ひこにゃんが初代の「こじま」の写真を探しているそうですが、
昭和39年に退役したとあっては、現役時の姿は撮っていません。
昭和39年といえば、東京オリンピックが開催された年、そんな
昔は団長さんです。
その昔の観閲式で「こじま」を撮った記憶があるので探してみ
たら2代目の「こじま」でした。
撮影時期は不明です。その昔に写真屋さんでネガをCD-R化した
ものですが、その時点ですでにネガが傷んでいました。
これが、2代目の「こじま」平成5年退役
受閲航行、先頭は、PL32「みうら」、続いてPL01「のじま」、LL01のようです。
PL04「うらが
」
PL31「いず」
「うらが」に搭載されているベル212型は旧塗装
PL115「のと」 しれとこ型 公称船型は1000t型 平成27年退役
PM09「くわの」、公称船型は500t型
PC215「たつぐも」 平成21年退役
PC217「いそなみ」 平成26年退役
CL61「はるづき」 しきなみ型 平成8年退役
消防船FL01「ひりゅう」 先代で平成9年退役
FM03「おとわ」
ショート・スカイバン MA800スカイバード (JA8800)
ベル212型
PC209「やまぎり」30ⅿ型巡視船 平成⒖年退役
FM03「おとわ」 ぬのびき型3番船、平成11年退役
計10隻就役したぬのびき型は平成25年に全船退役、
次級は平成14年就役のよど級(PC51〜)
PM89「たかとり」 横須賀の主で昨年10月に退役
因みに就役は78年(昭和53年)艦齢は38年
昭和39年に退役したとあっては、現役時の姿は撮っていません。
昭和39年といえば、東京オリンピックが開催された年、そんな
昔は団長さんです。
その昔の観閲式で「こじま」を撮った記憶があるので探してみ
たら2代目の「こじま」でした。
撮影時期は不明です。その昔に写真屋さんでネガをCD-R化した
ものですが、その時点ですでにネガが傷んでいました。
これが、2代目の「こじま」平成5年退役
受閲航行、先頭は、PL32「みうら」、続いてPL01「のじま」、LL01のようです。
PL04「うらが
」
PL31「いず」
「うらが」に搭載されているベル212型は旧塗装
PL115「のと」 しれとこ型 公称船型は1000t型 平成27年退役
PM09「くわの」、公称船型は500t型
PC215「たつぐも」 平成21年退役
PC217「いそなみ」 平成26年退役
CL61「はるづき」 しきなみ型 平成8年退役
消防船FL01「ひりゅう」 先代で平成9年退役
FM03「おとわ」
ショート・スカイバン MA800スカイバード (JA8800)
ベル212型
PC209「やまぎり」30ⅿ型巡視船 平成⒖年退役
FM03「おとわ」 ぬのびき型3番船、平成11年退役
計10隻就役したぬのびき型は平成25年に全船退役、
次級は平成14年就役のよど級(PC51〜)
PM89「たかとり」 横須賀の主で昨年10月に退役
因みに就役は78年(昭和53年)艦齢は38年
アンテナが今とは全然違うのが分かります
今日は、旧帝国海軍の潜水艦発見のニュースも流れ、
海の中での様子に驚くばかりでしたね
ひこにゃんがまだ10代のころになるのですか、団長は40年程前に稲毛の記念艦になっていたのを見学した事がありますね~。
世界の艦船466号に細かな記事が載っているそうですよ。
当時大森海岸の駅のすぐそばに海水浴場もありまsた。
団長は入っていけない淀橋浄水場の中に入って遊んでいたそうです。
浄水場ではなくて水道道路でよく遊んでいましたがね、
水道道路を知っている方はあまりいないでしょうね~。
団長が悪ガキの頃遊んでいたという水道道路は甲州街道の北側に平行しています。
水道管が埋設していることに由来します。
大型車両が通行禁止となっているので、甲州街道の混雑時に抜け道として利用しています。
じゃあ、ワシントンハイツに潜入していましたね!
団長のご幼少の時はまだ土手があってその中を川の様になっていたのですよ、まあところどころ切れてはいましたがね。
その後その土手は無くなって水道管が埋設されて道路になったようですよ。
ワシントンハイツではなく、代々木の練兵場ですか?
B29の飛んでいるのを見たりして
「こじま」は公民館っていう扱いでしたね。海面上では撮ってませんね。
PL32「みうら」のうしろはたしかにHL01「照洋」ですね。
PL01と見てしまいとんだ失態です。
それにしても、そのうしろが「つしま」とはその識別能力には驚き!
ジュースの振舞があったなんてことも知りませんでした。
おいらはたぶん大島沖の展示訓練だと思いますが、何回かお赤飯とクジラの大和煮の温めた缶詰をごちになりましたね。
なんでも、それは賞味期限がせまっているものだったそうで、そのことを某新聞社が批判したことから中止になったいう噂ですが、真偽のほどはわかりません!
古い拓洋に乗った時は日の出だったか、券も持たず現場で古参の乗員に頼みこんだら乗せてくれて、舷門でコーラだったか一本ずつ渡されて大変恐縮したものでした。
大島沖の時は3百何十円かの缶詰セットを(庶民の我々は)買ったものです。射撃手さんはお偉いさんなので「ご招待」だったのでしょうね。