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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康 第26回富士遊覧

2023-07-16 13:31:20 | どうする家康

 

 

「全力でやれ」

 

信長が家康を鼓舞

 

…別の戦国を思い浮かべてしまいました

 

V6  と 嵐

 

歌にダンスに励まれた日々

幼い頃から全力でやって来て

どちらも幕を閉じ、今全力で新たな道を

 

…さて

 

家康、今その全力を求められたのは何

 

「えびすくい」

 

歌に踊りに

 

 

”上様御一行富士遊覧おもてなしの道行き~~♪” と称して

信長を招いた徳川家康

 

武田を滅ぼし、安土城に帰る信長一行に街道の要所要所で

富士を眺めつつ最高のお・も・て・な・しを

そんな  W2= 戦乱二ヵ国首脳会議?

 

この時、街道は拡張され小石一つ無くし

いつでもどこでもひと休み出来るよう

各地に茶店やお休み処を設けたと言う

この施設が今もどこかに残り、賑わっているとしたら行ってみたい

 

 

まずは、毎夜毎夜の祝宴

 

このためですね於愛さんがエンターティーナーに呼ばれたのは

パートは笛

 

連日、地元の名酒、酒肴が用意されたでしょうね

 

信長、一体何がお好みなのか

富士山 NO

隠し湯 NO

 

朝、信長と家康は富士のすそ野に馬を走らせた

ようやく、お気に召したような

そして、信長の大好きな「茶」

笑顔で家康と話しながら

 

「家康よ、愉快であった 今度は俺がもてなす」

 

安土城へのもてなしを家康は受けた

 

その後明智光秀と話した信長は

 

明智「たいそう素直になりましたな」

信長「腹の内を見せなくなった 化けおったな

 

家康に対するマークは、以前より強くなったような

 

で、W2で何を提案され、何を決議されたのか

一方的なようでもありましたが

 

* 家康には武田を滅ぼした恩賞として駿河国が与えられ

三河、遠江、駿河の三国を治める大名となる

* 伊賀者を根絶やしにする(銭次第で寝返るから)

* 富士遊覧のお返しとして信長は安土城に家康を招くことにした

 

まずは、今回のぶらり富士遊覧の旅は大成功、sirankedo

 

 

これらの、ほぼ一方的決定事項を、ふまえた上で

あの日まであと46日しかないという予告に切迫感を禁じ得ないまま

今夜の「どうする家康」を見ようではないか、と存じおります

 

なぞなぞ 「敵はほの字なり」

 

 

 

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どうする家康 第25回はるかに遠い夢

2023-07-08 20:27:41 | どうする家康

 

 

「どこかに隠れて私達だけで、ひっそり暮らしましょう」

 

たったひとつの夢でございました

はるかはるか、遠い夢でございましたな

 

武田とつながったり今川を計画に誘ったり

その夢は、あの若かった頃の家康と瀬名の

あま~い語らいの中に生まれていたんですね

 

佐鳴湖に来た瀬名をなんとか考え直させようと

家康も来たが、瀬名の決心は固かった

 

「いつか私の大切なものを守る時がくる

命をかける時が…

今がその時」

 

家康が涙で瀬名を説得するが聞かず

 

瀬名に叱咤激励された上、佐鳴湖から追い返されたかたちの家康

戻ろうとして舟のうえで暴れるが

側に居る本多、榊原らに制されるうちに

瀬名は小刀で自ら首もとを切った

横にいた鳥居は号泣し介錯も出来ない

鳥居に変わり、忍びの大鼠が瀬名を楽にした…

 

家康は舟から直にその様子を見た、泣きながら

 

 

 

遠江の二俣城、信康が最後にいた所です

 

母と共に

慈愛でひとつに結び付く、戦のない日本を夢みたが

儚く消え

あとは、攻めを一身に追い自害する

その思いだけでいる

 

母の自害を知ったのか

七之助の隙を見て七之助の小刀を抜き自刃した

 

七之助には介錯は出来なかった

服部半蔵がその辛い役目を担ったが

信康の表情は、悔しさと恐怖に溢れていた

 

 

 

こうして、瀬名(築山殿)と徳川信康は自刃

 

