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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

直虎が竜宮小僧になる時三十八

2017-10-06 12:09:38 | おんな城主直虎

 

 

第39回 虎松の野望

 

井伊が潰れて6年、

 

天正十二年に、直親の十三回忌が龍潭寺で営まれました

 

しの、なつ、六左衛門、亥之助、そして虎松も帰って来ました

  

 

 

松下虎松

 

直虎に向けた笑顔に、どことなく直親の面影が…

 

 

 

 笑顔の爽やかな、聡明な男子になっていました

 

 

井伊の里を、直久の案内で、亥之助と共に見て回った虎松

 

井伊の里の豊かなこと、今は水堀造りを近藤に願い出ていること

 

これらが、直虎の尽力あってのことと聞いて、

 

キレてましたね~(^^♪

 

自分には諦めよと言いながら、直虎は諦めていない

 

この事にカチンときたようで、颯爽とキレッキレだけでなく、

 

気にらないと、キレる、この時代にもこういうタイプ、いたのでしょうね

 

そして、虎松の猛進が始まりました

 

『すばらしく豊かな里、何がなんでも頂戴しとうなりました!』

 

虎松は、南渓和尚にアシストを求めました

 

思えば、南渓和尚は虎松が松下に養子に行く前に、秘かにけし掛けていました

 

それは、直虎がもう井伊を再興するつもりがないのを知って、

 

『虎松は井伊の虎松にございます』

 

と、和尚に泣いて訴えた時のこと

 

『あれ(直虎)はのう、もう殿ではない

ならば従わねばならぬという道理もないのじゃ』

 

 

だから、虎松がその気になるのを和尚は虎視眈々と待っていたはず

 

和尚は、この上なく喜んだと思いますよ♪

 

 

 

 

虎松は、あの日のことを忘れず、井伊の家名を立て直す機会を待っていたのでしょう

 

和尚に徳川への手紙を託し、六左にこの事を口止めをします

 

六左さん、冷や汗を拭いてもらえばもらうほど、冷や汗が出ます

 

優しく、追い詰められていますよ(^_^;)

 

 

手紙は、井伊虎松として徳川の小姓に上がりたいと願い出たものでした

 

なかなかやりますね 

 

 

 

しかし、相手は家康、そう易々と希望を通してもらえることもなく、

 

井伊を名乗りたいと内心思っているだろう?と 

 

居並ぶ貫録の家臣の前で、自ら「なりたい!」と言い出す羽目になりました

 

 

 

皆にとっては、たかが、小童なのでしょう

 

 更に、小姓にするのは「松下虎松」なら、

 

「井伊…」なら、小姓ではなく草履番を、と、

 

ま、そんなもんかなと思わなくもないですが…

 

虎松、当てが外れました

 

あ~キレるう~

 

 

しかし、偉い!

 

『井伊万千代、かくなる上は日の本一の草履番を目指す所存にございます』 

 

何とか、徳川ホールディングスには入社した、そんなとこでしょうか 

 

 

とは言うものの… 

 

 

 意気消沈の、虎松と亥之助

 

 

 いいお部屋を当てがってもらえたのもたった一日…

 

一見、物置小屋に移され、堪忍袋の緒が切れた

 

悪口、言い放題

 

亥之助は、ちょっと大人ですね、若様の好き友♪

 

一生懸命、虎松を諌めておりました

 

 

 

なんか、紐が頭に絡んでますけど…涙…

 

気を取り直した虎松は、亥之助と二人

 

草履番を極めるべく、動きはじめました

 

さてさて、徳川方の皆々様の草履は、

 

虎松の出世への足元をすくうのか、はたまた、加速させるのか!?

 

 

ではまた

 

 

 

 

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直虎が竜宮小僧になる時三十七

2017-10-06 12:02:06 | おんな城主直虎

 

 

第38回 「井伊を共に去りぬ」 では、武田信玄と南渓和尚が酒を酌み交わしながら

 

戦のこと、来世のことを語り合っていましたが、

 

よかったです~

 

立場は違えど、共に戦国の世に生きる二人の言葉は深かった…

 

緊張感のない平成のおばさんにも、すこぶる印象的な場面となりました

 

 

今一度、振り返ってみたい

 

 

 

 

風林火山

 

 

 

 「風林火山 意味」の画像検索結果

 

 

疾きこと風の如く

 

徐かなること林の如く

 

侵掠すること火の如く

 

動かざること山の如し

 

 

 甲斐の戦国大名・武田信玄の軍旗にある有名な「風林火山」とは、


孫子の兵法書にある一節


第38回で、武田信玄が急病で亡くなりましたが、


その直前、南渓和尚は武田の陣を訪れていましたね

 

徳川の軍を追い払い、遠江へどんどん攻め進んで来ていた時でした

 

本人にしてみれば、今川も落ち、もう徳川も落とせると思った矢先だったかも


井伊谷も近藤に焼かれ、更に武田軍に焼き尽くされていました

 

 

 

 

南渓瑞聞の願いは、井伊の安堵でした

 

ひとつ間違えば、首も飛びかねないような中、

 

やはり僧侶という立場は、特別なのか

 

武士と言えども手出しは出来ない世だったのか

 

信玄はそんな和尚に、何か魅かれるものがあったのでしょうね


信玄の陣営で、酒を酌み交わしていました

 

 

 

『なまぐさ坊主がちょうどよい。 戦ごとは苦手…』 と和尚

 

二人のやり取りを見ていて、

あ~戦国乱世を渡って行く宿命なんて、つらいだろうなあ~

と思いました

 

人と人とが命を奪うことの愚かさを知りつつも、

 

生きる糧を得るために、他国を襲い奪い続けなければ生きられない

 

だから、戦に強くなることが何よりの生業

 

 和尚がそんな信玄に、

 

『来世は何になりたいとお思いか、朝な夕なに祈願して差し上げましょう』

 

 と問いかけると、

 

『お天道様がよいかのう、

 

あちこち睨みをきかせ雨、土を調略し、どこもここも恵まれた土地とする』

  

 

 

よく知られている信玄の辞世の句は 

 

大低還他肌骨好 不塗紅粉自風流


大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流

 

(大ていは他の肌骨の好きに還ろ 紅粉を塗らずしておのずから風流)

 

此の世は、世相に任せるものだ

その中で自分を見出して死んで行く

見せ掛けで生きるな

生きるのは本音で生きることが一番楽である

 

と、言っていた

 

そんな信玄も…

 

 

 

冥府よりお迎えに参りました…

 

 

と、寿桂尼様が…

 

 

 

信玄は本音で生きることが出来たのでしょうか… 

  

なまぐさ坊主と、甲斐の虎と、女戦国大名は、

 

あちらへ行って三人仲良くお酒を酌み交わしているのでしょうね…

 

 

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