクツ』で大注目の俳優である。
彼の優れた演技力には驚かされたが、近頃ではどうもパッとしないように感じられる。
なんだか中途半端な役ばかりで、損をしているように思えてならない。

クオイルの妻、ぺタル役のケイト・ブランシェット。
彼女は女性版ビリー・ボブというか(笑)、作品ごとに違ったキャラしょって出演する、七変化女優である。
’98の『エリザベス』でのエリザベス一世から、本作品のどーしよーもない女まで、イメージを固定させず、幅広い演技を見せてくれる稀有な女優さんだ。

ジュディ・デンチは存在感あっていうことなかったし、ジュリアン・ムーアの抑えた演技もよかった。

ニュース紙のインク係だったクオイルが、叔母の意向で祖先の故郷である島へとやってきて、地元新聞社で再就職をし、いきなり文才を発揮して一面を飾ってしまうのがスゴイ。

人が人を変える。
環境で人も変わる。

Headline(見出し)は非常に重要であり、また記者のセンスがものをいう部分でもあるが、考えてみると、日本の場合は直接的で、あまり隠喩を使わない。
「大嵐、家を奪う」
表現法を比較してみるのも面白いものだ。 

トスカーナの休日 2003年 アメリカ

2005-10-19 | ドラマ
可憐な少女時代から、役にも恵まれ周囲からもチヤホヤされた青春期。
そして今、大人の女性として華やぐ・・・ともいい難いダイアン・レイン。
前にも述べた『デブラ・ウィンガーを探して』で、「40代になって、役柄には非常に厳しくなってきている」と、正直にコメントしていた。
昔の彼女だったらプライドが許さなかったであろうことだが、大分そういったところは円くなったんでしょう。

彼女扮する作家のフランシスは、傷心の中、友人の勧めでイタリアのトスカーナへと旅に出る。
そして偶然見かけた古い屋敷を気に入り、衝動買いをしてしまう。
結局アメリカには戻らず、そのまま、ここトスカーナで新たな生活を始めていく・・・

家中をリフォームする奮闘ぶりや、お約束のイタリア男との恋。
そして様々な人との交流を交えながら、フランシスの心の変化を見るのが楽しい。

女性なら、彼女のこうした思い切りのよさに、尊敬と羨望が重なり合うことだろうが、完全な自立とお金と勇気がないと、ちょっとやそっとじゃ無理だろうけどね。

思いどおりの内装と庭、そして玄関口にあるレトロな水道(これがまたイタリア的でいい!)から、水が勢いよく流れ出した時の、彼女の表情から「あたし、やったわ!!」って、溢れんばかりの情感が伝わってくるようだった。

風景もこの映画の見どころなのだが、ややカメラワークが甘かった。
ダイアン・レインのプロモーションビデオじゃないんだからさ。
あ、もしかしたら、それが狙いだったのかも!?(笑) 


ニノの空 ’97 フランス

2005-10-16 | ドラマ
男女の脳の違いにより、女性は現実的で、男性はロマンティストであるといわれる。

ここに出てくる二人の男たち。
スペイン人のパコと、自称ロシア人のニノ。
ひょんな珍事件(?)から、二人の友情が始まる。

知り合った女からパコは手紙を渡される。
あなたの愛情を確かめたいの、と。
3週間旅に出て、その間、絶対に連絡をしてこないで、と。
旅から戻ってきたときに、お互いの大切さがわかると思うから、と。

ふむ、パコは試されたわけだ。
彼は素直に、ニノと一緒にあてもない旅に出る。

旅先でのパコは女性たちの人気者。
だがニノの方は、気に入った女からも相手にされない。
「俺はなんでいつもこうなんだ!」
ついにキレてしまったニノに、パコはある方法を提案する。
「こうすれば、きっと理想の女性に出会えるぞ」

この作品は、二人の交流に焦点をあてており、温かみを感じさせる場面が幾度となく出てくる。
単調ながらも、本音の詰まったセリフが奥深い。

そこそこの自信家であるパコが、3週間後には神妙な顔になっていた。
一方で、まったくの三枚目のニノが、真実の愛を求めさすらい、辿り着いた場所とは・・・

気を張っている時よりも、自然体でいるほうが、案外うまくいったりするものなのかもしれない、ニノのように。 

アンジェラの灰 ’99 アメリカ・アイルランド

2005-10-11 | 伝記
1930年代、大恐慌の嵐にあったアイルランド。
日々の食糧を確保するのも大変な時代であった。

苦境の中で、ただ耐えるしかない厳しい現実に、気丈に振舞う母、アンジェラ。
だが、栄養不足で死んでいく子供たちの惨状には、さすがの彼女にも限界があった・・・

彼女を’96の『奇跡の海』で女優魂を見せつけた、エミリー・ワトソンが演じている。
カマトト顔にしては、たいそうな演技派である。

これがデビュー作という、フランク・マコートの半自伝小説(ピュリッツァー賞受賞!)を映画化した本作。
かなり原作本に忠実な仕上がりとなっていた。

実話なだけに、本当に苦しい時代を生き抜いてきた彼らには、頭の下がる思いである。
しかし、ここに出てくるマコートの父親というのが、全くの甲斐性なしであって、それだけ母であるアンジェラの戸惑い、そして苦悩する姿が、この映画に活かされているわけなのだが・・・

’05の『シンデレラマン』のような父親であったら、マコートは果たして自伝を書く気になったかどうか・・・
そこのところは、分からない。 

少女の髪どめ 2001年 イラン

2005-10-06 | ドラマ
この映画をもし男性が観たら、子供の頃の淡い初恋や、ちょっぴり切なかった想いをふと思い出すかもしれない。

建設現場に新たな労働者としてやってきた父と子。
その少年に仕事を取られてしまった若者、ラティフ。
荷物も満足に運べない少年を、彼は足手まといだと言わんばかりに冷たくあしらう。

ある時、ラティフは歌声を耳にする。
その声のもとに目をやると、なんとあの少年であった。
しかも長い髪をくしでとかしている・・・!

そう、実はお金を稼ぐために、女の子であることを隠して働きにきていた、アフガン難民の少女だったのである。
イラン映画お得意の、子供の健気さ再び、である。

その事実を知ってから、彼はほのかな恋心と共に、何かと少女を助けるようになる。
だが、突然、父と娘はその場を去ることになってしまい・・・

一度も言葉を交わすことのなかった彼らが、何とももどかしい。
少女を追ってゆくラティフの真っすぐな想いが、また、いじらしいのであった。 

昨日・今日・明日 ’63 イタリア・アメリカ

2005-10-02 | コメディ
伊映画界の名コンビ(!?)、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンによる3話の色恋喜劇。

この二人、多くの作品で共演している。
一緒に出演した最後の作品は、’94の『プレタポルテ』だったかな?
でも何と言っても彼らの代表作といえば、’69の『ひまわり』だろう。

さて本作品では、それぞれが独立した話であり、全く別のキャラクターを二人が演じている。
続けて同じ俳優の異なる演技が観られて、なんだかちょっと得した気分になってくる。
二人とも名優なだけに、どんな役でもサマになっているんだよねぇ。

3話とも共通しているところは、ソフィアの気性の激しさと、マストロヤンニの優男ぶりだろうか。

第1話の、マストロヤンニのやつれた目の下のクマは必見である。(笑)
ツライね、お父ちゃんは。
第2話の、ソフィアのある意味ぞんざいな態度に閉口というか、あまりの厚かましさにあ然。
そして、第3話で服を脱いでいくソフィア。
こちらのシーン、約30年後の先の『プレタポルテ』で、同じ場面をパロッてます!