今までの説ですが、ふたりは織田信長の命で殺されたと

ドラマなどそう言っていたと思う

 

信長が瀬名、信康の謀反ありと知り家康を呼び寄せた時

詫びを入れている家康に対し信長は

「お前の家中のことじゃ、俺は何も指図せん

お前が決めろ」

と言ってましたね

 

そして、家康は必死にふたりを助けようと

自身が攻めを受けると言ったり

ふたりの身代わりを立てたりもしたが…

 

五徳姫も切なかったですね

信康に信長の所へ行けと言われていた

五徳の思いはどこまでも「岡崎どの」と呼ばれたい

信康を慕っていたのですね

 

家康も五徳もふたりを救えなかった

この口惜しさは如何ばかりだったでしょうね

 

そこで織田信長なんですが、やはり残虐極まりない奴

とうつりますか

なんと、たあけた事を、とお思いかもしれませんが私には

信長の、優しさの現われた言葉に思えました

この言葉です

「お前の家中のことじゃ俺は何も指図せん、お前が決めろ」

 

≪≫鳴かぬなら殺してしまえ不如帰≪≫

 

この信長がお前が決めろ?なんて不思議

 

責任転嫁?違うと思う

優しさを前に出す訳にもいかない信長

だけども、徳川家康を保ちたかった

「建前と本音」「表と裏」

 

これだけではない、今までの信長の言葉にも

そう感じるものがしばしばありました

信長は優しさを持ち合わせているのでは

 

よく見かける軸の信長像

  

 

 

こちら、ポルトガルの宣教師ルイスフロイスが画いたと言われる信長像

写真みたいですね、すごい上手♫

安土城天主信長の館にも展示されていました

(天主、この表示は信長がそう書いていたそうです)

 

この館に安土城の天主閣のとても立派な複製がありました

 

あ、信長が優しい顔かどうか見たかったんでした

どうでしょうか、正直分かりません

 

ならば、「どうする家康」の脚本担当の木沢良太さんの

はかりごとかあ~

 

娘の五徳も優しい姫になっていきましたね

女性は結婚相手次第何て言いますけど、どう?

 

五徳姫のこれからはドラマに描かれるのでしょうか分かりませんね

 

千代も武田勝頼の元を離れたようですが

神出鬼没がちな千代さんは、分かりません

 

分かるのは、これからの於愛さん

ぐっと安定ですよね、きっと

家康のお尻ひっぱたいてあげましょう

 

 

 

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どうする家康 第24回築山へ集え!

2023-06-30 23:51:27 | どうする家康

 

戦、戦、戦が続き、皆の心がすさんでいったのは

いつ頃からだろう

 

あの、

今川家の人質でありながら、氏真と兄弟のように育った当時の元康

当主義元が亡くなり、今川の力も弱まった

家臣の考えもあり織田信長と協力体制を取った

この辺りで、ぐっとクローズアップされた戦が

「桶狭間の戦い」

泣き虫だの白兎だの言われながら何度も戦を続けてきた

怖い怖い信長の目が光ってます

 

 

 

心穏やかでないのは、家康ばかりか家臣の皆々様も

心の優しい嫡男の信康も、心を病んでしまった

 

そんな、皆を冷静に見守っていた瀬名(築山殿)

いったい、どんなことを考えているのか

 

 

瀬名の様子に違和感があると家臣より聞き

家康は服部半蔵にも瀬名の近辺を探らせていた

 

 

今回、唯一癒された場面

半蔵さん、大鼠さんにプロポーズ中

「殺すぞ」なんて返されてましたが、捜査活動を一緒にしてました

まんざらでもないかな💕

 

 

瀬名と信康と今川氏真と糸と穴山信君と千代が揃った

氏真と糸さん今までどこでどうしておられたんですか

このタイミングでお目にかかれるなんて

 

 

「瀬名は途方もないことを考える」

と家康を驚かせた

 

瀬名の

「私なのか…あなた様の中にもあったものと思います

今までのドラマの築山殿は悪女系でしたが

どうする家康の瀬名は優しいけれど芯のしっかりした人で

家族をしっかり支えてきた

側室を仕切るのも、上手い!

