「書いたもの」を読みました。
感動はしませんでしたが、悪くない感じです。
そんなふうに励ましてくださる方がいたので、
また、「書いたもの」を載せます。
いいんですね。
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さて、これから僕は、ある体験を語ろうと思う。あまりいい話ではないかもしれないし、
この話が君にどう響いていくかも、正直言って自信のないところだ。でもまあ、話を始めよう。
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1987年、僕らは大学を卒業した。社会の状況や景気も良くて、
多くの仲間がすんなりと就職することができた。
(現在の学生さんたちの苦労を思うと、本当に申し訳ない気持ちになる。)
僕らの目の前には、明るい未来が待っているはずだ、という楽観的な勘違いがあった。
実際会社に入ってみると、(当たり前のことだが)そこには社会人としての厳しい現実が待っていた。
大学時代や大学のことを振り返ったり、思いやったりする余裕はないし、
毎日の勤務が早く終わることを祈ることが精いっぱいだった。
大学が移転になることは知っていた。
木造の校舎はこれ以上のことを想像できないくらいに老朽化していた。
まるで校舎そのものが老いて、眠っているかのように。
すきま風は吹いたし、雨漏りもあった。天井が高く、冬はなかなか部屋が暖まらなかった。
ある時、最上階のコンピューターが故障して、修理の人がやってきた。
業者の人が本体を持ち上げたら、中からコーヒー二杯分の雨水が流れ出た、なんて話も聞こえてきた。
隣接する男子寮にいたっては、建物の中を新聞配達の自転車が走っているくらいに、
外部にオープンな建物だった。
移転、新築の話は、誰の目にも不可避な、どうやっても避けられないものに映っていた。
卒業目前、もうあと三日で校舎が使われなくなるというときに、
僕らは思い出に、窓の留め金(真鍮でできた、なかなか素敵なものだった)を一つずつ失敬した。
(つまり、力ずくではずして持ち帰った。)
校舎はすぐに取り壊されるさ、というのが、当時の僕らが用意した言い訳だ。