2010年9月18日(土)快晴
朝早くからどきどきで起きました。
34年前私が高校生だった頃、ヤマハMR50に乗って中国地方、九州、四国をツーリングしたことがありました。
そのとき私の生まれ故郷山口県を通ります日本海側から入って来たのでまずは須佐へ・・・
夕方になったので須佐駅で宿泊をしようと(当時は寝袋だけで野宿していました)寄ったところ若い20代のお巡りさんにこんな所で寝てはいかん!と連れていかれたのが須佐の中にある、とある神社でした。
神社の名前も分かりませんでしたが、たった1枚写していた写真に神社の入り口に武人の銅像か写っていました。
たったそれだけですが須佐の街中をくまなく走り回ればわかるだろうと出発です。
須佐のみ往復では距離をかせげませんので、まずは日本海川棚へ抜け楊貴妃の墓なんぞを見て回ります、行く道々で青い海とかけ上がった棚田が美しいです。
他の観光地はどこにも寄らず、一気に萩を目指します。
三隅から萩まで無料の自動車道路で抜けました、萩から北長門海岸国定公園沿いをXT君で流します、左手には小さな島々が点々と浮かんでいます、34年前も今もまったく同じです。
須佐に入り駅前で記念写真を撮り
神社を確認するために須佐の町中を縦横無尽に駆け抜けます。
そして見つからず・・・あきらめて帰り道、191号線を走って、須佐の端を曲がった所、トンネルの手前
に神社を発見、Uターンしてみました、笠松神社?
須佐神社だと思い込んでいましたが?・・・そんな神社は須佐にはありませんでした。
入ってみると・・・武人の銅像が。
神社前の国道191号線を広げたのでしょうね、確かあの時は3台のバイクを入れたのですが、現在は1台がやっとこさです。
【笠松神社】
益田家33代親施を祀る。禁門の変の責を負うて藩主に代り福原・国司ら三家老とともに切腹。長州征伐の難を免れた。須佐では旧臣によって笠松神社が建立されたが、鳥居と灯籠には「元治三・四年」と実在しない年号が刻銘されている。これは主君を思う反骨精神からで、全国に類例のないものである。
ここでした!34年前が思わず蘇ります、あの時は17、8才の青年でした今は5?のおじさんです。
この笠松神社の本殿の中で一晩あかしたのです早朝6時ごろから、チャリン、チャリンとお賽銭が放り込まれ目が覚めました、信心深い須佐の人たちが本殿の中にお賽銭を放り込んで手を合わせていました。集めた200円ほどのお賽銭を、無事を確認にこられたお巡りさんに渡して次の目的地へと出発したのでした。
327キロまずまず走って帰路につきました・・・もうすぐ40000kmだな頑張れXT250君!