命尽きるその時まで優しく強い女性です、きっと

 

 

一時は、武田方の穴山、千代を介し

德川と武田勝頼は戦をしているふりをして、信長の目をくらます

その間に瀬名の夢を成し遂げる

そんな策略を立てていた

(そのために布陣の鉄砲隊は空撃ちをし、

それを見届けた後、どちらも兵を引く

そんな戦法があるのですか)

 

空撃ちと本気撃ちとでも言いますか、音が違う気がしますが

 

でも、信長に知られてしまいました

 

五徳姫は、父信長から徳川の動向から目を離すなと言われていたので

ことごとく伝えていたはず

それと

武田勝頼は父信玄の成し得なかったことを成すという大願のため

わざと信長の耳入るように仕向けた

 

勝頼は、れっきとした裏切りですね

五徳はどうでしょう

小さい頃から、怖い父に制圧されていたのでしょうから

途方もない恐怖を五徳は父に持っていたでしょうね

 

このふたりがそれぞれに秘密を明かしたかたちです

 

瀬名の夢、立派な夢と思いますが、そんなうまいこと行くかなあ~

詰めが甘い、なんて私にはいう資格はありません

詰めの甘い私がね、はあ~~

 

この時、1579年(天正7)家康38歳

この一連の出来事「信康・築山殿事件」と名がついてるようです

 

それからも紆余曲折がありまして

戦国時代を終えさせて江戸時代へと

 

それはまだ先のことですが

2023年の大河ドラマ「どうする家康」

折り返し点ですね

 

瀬名の夢「途方もないものを成し遂げる」を目指し

 

年末までの半年、どうする家康

 

 

 

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どうする家康 第23回瀬名の覚醒

2023-06-25 11:57:28 | どうする家康

 

 

瀬名が覚醒ですか

 

瀬名(築山殿)は今までの大河ドラマにも

登場していますね

またまた「おんな城主直虎」を引き合いに出して

申し訳ありませんが瀬名役は

女優でモデルの「菜々緒さん」見るからに悪女というか

「きつーう」

こんなこと言うてすみません

 

正直「どうする家康」での「有村架純さん」の瀬名は

あれ、今までとはずいぶん違う瀬名やなあ~と思いました

 

瀬名は

父 関口氏純   母 巴

両親共に今川方ですが、瀬名との関係諸々、諸説ありとのこと

この先、確信ある説が表れる日も来るかもしれません

 

 

今川義元の考えで、家康に嫁いだのですね

 

そうそう、今川方には人質の家康と今川義元の嫡男氏真は

兄弟のように育ちました

女性陣がキャーキャー言ってたのは、氏真でしたね~

瀬名の視線だけは、家康に向いていたような気がしますが

 

殿である義元が

氏真 VS 家康の一本勝負を命じた

これは、男子ふたりの瀬名争奪戦だったはず

今川義元のジャッジメントで、家康に嫁いだのですね

 

 

そんなこんなを経て、家康夫婦は仲は良いと思うのですが

内心どうだったのでしょうか

 

瀬名がどう覚醒して、どう動くのか、まだ分かりません

 

謎1:武田方の歩き巫女の千代と連絡が密になってきている

が、しかし千代と瀬名が意気投合したとは思えないなあ~

 

謎2:家康が今川を滅ぼしたことに恨みはまだあるか

德川(松平)が危なくなってきて今川を捨て織田に就いたんでしたね

 

謎3:息子信康を夫家康より重視しだしたのか

德川を思うゆえの道なのか

 

 

 

 

有村架純さん演ずる瀬名は

 

本日覚醒

 

 

 

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どうする家康 第22回設楽原の戦い

2023-06-17 15:09:14 | どうする家康

 

 

前回すねえもんの、はりつけの刑は強く印象に残っています

その犠牲があって、長篠城の奥平の軍は危機一髪、救われそうですね

 

奥平信昌

 

 

織田軍と武田軍、どちらも睨み合い動きがないまま

二日が過ぎた

皆じりじりいらいら

すべては信長が握っているからには、

家康は勝手に動けない、息子の信康も苛立ちだした

 

