kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕 十一

2016-04-24 19:24:07 | 真田丸

 

                               (2016.4.22)

 

天下統一を遂げる豊臣秀吉の築いた大坂城

 

ここから南の方角に、かつて「真田丸」がありました

 

徳川軍の城攻めを阻止しようと、真田信繫が築き、

  

大坂冬の陣で見事、徳川勢を撃退した出城 「真田丸」です

 

お城は残っていませんが、「真田山」という名は残っています

 

 

小学校の名前、マンションの名前、商店、プール、

様々に「真田山」は付いていました

 

真田山の「三光神社」にある銅像

 

真田の抜け穴

大坂城に繋がっているといわれます。 

 

 

心眼寺

 

山門前には真田丸の跡を示す石碑がありました 

 

 心眼寺前に立つ 「真田幸村出丸城跡」 の石碑

 

 

「真田丸顕彰碑」 

この向こう側には学校がありました

 

戦の犠牲になった人達を供養されているのか

沢山のお寺が建っています

 

 

 

 この辺りはJR天王寺駅が近く、あべのハルカスからそう遠くない所です

 

 ↓ 「安居天満宮」 

 

「真田幸村戦死地」 とされる 「安居天満宮」

 

 

”  真田山幾多の魂落ち椿  ”

 

”  逃げ水の坂道くねる真田山  ”

 

……

 

大坂冬の陣では、信繫(幸村)達の野戦案が却下され

大坂城での籠城作戦が決定する

そこで信繫達は弱点である城の南側に「真田丸」(出城)を築いた

信繫は鉄砲隊を率いて敵に大打撃を与え、徳川勢は撤退

 

しかし、冬の陣の和睦に伴う堀の埋め立て工事の際、真田丸は取り壊される

更に徳川は信繫に寝返りを持ち出すが、信繫は断じて従わなかった

 

半年後、夏の陣勃発

信繫は家康の首だけを狙い本陣に突撃するも

次第に兵力で勝る徳川が挽回

安居神社に逃げ込んだが討ち取られたのだが…、

 

 

 

NHK大河ドラマ「真田丸」の中では、まだ先の話でございます

 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« でんでん虫、横断歩道を行く | トップ | 俳句雑誌が届きました »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ドラマ以上! (一句鑑賞)
2016-04-24 21:42:28
こんばんは
ドラマの最後に、ゆかりの地・・・の紹介がありますが。
kohさんの方に軍配を上げます♪
返信する
真田山 (しまそだち)
2016-04-24 23:53:00
大阪で育った人は、上町あたりとか真田山あたりには、ロマンを感じているみたいですね
大阪城の地下道の話も聞いたことあります

大阪天王寺区下寺町、
いろんな宗派のお寺が一カ所に集まっているのって不思議に思っていました
これも歴史の事情だったのですね

この辺りの愛染さんから大阪の夏祭りが、始まります

それにしても、震災後の熊本城の姿には、悲しくなりました
大阪城が、あんなことになったら・・・
返信する
一句鑑賞さんへ (koh)
2016-04-25 14:39:15
もったいない、勝ち名乗りをありがとうございます。

安居神社と茶臼山、時間切れでした(ーー;)
かなり欲張った計画なのは分かってました。
なんとかもいちど機会を作ってしっかり見て来たいです。

ドラマでは、なるほどなるほどと、楽しんでいましたが、実際その場所に行ってみると、あ~ここが…と
とても感慨深いものでした。
たくさんの命が散った戦国時代ではありますが、
また、ふる狸、家康さんですが、
この時代があって、今の日本があると思えば、
今更ですが、安らかに…と思います。
沢山の魂が、真田山に、茶臼山に未だにさまよっているなら、私たちは二度とこの様な犠牲者が出ないよう努めなくてはと思いました。

「真田丸」 も間もなく半ばとなりますね。
大坂でのこと、どんな風に描かれるのか楽しみです。
三谷幸喜さんの新しい見方が面白いです。
そこここに、出てくるクスッと笑える場面など待ってましたです。
…波枕十二には、何を書こうか、まだ分かりません。
きままな船旅ですが、お暇なときにはまたお越し下さい。おまちしております<m(__)m>

返信する
しまそだちさんへ (koh)
2016-04-25 15:09:58
「下寺町」 という地名があるのですね?
京都にも「寺町通り」があります。
ここは、秀吉が京の町の区画整理をした時、ここにあちこちのお寺を集めたのです。
織田信長が討たれた「本能寺」もその時のはもっと西にありました。
秀吉さんのある種勝手な理想で移動を押し付けられたみたいです。
天王寺もそのような理由のようですね。
安居天満宮の近くの「一心寺」の山門と仁王さんには驚きました。
一瞬、ダビデ像??
と思いました(^_^;)

大坂の長い歴史の中で、様々な行事が確立し、今のように大きなお祭りもいっぱいあるのですね。
威勢のいいお祭りが多いと思えるのですが、合ってますか?

熊本城、取り返しのつかないことになりましたね。
大坂城の、スタッフの方々も、これを憂い、『大坂城もあんなになったら…』と、とても心配すると同時に、何かお手伝いできれば…と言っておられました。
ほんとに悔しいです!

返信する

コメントを投稿