第39回 虎松の野望
井伊が潰れて6年、
天正十二年に、直親の十三回忌が龍潭寺で営まれました
しの、なつ、六左衛門、亥之助、そして虎松も帰って来ました
松下虎松
直虎に向けた笑顔に、どことなく直親の面影が…
笑顔の爽やかな、聡明な男子になっていました
井伊の里を、直久の案内で、亥之助と共に見て回った虎松
井伊の里の豊かなこと、今は水堀造りを近藤に願い出ていること
これらが、直虎の尽力あってのことと聞いて、
キレてましたね~(^^♪
自分には諦めよと言いながら、直虎は諦めていない
この事にカチンときたようで、颯爽とキレッキレだけでなく、
気にらないと、キレる、この時代にもこういうタイプ、いたのでしょうね
そして、虎松の猛進が始まりました
『すばらしく豊かな里、何がなんでも頂戴しとうなりました!』
虎松は、南渓和尚にアシストを求めました
思えば、南渓和尚は虎松が松下に養子に行く前に、秘かにけし掛けていました
それは、直虎がもう井伊を再興するつもりがないのを知って、
『虎松は井伊の虎松にございます』
と、和尚に泣いて訴えた時のこと
『あれ(直虎)はのう、もう殿ではない
ならば従わねばならぬという道理もないのじゃ』
だから、虎松がその気になるのを和尚は虎視眈々と待っていたはず
和尚は、この上なく喜んだと思いますよ♪
虎松は、あの日のことを忘れず、井伊の家名を立て直す機会を待っていたのでしょう
和尚に徳川への手紙を託し、六左にこの事を口止めをします
六左さん、冷や汗を拭いてもらえばもらうほど、冷や汗が出ます
優しく、追い詰められていますよ(^_^;)
手紙は、井伊虎松として徳川の小姓に上がりたいと願い出たものでした
なかなかやりますね
しかし、相手は家康、そう易々と希望を通してもらえることもなく、
井伊を名乗りたいと内心思っているだろう?と
居並ぶ貫録の家臣の前で、自ら「なりたい!」と言い出す羽目になりました
皆にとっては、たかが、小童なのでしょう
更に、小姓にするのは「松下虎松」なら、
「井伊…」なら、小姓ではなく草履番を、と、
ま、そんなもんかなと思わなくもないですが…
虎松、当てが外れました
あ~キレるう~
しかし、偉い!
『井伊万千代、かくなる上は日の本一の草履番を目指す所存にございます』
何とか、徳川ホールディングスには入社した、そんなとこでしょうか
とは言うものの…
意気消沈の、虎松と亥之助
いいお部屋を当てがってもらえたのもたった一日…
一見、物置小屋に移され、堪忍袋の緒が切れた
悪口、言い放題
亥之助は、ちょっと大人ですね、若様の好き友♪
一生懸命、虎松を諌めておりました
なんか、紐が頭に絡んでますけど…涙…
気を取り直した虎松は、亥之助と二人
草履番を極めるべく、動きはじめました
さてさて、徳川方の皆々様の草履は、
虎松の出世への足元をすくうのか、はたまた、加速させるのか!?
ではまた