德川家臣団は合議の上、

家康、信康、酒井忠次の三人で織田の本陣に話に行く

陣では羽柴秀吉、佐久間信盛ら織田の家臣と碁を打っている

信長は進軍するつもりがない

したければ、徳川軍だけでせよとのこと

 

夜中に、長篠城の裏手の鳶ヶ巣城から武田軍に奇襲をかけ

そうなれば武田は止む無く前進する

そんな策を家康は提示した

誰がやる

 

結局徳川の家臣、酒井忠次がその役目を負う事となった

 

夜中の雨の中、

酒井忠次(えびすくいダンサー)の兵達によりかろうじて攻略

 

武田勝頼には敵のこの動きの意味が分かっている

父信玄ならどうする、勝ち目のない戦は引くだろう

だが今は、それに背くと言う

 

「だから父は天下を取れなかった」

 

「目の前には信長と家康、この様な舞台は二度とない

命永らえたいものは逃げるが良い

戦場に死して名を残したい者は今日より相応しきは、ない」

 

虹が見え、勝頼は吉兆の印ととらえた

 

 

 

武田軍は雄叫びをあげ、風の如く進軍

 

 

片や、信長は得意げに言う

「よう見ておれ、これからの戦を」

 

それは、鉄砲隊を大勢配備する戦法でした

 

何重にも組まれた馬防柵に沿って立ち

柵越しに、千人ほどの鉄砲隊が

一気に撃つ

 

撃った兵は後列に下がり、弾を込めたりして次の射撃の順番を待つ

同じように二~三列目の兵も動く

 

三千人ほどの鉄砲隊というから

多分千人ずつ程が撃っては下がり、撃っては下がりを繰り返す

 

弾を込め火縄の準備もと、鉄砲隊は忙しかったでしょうね

 

一体どのくらいこれを繰り返したのだろう

その頃の鉄砲は火縄銃、信長はどれ位の銃を手に入れたんでしょうか

やはり、恐るべし信長です

 

 

武田軍は馬防柵に達する前に、ばたばたと倒れた

 

馬上の山県昌景、討ち死

率いていた赤備えの軍も殆どが鉄砲に倒れた

 

 

「武田勝頼、見事なり」

信長はそう言い残し茶臼山の陣を去った

 

信長のつぶやいた言葉が深い、なぜ見事なのか

 

「天下布武」をスローガンに戦国の世を生きた知将がゆえに

 

 

 

德川信康は、父家康に似て優しい男の子でした

そんな子に

「これが戦でございますか  これは、なぶり殺しじゃ」

と言わしめるほどの戦禍

信康は、心をずたずたに切られたようでしたが…

 

 

もう德川は織田の家臣となるしか方法はない

そう決断した家康

早速信長の命に従い、二俣城、武節城への攻撃に成功する

これで戦が終わる訳はない

越後の上杉、相模の北条、仙台の伊達

信長の野望は膨らむばかり

 

 

心のやまいが心配な信康ですが、自ら武勲を自慢している

 

あの設楽原での体験以来  トランス状態になったのか

 

五徳に癒されることはまずない、 と思う

 

優しい子は優しいままに、そうでない子も優しさを持っていたい

 

 

 

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どうする家康 第20~21回 岡崎クーデター~長篠を救え!

2023-06-11 17:38:46 | どうする家康

 

天正三年(1575) 岡崎クーデター

 

日本で初めて起きたクーデターは645年の「乙巳(いっし)の変」

”むしころされたそが…” 

などと語呂合わせで年号を覚えました

 

どうする家康の中の「岡崎クーデター」は「大岡弥四郎事件」であり

目指すは三河岡崎城

狙うは徳川信康、そして瀬名

そんな計画を弥四郎や家臣たちが立てていた

 

と「どうする家康」では描かれたが、実のところ

もっと複雑な駆け引きというか、関わった人物も存在し

襲われた張本人の瀬名や信康もクーデターの陰にいたとか

 

沢山の古記録や古文書に出てくるらしいですが、私の力量では何ともし難く

 

…らしい?  のレベルで「どうする家康」のあらすじとちょっとの感想文

まるで夏休みの絵日記的なものにて、お目汚しの時間を

 

 

