アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

十二人の怒れる男 ’57 アメリカ

2009-11-25 | ドラマ
裁判員制度が始まって、半年余りが経つ。
新聞記事やニュース等から、裁判員になった方たちがかなりのエネルギーを要したことが分かる。
人を裁くことの難しさ。
それは実際に経験してみないと、なかなか実感がわかないかもしれない。

本作品は名作の一つに数えられているが、それに異存はないだろう。
陪審員たちの討論だけという中身を、これほど緊迫したドラマにしてしまったシドニー・ルメット監督の非凡な才能には驚く。
故黒澤明監督が、イランのキアロスタミ監督のデビュー作品を観て、「天才は最初から天才だ」と語ったそうだが、ルメット監督にとって、この映画はデビュー作である。

父親殺しの容疑者である少年に対し、ほぼ全員が有罪としていた。
12人中1人だけ、無罪を主張。
「その殺人には疑問が残る。 うやむやなまま少年を電気イスに送るわけにはいかない」
評決は、全員一致でなくてはならない。
無罪をとおす陪審員以外は、当然納得がいかない。
「なぜだ! 証人も言ってるじゃあないか、殺すところを見たと!」

偏見、思い込み、決めつけ、これらを払拭し、時に証人の心理まで洞察しなければならない。
状況をひとつひとつ丹念に把握し、証言を聞き逃してはいけない。
相当な集中力と判断力が必要となるだろう。

’96の『評決のとき』も、とてもよく出来た映画だと思うが、終盤で陪審員による偏見が覆されるシーンは溜飲が下がる思いであった。
ここでは、弁護士の手腕が見事に描かれていた。

容疑者の少年の弁護士は、法廷ではいささか投げやりな態度であったらしかった。
1人の陪審員が説いた“可能性”が、他の11人の意志を変えさせた。
その力は、弁護士以上のものがあったように思う。
      

こわれゆく世界の中で 2006年 イギリス・アメリカ

2009-11-15 | ヒューマン・ドラマ
いまの世界情勢を例えているような邦題だが、本作品のテーマは、「人との繋がり」である。
原題の『Breaking and Entering』は、的を射たタイトルだ。

ウィルは、リブとその娘ビーと10年間一緒に暮らしている。
籍は入れていない。
ビーは精神的に不安定で、リブはずっと娘に心を砕いてきた。
ウィルも、懸命に「父親」としてやってきたつもりでいた。
だが、母と娘の輪に、どうしても自分が入る余地がないと思い苦しむ。
いや、それは輪ではない、檻かもしれない、と。

愛を求めていた・・・と、リブに話すウィル。
自分の設計事務所が窃盗団に荒らされ、ウィルはそのうちの一人の少年に辿り着くと、彼の母親であるアミラを、次第に愛するようになっていく。

アンソニー・ミンゲラ監督は、この作品を15年前からあたためてきたというが、中盤、ウィルとアミラの出会いあたりから、どうも構成が甘いような気がしてならなかった。
自分の愛するロンドンを舞台に、人との関係の脆さや優しさ、強い結びつきなど、さまざまな事を表現したかったことは解るが、どうも「そんな簡単でいいの?」と、逆に問いたくなってしまったのが本音であった。

監督お気に入りのジュード・ロウは、いつもながら女性に挟まれる役柄。
ロビン・ライト・ペン(ショーン・ペンと離婚したから、“ペン”はもう付かないのだろう)は、あのはかなげな感じがいい。
たいていノーメイクに近い様相ながら、ステキだ。
一方で、日陰の女性を演じたジュリエット・ビノシュ。
この人、華はないんだけど、役に入り込んだら抜群の上手さである。
若い頃はファム・ファタルな役も多かったビノシュだが、今はすっかりおばさん役が板について、少し驚いてしまいました。

ファーストフード・ネイション 2006年 アメリカ・イギリス

2009-11-05 | ドラマ
食の安全が問われる昨今、一体何を信じたらいいのか判らなくなってくる。
店内や外装に表示されていることに頼らざるを得ないのだろうが、食の偽装は今では珍しいことではない。
以前にもあったであろう確率は高そうだが、単に発覚しなかっただけかもしれない。
となれば、今までの偽装事件は氷山の一角なのか。
心配される中、我々は毎日、いつものように食事をとっている。

この映画のターゲットは、ずばり、ファストフードの裏側なんだが、ハンバーガー業界を完全に敵にまわしている趣だ。
俗に“ジャンク・フード”と呼ばれるからどうだという類の話ではない。
ずさんな管理は、上層部の耳まで届かないでいる。
本作品は、そういった企業がまだまだあるであろうことに対する警鐘かもしれない。

メキシコから米国へ、、密入国する者たちは後をたたない。
危険を承知で、命がけで国境を渡る。
1ヶ月分を、アメリカでなら1日で稼げる現実が、彼らを立ち向かせる。
だいぶ前に、サンディエゴからティファナへ渡ったことがあるが、あの時ほど、国境の重みを感じたことはなかった。

彼らを待っているのは、大概きつい仕事である。
あらゆる問題を抱えている牛肉加工工場で、不慣れな手つきで仕事にあたる。
利益ばかり追求する企業は、“あらゆる問題”を抱えていようが、見て見ぬ振り、知っていて知らない素振りなのであった。

飽食の時代となった今、1日に何トンもの食材が捨てられている。
偽装も問題だが、食の廃棄も問題である。
せめて殺されていく牛さんたちのためにも、きちんとした加工で、有難く消費しなければ、それこそバチがあたりそうだ。