写撃手320のウエポンベイ

軍用全般のあれこれ

4.13 さきたま古墳公園

2017-04-18 21:56:00 | 日記
帰路の途中、行田市の桜の名所「さきたま古墳公園」に立ち寄りました。

青鷺が撮れました。



五世紀後半から7世紀初めころまでに造られた9基の大型古墳が群集しています。
丸墓山古墳は直径105mで日本一大きい円墳、出土した埴輪から6世紀前半に造られたものと
考えられています。
1590年に豊臣秀吉の命を受けた石田光成が忍城を水責めした際に、この丸墓古墳の頂上に
築陣したそうで、忍城が望めます。



この二子山古墳は主軸長138m武蔵国で最も大きな前方後円墳

稲荷山古墳は主軸長120m、この古墳群では最も古い5世紀後半に造られたものと考え
れています。
発掘では鉄剣、まが玉、鏡などの副葬品が出土し、これらは国宝に指定されています。

将軍山古墳は、主軸長90m、6世紀後半に造られたものと考えられています。
横穴式石室には千葉県富津市付近で産出される「房州石」が使われています。

幸手市から移築された江戸時代末期に建てられた民家



すぐとなりには、スバルのさきたまガーデンがあります。
「日本航空館」には、スバルの前身である中島飛行機の模型が展示され、屋外には
T1B(35-5870)の最終号機
尾翼の部隊マークは小牧の第5術科学校

FA-200/180 エアロスバル(JA3645)





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4.12 上田城

2017-04-17 22:28:58 | 日記
懐古園の次に向かったのは、上田城千本桜まつり。
小諸では桜の見ごろには一足早く、お手付きでしたが、上田城では丁度のタイミング。

上田城は天正11年(1583年)真田昌幸により築城、第一次、第二次上田合戦で徳川軍を
二度にわたり撃退した難攻不落の城。落ちないということから受験生にも人気なんだそう
です。
天守閣はありませんが、一番の人気スポットが東寅口櫓門でこれがその北櫓

城内からの北櫓

あえて芸術的アングルに挑みましたが、団長の評価は如何に?

お堀の桜はまさに満開



上田市北側の山嶺はまだ雪を戴いていました。





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4.12 小諸ミッション

2017-04-15 06:29:02 | 日記
藤村の「千曲側旅情のうた」小諸なる古城のほとり雲白く遊子かなしむ、でお馴染みの
小諸城址懐古園に行ってきました。
日本100名城、日本さくら名所100選となっているそうです。
懐古園の駐車場から入口に向かう途中、先ず目に入ったのがC56蒸気機関車(C56144)
その昔、SLブーム期には大人気で中央線の小淵沢と信越線の小諸を結ぶ小海線で運用
されていました。
国鉄の最高地点野辺山付近を走るその姿は、今でも脳裏に鮮明に焼き付いています。




東京の桜は満開を迎えたというのに、まだ蕾の状態で残念ながら開花していません。ありゃ~!
これは国の重要文化財に指定されている三の門、1765年に再建されたもので、現在は懐古園の
正門となっています。

二の丸跡から望む浅間山はまだ早春の雪景色、桜ではなく梅の季節

千曲川のほとりもまだ冬枯れ

懐古神社

大手門、慶長年間に仙石秀久により築かれもの、これも国重要文化財

食べログでも有名な草笛本店で桶に入ったもりそば(650円)とかき揚げ(250円)をいただき
ました。と~ても美味しく、量は荻窪の本●庵のゆうに3倍はあります。

名物となっているくるみおはぎ(3ヶ660円)をデザート

小諸駅は現在しなの鉄道に移管、これも懐かしい115系が停車

このレンガ倉庫は、小諸駅の鉄道施設のランプの灯油を保管するために造られた倉庫。

明治期の客車には電灯はなく、車内の照明はランプでした。また信号機の照明もランプ
にたより主要駅では燃料の灯油を保管しておく必要があり「ランプ小屋」「燈室」とも
呼ばれていたそうです。
引火を防止するために駅舎から離れたホームの端などに設置され、建材にはレンガ
が使用されたと以上、案内板に書かれていたものを転載。
多分、一般人は見過ごしてしまうことでしょう。
鉄道マニアとして懐古の大満足でした。

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4.10 ヨコスカミッション

2017-04-14 20:02:56 | 日記
成田団長より、佐世保を母港としている米海軍のドック型輸送揚陸艦サンアントニオ級の
4番艦、LPD-20 グリーンベイの浦賀水道航行の連絡を受け、勇躍ヨコスカに出撃。
航路インの予定時刻までにはまだ時間があるのでV公園に逸見岸壁には、DD110「たかなみ」、
DD175「みょうこう」、DD103「ゆうだち」が串刺しに繋留されていました。


ずいりゅう型潜水艦の出港を見ることもできました。




その後、観音崎公園でDDH183「いずも」の南航を待っていると、その前に横浜NDに配備
されているアメリカ陸軍の大型タグが姿を見せました。残念ながら遠くて艦番号までは
確認できませんでした。



航路予定時刻までにはまだ時間があるのでおっとり刀で灯台に上ると、LPD-20がすぐ目の前
に来ていました。舷側の扉が開いています。

あまり深追いをせずA公園に転進、するとLPD-20は消磁所の向こうに姿を見せています。

横須賀本港に入港すると、着岸することなくUターン


艦橋の前左舷に近接防空ミサイルMk.49GLMS、中央に30mmチェーンガンMk46ブッシュマスターⅡ、
が配置されています。

再び観音崎公園に向かいLPD-20の浦賀水道航路の南行を写撃しました。




因みに対岸の房総半島までの距離は7kmだそうです。
当日の走行距離は、100kmほどでしたが、12,852stepsでした。













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4.3 東京散策

2017-04-13 20:12:48 | 日記
すでに桜の花は散り始めていますが、先週の月曜日(3日)、上野の山は5分咲きと
ゆーうので、不忍池→旧岩崎庭園→東大→湯島天神の写撃散策をしました。
不忍池では見覚えのあるカメラマンベストを着用したお方、そう、雀の叔父さんが鳥を
撮っていました。なんでもヨシガモを撮りたくてここ何日か通っていたんだそうです。
そんなわけで横横地区には姿を見せなかったのです。






旧岩崎庭園は、明治29(1896)年に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長久彌の本邸として
作られたものです。
設計は、現在の東京大学工学部建築学科の初代教師として政府により招聘された
ジョサイア・コンドルによるもので、重要文化財に指定されています。
現在は洋館の屋根を補修中とあって残念ながら半分が工事用シートに覆われていました。

洋館併置された和館は書院造りを基調としたもの

その和館と洋館をつなぐ渡り廊下の天井は船底を模したもの

別棟として当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りの撞球室が建っています。

岩崎庭園の桜は満開の一歩手前、でも写真としてはこのくらい開花とつぼみの混在が好みです。



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