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アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

アンストッパブル 2010年 アメリカ

2014-10-20 | アクション
過去に『暴走特急』や『暴走機関車』という作品はあった。
原題とは意味合いが異なるが、雰囲気は伝わる。
本作品のタイトルが仮に、『暴走危険貨物列車』だとしたら、なんだか新聞の見出しみたくなってしまっただろう。
『アンストッパブル』、強烈な否定感が伝わってくる。
「誰も止められない!」

危険化学物質を積んだ無人の貨物列車が、一人の整備士のミスで止まらなくなってしまったという、2001年に、アメリカ、オハイオ州で実際に起きた列車事故を基に作られた映画である。
ストーリーもかなり忠実に作られているようだ。
そこへ映像の迫力が加味され、上々の仕上がりとなっている。

監督は故トニー・スコット。
ヒーローアクションものを得意としていたが、'83の『ハンガー』のような異色の作品も撮っていた。
映像の見せ方は、さすがに年季の入った腕前である。

運転手のフランクと車掌のウィル。
ベテランとひよっこ。
対照的な二人が、列車を阻止しようと命をかけて挑もうとするその姿勢が美しい。
事実、彼らはやり遂げるのだ。

CGを極力抑えたという映像へのこだわりは素晴らしく、観る者の心に強く迫るパワーは相当に感じるのだが、登場人物、中でも、若造のウィルの家庭内のゴタゴタをドラマに組み込むってのは、あまりにも陳腐である。
眼中になかった夫の猛進ぶりを見て、そして英雄になった夫を見てコロリと態度が変わるぐらいなら、フツーの夫婦ゲンカ程度でしょう。
訴訟を起こすほどの妻が、夫が確かに列車を止めたからといって、急に許す気になるものかと、そこに疑問がわくのである。

ナイト & デイ 2010年 アメリカ

2014-03-25 | アクション
トム・クルーズとキャメロン・ディアス共演のアクション映画と聞けば、誰しも安心して鑑賞できそうである。
なにせこの二人なのだから。
スタントいらず、なんでも自分で挑戦しまくっている、スパイもんならどんと来い!ってなクルーズである。
『チャーリーズエンジェル』でカンフーも会得し、カッコよく、キモチよく、サービスよく動き回っていたディアスである。
この二人なんですから、お手のもんでしょう。
こなれた演技を見せてくれるでしょう。

むかしのダジャレで「内容が無いよう」というのがありましたが(笑)、まさにこれ、この映画にどんぴしゃであります。
内容が無いんです。
たった一つの〈スーパーバッテリー〉をよこせ、よこさないの話であります。
98%は、泣く子も黙りそうな二人のド派手な活躍攻撃。
やけっぱちな二人に怖いものなし、である。
すべてがクリアされていく、この「絶対にだいじょーぶ!」的な筋書きに対して、なんの文句がありましょうか。

CGの多用に不自然な場面が増長される点は仕方ないとしても、クルーズの、あのスターの印である白い歯はいつにもまして光っていたし、ディアスのオレンジ色のビキニも負けじと輝いていたし、いつでもどこでも元気で陽気な二人を見ていれば、内容なんか無くったっていいんだと、こっちもやけっぱちになっていることにいつしか気づかされてしまう、そんな不可思議なところがこの映画のいいところなのかも。

キャメロン・ディアスには、いつまでもおきゃんでいてもらいたい。
'90の『バード・オン・ワイヤー』のゴールディ・ホーンみたいな、ハチャメチャなアクションコメディが似合う女優でいてもらいたいなあ。
トム・クルーズは、あの固定されたハリウッドスマイル(男性版)を常にたやさず、歯のクリーニングも怠らず、60代になっても、スタローンやその他のみなさんのように、負けじ魂でそのまま貫いていってもらいたいものです。
マンネリなんて怖くはないでしょうから・・・ね。

コンテイジョン 2011年 アメリカ

2013-01-11 | アクション
新型インフルエンザの発生により、世界中が騒然となったのはここ近年のこと。
新たなウイルスが生まれ、ワクチン製造にも時間がかかる。
その間、おびただしい数の犠牲者が確認されることとなってしまう・・・。