弥四郎は武田方と通じていたのだが、徳川方にクーデター情報が洩れ

本多忠勝、榊原康政、石川数正、井伊虎松らが間一髪で信康、瀬名を救った

 

なぜ、大岡弥四郎たちはクーデターを起こしたか

 

弥四郎 「あちらの船とこちらの船を見比べ武田の船がよいと思った

家康が信長にしっぽを振る限り、戦は終わらない

我らを死にに行かせるまやかしだけ

どうせ死ぬのならいい夢見てから死にたい

これが皆の本当の心じゃ!」

この人達、極刑に処されたようです

実在の人物のようです

ドラマに登場するのは見たこと無かったですが

名もなき人が大きな使命をもって生きて

どれだけこうして命を散らしたか

こうして知ったのですから、せめて

その勇気を称えると共に安らかに眠っておられることを願います

 

 

この弥四郎とは見方の違う者がひとりいた

井伊虎松

家康は不思議だった

自分を憎んでいた虎松がなぜ、徳川に仕官してきたのか

弱い当主と自他共に認め、民らは笑っているというのに何故

 

本人に聞いてみた

虎松「だからこそでございます

武田みたいに民を恐れさせる殿様より

民を笑顔にする殿様の方がずっといい

家康様にこの国を守ってもらいたいと皆願っている

 

(へえ~そういうことで家康の家臣になっていたのかと

直虎の時にそこのところははっきり分からなかったもので

 

あまり勉強しなかった私は、こんな風に好きなテレビで

辛うじて、歴史に首を突っ込んでおります

 

あのドラマ、このドラマ、こんなドラマも受け入れる

脚本家の目を通すと、人物の色も七変化ではありますが

シャッフルして好きなように鑑賞しています♪)

 

そして虎松、自分自身を売り込む

 

「由緒ある家臣が居た方がいいでしょ

井伊家のおいらとか(^^♪」

井伊谷の城主井伊直親の息子ですしね

直虎の養子ですしね

 

 

家康の胸を打ったんでしょうね

一刀を渡し、そばにつくように言った

そして武田を迎え撃つため吉田城へとおともする

どうやらこの子、口八丁手八丁ですね

数年前の大河「おんな城主直虎」の時は登場の機会が少なかった

(菅田将暉さん演ずる)

どうする…では、是非とも沢山登場して下さいね

 

あら、戦いのさ中、武田は突如奥三河の方へ動いた、どうするの

 

德川家臣は気付いた

「生けにえを狙いに行ったんじゃ」

危うし 長篠城!

 

 

*第21回 長篠を救え!*

 

家康の娘 亀姫

 

 

武田軍がすでに長篠城を取り囲んでいだ

德川方の戦の手口はもう、武田勝頼に知られてるんでしょうね

歩き巫女もいるし、

家臣の中には武田と徳川の間を

揺れ動いて、裏切って

勝頼の代になっても、あの金の粒が誘ってるんでしょうね

 

ここには奥平信昌が籠城している、兵は五百あるか無しか

この方、元は武田の家臣なのだ

離反したリスクを背負い極限の状態で家康の援軍を待っている

水はない兵糧もない、傷つく者は増える一方

 

家康が動いた

酒井忠次、鳥居元忠、井伊虎松を連れて

ただ、長篠ではなく岡崎に

 

長篠から信昌の援軍頼むの書状を持って

岡崎に来た毛むくじゃらの男がいるという

どうやら武田の目を欺くため川に潜って渡り長篠を抜け出たのだ

 

(強右衛門自ら強右衛門のうたを歌ってましたね、正に

シンガーソングライター♪)

 

 

奥平を助けるには信長に援軍を頼むほかはない、と結論を出した家康

 

援軍のこと

亀姫を奥平へ嫁がせること

清須以来の条約を破棄とのこと

岡崎を引き払うとか五徳を連れ帰るとか

難題が山積みです、どうなんだい家康さん

 

岡崎にやって来た信長は怒り心頭

 

その時、亀姫が前に出た

 

「お怒りをお静め下さいませ

亀はもうわがままは申しませぬゆえ

仲直りしてくださいませ

亀は奥平殿のもとへ喜んで参ります

 

瀬名も、言葉を添えた

「わが夫は信長様の臣下を拒むものではございません

ひとまずこの事は脇に置いて長篠を救うことを先になさるのは

いかがでしょうか」

 

横で聞いていれば、ひやりとするような物言いと思ったのですが

こんなもんでしょうかね~下手に出ませんね、瀬名さん

 

信長は、余興だと亀にやさしく声をかけた

「無論、長篠は助ける」

言いましたよね~信長さん

信じられないのですこの流れで、この対応はびっくりです

ひょっとして信長さん、女性に弱いの、優しいの?