逃れることのできない恐怖。
自己保護にも限りがある。
やはりワクチンに頼らざるを得ないのだろう。

ウイルス・パニックといえば、’95の『アウトブレイク』がパンデミックもののはしりだろうか。
あの頃はまだ絵空事のような話だと思っていたが、まさか鶏や豚からもウイルスが発見されようとは。
ちなみに『アウトブレイク』では「猿」から、そして本作品では「コウモリ + 豚」という設定となっていた。

新種のウイルスに人々が振り回され、目に見えない敵に恐慌をきたし、ネット上の偽り情報に右往左往する。
そうした現実を目の当たりにすると、こうした映画はいま観てもさほど驚かない。
そんなことは、いつまた起きてもおかしくないからだ。
ウイルスや自然災害、これから来るであろう大地震にだって、人々はもうどこか冷静にすらなっている。
立ち向かわなければいけないと、心のどこかで感じているのかもしれない。

この映画では、ウイルスの恐ろしさというよりも、俳優陣の名前で宣伝していたように思えてならない。
グウィネス・パルトロウ、マット・デイモン、ケイト・ウィンスレット、ジュード・ロウ、マリオン・コティヤール。
なんでも、アカデミー受賞歴(ノミネート含)アリの人たちを集めたようであるが、はっきりいえば、これらの役は誰が演じてもよさそうなものだ。
いまやウイルス・パニックを前面に出したとて、まったく興味をひくような話ではない。
そうなると、俳優たちの「顔」でしかない。

というわけでこの作品はパニック映画ではなく、「顔見せ映画」になってしまったという、ソダーバーグ監督作品にしては、ちょっと拍子抜けであった。

ディパーテッド 2006年 アメリカ

2010-09-13 | アクション
本作品が公開された当時、「ああ、またリメイクか」とうんざりだった。
しかもそのオリジナルが、’02の香港映画『インファナル・アフェア』だと知って余計に腹が立ったのであった。
そして観てみれば(正直あまり観たくなかったが)、「ああ、やっぱり」と嘆息したのだった。

『ディパーテッド』が悪いとは言っていない。
これはこれでよいと思う。
残念に思うのはオリジナル版があるからなのであって、あの香港ノワールの、男の汗が染み込んだ作品をアメリカに移し替えてというのはどうしたって違和感が残る。
トニー・レオンが扮した役にレオナルド・ディカプリオを充てたというのが哀しかった。
スコセッシ監督はディカプリオがお気に入りだから仕方ないか。

一方で、アンディ・ラウとマット・デイモンはどことなくお堅そうで、タイプは違えど、なるほどねって思いながら観ていましたが、デイモンは最近出演作が多いように感じる。
だが、なぜかみな同じに見える。
彼はどの作品でもハーバードを卒業したての(実際は中退らしい)、こざっぱりとした風体なのである。
もう少し変化させてもいいのではないか。

同じリメイク作品で『リプリー』(オリジナルは『太陽がいっぱい』)の彼は、なんとアラン・ドロンを、じゃなくて、ドロンが演じた役に相当する犯罪者に扮していたが、これは〈デカプーがトニーを〉の哀しさ以上のものがあった。
オリジナルが素晴らしいからと安易にリメイクする昨今であるが、配役は慎重に検討してもらいたい、そう一映画ファンとしては思うのである。

オーシャンズ13 2007年 アメリカ

2010-07-13 | アクション
これまで、シリーズものとして世に出た映画作品は数多くあるが、2作目で止めておいたほうがよかったのでは?と思わされてしまうものも結構あった。
柳の下のドジョウを狙おうとする気持ちはわからなくもないが、2作目もヒットしたからといって、はいはい3作目も・・・と予想通りにいくのはなかなか難しいだろう。(もちろん、前作をしのぐほど素晴らしいものもあるにはある。)
そういった意味では、TVシリーズのほうが面白いかも。

2作目も当たった!となれば、当然3作目が制作されてもおかしくはない。
しかし残念なことに、ここにきてなぜかコケてしまったものも少なからずあるのも事実。
個人的には、本作品もその中の一つだと考えてしまうのである。(興行的にはよかったのかもしれないけど。)