 

でも、ひとまず助かった

 

亀姫は、奥平信昌の手紙を持って長篠から来た家臣に言った

「鳥居強右衛門どの、ようございましたな

奥平殿にお伝えください

どうか持ちこたえて下さいませと

亀は奥平殿の元へ参るのを楽しみにしております

毛むくじゃらでも構いませぬと」

 

長篠へ一刻も早く良い知らせを届けようと

すねえもんは

川に潜り泳ぎ抜き、武田の陣を突破したが

陸に上がったところで武田の兵に捕らえられた

 

武田勝頼の策は、こう言わすことにした

 

「德川の助けは来ん!

わしらは見捨てられた!」

 

後方で勝頼が睨んでいるからどうしようもない

でも、強右衛門は亀姫のあの温かい顔立ちが目に浮かび

思い直した

 

「うそじゃ、助けは来る

それまで持ちこたえろ!」

 

 

捕らえられ、磔の刑になる

 

最期の言葉となったのが

「殿~徳川の姫君様はなあ~

麗しい姫君様じゃ、ようごぜえましたなあ~

大事にしなされや~」

 

ええ人やったんやなあ~すねえもん

 

記念館には、この様に磔の時のすね衛門の姿が掛けられている

 

地元では、今は「鳥居強右衛門戦国街道ラン」

と称し、65kmランが行われると言う

川は渡らない、ですよね

もうじき進化系のマラソンで水泳も組み込むかな?

潜水ですよ

 

岡崎クーデターの「大岡弥四郎」も

長篠を救おうとした「鳥居強右衛門」も

実在人物なんですね

 

上に立つ人の采配、今も変わらないですね

 

 

 

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どうする家康 第十九回お手付きしてどうする!

2023-05-28 17:54:09 | どうする家康

 

 

 

桜の花の下、幹にもたれた信玄は

 

「こ こ ま で か

そ な た の 世 を つ く れ

そ な  た の 器 量 は  は る か に 我  を こ え る

黄 泉 に て  見 守 る」

 

と、勝頼にそう言い残した

 

 

甲斐の虎信玄も、いいお父さんですね

 

「阿部寛さん」の武田信玄は、私はもっとたくさん見たかったのに

脚本家小沢良太さんはあっけなく信玄を死に追いやった

 

信玄は、「戦は勝ってからするもの」と言っていた

どういうこと

 

信玄は戦の前に、戦術を練って練って練りあげる

知略家だったとか

信玄の父は「武田信虎」 息子としては許せない父だったのか

甲斐から追放している

そして「上杉謙信」と何度も戦ったことで戦術のA~Zを学んだようだ

戦に勝ってから戦をするというのは、勝てる戦略を仕上げてから

戦う

ということでしょうか

 

「岡崎の小わっぱ」に「甲斐の虎」は

どうにもならない壁となって立ちはだかった

 

そんな信玄が、突然死んだ

 

「弱き主君は害悪だ、滅ぶが民のため」

 

信玄の言った言葉を家康は思い出していた

戦モードも頂点に達していたところに突然の知らせ

気が抜けたでしょうね

 

やっぱり、気が抜けてました

石川数正さん、家康に何かあったなと勘づき問い詰めたら

「…」

「信長が敵を蹴散らしている時に何をしておられたのか!」

鬼の形相で一喝

 

白兎、岡崎のこわっぱ、あほたあけーと言われ続けている家康

 

張本人、お万は一枚も二枚も上だった

城内の同僚侍女に頼み、自分を柱に結わえさせた

瀬名がやって来た

ここから、お万の被告答弁、みたいな

 

「お方様には申し訳なく思っています」

どうぞ懲らしめて下さいませ」

としおらしく始まったが、

 