今回、アメリカでは人気の衰えないジュリア・ロバーツは出演せず、じゃあ誰が?というと、なんとエレン・バーキン。
こっち側ではなく、あっち側で。
ハリウッド女優ならではの完璧なプロポーションで、まだまだ現役よ!とばかり、なんとも意欲的な演技ではありましたが、あの程度の役柄で、どうも彼女にしてはもったいない感じがしたのである。
アル・パチーノも、なんだかかわいそうだったなぁ。

なんてったって、これはクルーニーとブラピの映画であるから、大御所でもなんでもさしおいて、彼らが光ってなけりゃ意味がないのだろう。
でもその二人も、今回は出番が少なくなかったか?

面白くないわけではないのだが、ほどほどに飽きてはくる。
それはどうしてか。
“仲間”が多すぎるからだ。
『ルパン』や『スパイ大作戦』とは違って人数が多いためか、それぞれの個性が散漫になってしまうのかもしれない。

「じゃあ、また」と言って、空港で別れる二人。
「また」ということは、次もある!?
オーシャンとその仲間たちが、某メンバーのようにどんどん増えていって、それこそ誰が誰だかわからなくなっていったら、それはもうギャグでしょう。

ダーティハリー ’71 アメリカ

2010-04-17 | アクション
「何を考えているかわかるぜ。 6発撃ったか、それとも5発だったか。 実は、俺も数えちゃあいなかったんだ」
マグナム44を敵に向けながら、倒れた犯人にそう話しかけるハリー。
落とした銃を奴が拾うかどうか。
運が試される瞬間。

強引な捜査で、なにかと問題を起こすサンフランシスコ警察殺人課のハリー・キャラハン。
彼は自分に正直であった。
ねじくれ曲がったことは我慢できない。
検事や法律にも食って掛る姿勢は、被害者を憐れみ、容疑者を許すべからずの勧善懲悪。
いつでもバッジを外す覚悟で、危険な捜査に挑んでいた。

『ダーティハリー』1作目は、異常連続殺人のはしりといえる、緊迫した犯罪アクションである。
5作目まで、それぞれに工夫をこらしたテーマをおき、シリーズものにしてはマンネリ化せずに成功した作品であろう。

犯人の要求した金を運ぶハリー。
指定場所近くの公衆電話が鳴り響き、息せき切りながら走り込み、受話器を掴み取る。
敵は含み笑いをしながら、次の指定場所を告げる。
「走れや走れ、刑事さん」
今ではまず見られない光景だが、昔の刑事ドラマ、例えば『太陽にほえろ!』なんかで似たような場面があったように思う。

細身のスーツにサングラス。
やや猫背気味になった今と違い、姿勢もピシッとしていた。
額のシワは、この頃のほうが多かったか?(笑)
なにより風にゆれる豊かだった頭髪が、年月を感じさせてくれる。

トラ トラ トラ! ’70 アメリカ

2009-10-28 | アクション
1941年12月8日(現地時間7日の朝)、日本軍は真珠湾を奇襲攻撃した。
これにより、米側の戦艦アリゾナをはじめ、多くの軍艦が撃沈、破壊した。
これが太平洋戦争の、悲劇の始まりとなってしまったのである。

「ニイタカヤマノボレ」
戦闘開始の合図で、日本海軍の空母からは、真珠湾を目指す機体がいっせいに飛び立つ。
現地では日曜の朝を迎えようとしていた。
とりたてて、人々は慌てる様子もない・・・

連合艦隊司令長官山本五十六は、対米戦争回避論者で、太平洋戦争の開戦には反対していた人物であった。
だが、東条英機をはじめとする軍部の意見には逆らえない。

「トラ トラ トラ」
攻撃成功!の声に、日本軍は歓喜にどよめく。
そんな中、五十六は沈痛な面持ちであった。
宣戦布告の通達が、アメリカ側に届く55分前に攻撃を始めてしまっていたことを知り、これからの長い苦しみを予見していたからである。

かつて冷戦時代における、米・旧ソ連の対立。
すんでのことで、第三次大戦勃発となるかと恐れられていたところ、故ケネディ元大統領の手腕で、見事回避できたのであった。
戦争前の日米交渉が決裂寸前だったとはいえ、軍部の意固地さには嘆かわしいとしか言いようがない。

テキーラ・サンライズ ’88 アメリカ

2009-08-29 | アクション
ここのところ、だいぶ前に観た映画を改めて鑑賞し直している。
で、かなり内容を忘れてしまっているものも多く、今回の作品も、なんとラストシーンしか覚えていなかった。
やはり記憶というものは、押し出し方式なのだろうか(苦笑)。

『テキーラ・サンライズ』とはシャレたタイトルだ。
まったくどうでもいいことだが、個人的に好きなカクテルでもある。
あの見事な色合い。
サンライズとはよくいったものだ。
サンセットでもいいんじゃないか、と思うかもだが、サーブされたときのグラスの中の色は、やはりサンライズなんである。
あのグラデーション、絶妙である。
あと語呂も、テキーラ・サンセットだと、どうもピタリとこないだろう。

メル・ギブソンにカート・ラッセル、そしてミシェル・ファイファー。
いまでみれば、大御所たちの共演であった。
うわあ、メル・ギブソン若っ!
彼もよきパパ、よきダンナのイメージが強かったが、今ではそれも崩壊してしまったようだ。
かつての主演スターだっただけに、若いカノジョは必需品なのだろうか。

ミシェル・ファイファーは今も昔も、正面よりも横顔のほうが美しいことには変わりありませんね。

ブラック・レイン ’89 アメリカ

2009-04-10 | アクション
故松田優作の遺作となった本作品で、彼の鬼気迫る演技に皆が驚かされたことだろう。
アメリカ作品にしてはよくある日本の“ありえない”描写も気にならず、大阪という舞台を華やかに前に押し出し、トラック野郎さながらの派手さもつけてのサービスぶり。
リドリー・スコット監督は、よおく事前に勉強したのだろう。(仁義シリーズとか、よおく研究したんだろうなぁ。)

高倉健&松田優作、マイケル・ダグラス&アンディ・ガルシア。
これら日米俳優の顔合わせなど不可能に近いほどのキャスティングであった。
高倉の健さんと優作の名演技に、かのダグラスは、完全にくわれてしまっていたかのように見えた。
改めて、この二人の偉大さに気づかされた思いがした。

’80の『野獣死すべし』で、奥歯を抜いてまで役作りをした松田は、以降静かな演技が多かった。
サングラス、革ジャン、おちゃらけな彼を見ることが極端に少なくなってしまった。

ここでは病魔に襲われ、痛みに耐えながらの仕事だったそうだが、そんなことはみじんも感じさせないすごさだった。
圧倒的な精神力、気迫に満ちた激しい演技でこの作品に挑んだことは、松田優作らしくてよかったと思う。

パルプ・フィクション ’94 アメリカ

2009-03-29 | アクション
「シェークが5ドルもするのか!?」と、ヴィンセントが驚いていた。
確かに、「たかがバニラ・シェークに?」と、思う人もいるかもしれないが、日本でなら、それなりにありそうである。
しかしアメリカだと、それは普通ではありえないだろう。
「バーボンでも入ってるんじゃないのか?」と訊いていたが(笑)、ミアが飲んでいたそれは、ほんと、美味しそうであった。

映画オタクと自他共に認めるタランティーノ監督の代表作となった本作品。
カンヌ映画祭では絶賛され、傑作の仲間入りを果たした。
彼のデビュー作『レザボア・ドッグス』は、ギタギタのバイオレンスものであったが、この『パルプ・フィクション』は、ハードではなく、ユニークさが強かった。

物語を交錯させる技も絶妙。
あ、そうか、ジュールスは本当に足を洗ったから、ヴィンセントはあの時一人だったんだ。
彼もいれば、あんな所で・・・

あの“覆面”って、一体なんだったんだ?(笑)
ああいう意味不明な可笑しさがいい。
日本刀も忘れず出てくるところが、タランティーノらしい。

欲をいえば、ラストがあっさり気味だったので、何かどれかのエピソードを残してほしかった。
ジュールスは、伝道師にでもなったのだろうか。