「私がこの子を産めばお家が乱れ

城を出て私が育てるとしても、殿のご落胤とあれば

世には恥ずかしくない躾も施さねばなりませぬ

 

我が家は戦で焼け、父は死に母は動けず

とてもそのような…」

 

瀬名がさえぎった

「もうよい、私はそなたを見くびっていたようじゃ

おっとりしたつつましい女ごじゃと

なんのなんの、才ある子じゃ

これではうちの殿などひとたまりもあるまい、見事じゃ

 

殿から金すをふんだんに頂くが良い

それでこの子を立派に育てよ

焼けた社も再建するが良い

恥ずかしいことではない、それも女ごの生きる術じゃ」

 

お万、反論

「恥じてはおりません

多くのご家臣を亡くされて、心が疲れ切っていた殿を

お慰め申し上げたまで

 

男共は欲しいものを手に入れるため

戦をし人を殺し奪います

おなごは、

人につくし癒しと安らぎを与えて手に入れるのです

 

男共に戦のない世など創れるはずなど無いと

政も女ごがやればいいのです

男共に出来ぬことが出来る、お方様のような方なら

 

この子は立派に育てます、いずれ殿のお役に立つ子に…」

 

怖い

 

映画「猿の惑星」で、途絶えさせたはずの惑星の猿の子が

ちらっと映像にあらわれる

この場面の暗示していることと同じ予感が…

 

 

知恵者、石川数正は

「信玄がみまかったとはいえ武田は強大

我ら半死半生、奪われた所領を取り返すのも

困難を極めましょう」

 

巷では、家康の評判は悪い

SNSはなくとも、悪評判は伝わりやすい

 

武田勝頼は三河を取り、信康と瀬名を狙うという

千代が、信玄亡き後も勝頼の駒となっていた

千代はどう仕掛けてくるのか

 

疾如風

徐如林

侵掠如火

不動如山

 

人は城、人は石垣、人は堀、

情けは味方、仇は敵なり

 

兵は詭道なり

 

孫子に倣い知略の戦で世の中を手の内に入れる直前の

信玄の死、残念

 

 

 

 

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どうする家康17~18回真偽有り三方ヶ原合戦

2023-05-21 13:09:39 | どうする家康

 

 

 

 

 

第17回 三方ヶ原合戦

第18回 真・三方ヶ原合戦

 

 

すでに同盟を結んでいる武田と徳川

人質に家康の義弟である松平源三郎勝俊を差し出しもしている

 

源三郎は甲斐でひどい目にあっていると聞き

服部半蔵を甲斐に忍び込ませ連れ帰ることを命じた

 

困った時の半蔵さん

 

なんとか源三郎を浜松城に連れ帰れてよかった

竹千代が今川義元の館で人質生活をしていたが

ずい分待遇が違います、源三郎くん可哀そ過ぎます

 

 

信玄はもう、北の遠江に侵略を始めている

奥三河の長篠などは信玄側に寝返ってしまった

あの金をばら撒いているらしい

 

家康は家臣からどうするどうすると問い詰められ

戦をするのか、しないのか

 

もう、戦は避けられそうにない

信長は ”信玄だけは怒らすな”と言っている

家康の家臣は戦えば十に九は負けると言っている

 

残念ながら、元亀三年(1572)の秋、武田との戦が始まった

これが、世に言う「三方ヶ原の合戦」

ドラマ17回と18回、一昨日ようやく見れました

 

三方ヶ原でどのような戦が繰り広げられたのだろう

 

 

三方ヶ原での布陣

 

武田軍 魚鱗の陣形 (うろこのように並ぶ) 黒い駒

徳川軍 鶴翼の陣形 (鶴が羽を広げたように) 白い駒

 

武田の進軍のしかた

 

三方向から攻める

*信玄本隊、甲府を出発 二万五千

 

*山県昌景の軍 五千

信濃国を出発し

武節(ぶせつ)城(豊田市)と長篠城(新城市) 

攻略し遠江へ向かう

 

*秋山虎繁の軍 二千五百

居城の高遠城(伊那市)を出発し

岩村城(恵那市) 攻略

 

どんどん攻略されて、家康危うしですねえ

更に信玄も動く

 

*信玄 信濃国通過⇒青崩峠(遠江との境界)攻め込む~

 

*馬場信春、只来(ただらい)城(浜松市天竜区)を落とす

 

*信玄軍と馬場軍が合流、二俣城を目指す

 

二俣城は、浜松城、懸川城、高天神城の中間地点にあり

ここを落とされたら、もうそれは致命傷なんですって

なので、本多忠勝らを出陣させたものの敗北(一言坂の戦い)

血気盛んな本多君もそれはひと言もなかったでしょう⤵

 

二俣城代の中根正照

武田からの降伏勧告を聞き入れず頑張った粘った

兵の数が違い過ぎた

降伏し開城せざるを得ず

 

この様に三方向から多勢にて攻め込み

武田信玄は遠江北部を制圧した

 

 

十二月も後半、武田の軍が西へと進む

とにかく京へ向かいたい、時がない、そんなことを言っていた

以前も、胸の痛みを堪えるような仕草をしたが

何か起きているのかもしれない、信玄の身に

 

信玄は徳川の陣には向かってこない

そこで、酒井忠次の提案

諸葛孔明の兵法三十六計のひとつ「空城の計」を実行

門を開け、かがり火をたいてじっと待つ

敵は、罠か?と惑う

 

ま、武田勝頼は攻撃命令を取り下げ陣へと引き換えした

かく乱させることは、出来たようだがだからどうなん

 

やはり西へと進路を取る武田軍を

家康や織田の援軍と共に追う

 

何と言っても多勢に無勢

僅かな時間で勝負は決した

 

德川方の戦死者 約二千

武田方の戦死者 約二百

 

大敗、大打撃を受け敗走

 

この三方ヶ原の合戦で重臣の「夏目広次」「本多忠真」も壮絶な討ち死にを

 

夏目広次は、家康の金荼美具足を身に着け身代わりとなって

戦場の真っただ中へ

 

本多忠真は、ぼろぼろの幟を立て

まるで弁慶のように仁王立ちになり敵を阻んだ

 

命を賭して殿を守った

本望だったんだろう

 

家康の涙は止まらなかった

良き家臣が家康には集まってきてるのですねえ

そういうものが家康には備わっているということ

なかなかそんな人物は~

 

さて、西へ西へと進んでいた信玄の軍だが

 

元亀四年(1573)四月

突然、Uターン

どうするの信玄さん!

 

 

 

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どうする家康 第16回 信玄を怒らせるな

2023-05-04 18:27:00 | どうする家康

 

 

 

歓迎の舞を披露するなんて真っ赤な嘘

舞姫一団は敵でした

 

千代が企てたに違いない

その後ろ盾は武田、いやむしろ金塊

 

そして少女と思った舞姫は、美しい少年

 

榊原小平太が捕らえたのだが、ずいぶん反抗的だ

誰に頼まれたか、なぜ家康を襲ったか

そう問えば、主はいなくて一存でやったという

 

寝っころばって足をばたばた、まるで駄々っ子

暴れながら怒りをぶつけるぶつける

 

「家康は疫病神じゃ、うら切り者じゃ

ここの国主は武田さまが相応しい」

 

家康が少年を放免にすると言ったものだから家臣達は驚いた

 

「あの少年は遠江の民そのもの

次に会った時、敵か味方かは我ら次第」

と、家康さん良いこと言いますね

 

「どうする家康」の作者は

意気地なしの家康のすき間にスッと主君らしい家康を挟み込んできます

見ていて「おっ」と何度か思いました

あまり家康贔屓でない視聴者も変わって行きそうで

 

 

 

「井伊虎松、我が名じゃ」

少年はこう名乗り、去って行きました

跳ねっかえりでしたが、なかなか気骨のある少年じゃありませんか

 

虎松だとすると井伊直虎の養子で初代彦根城主の井伊直政ですよね

父直親は今川氏真に暗殺されているが、恨みはそのためなのか

この先虎松がどう描かれるのか楽しみです

大河ドラマはドラマごとに人物像が変わりますから

 

作者さんも、史実を違えないようしつつ可能なところでは

自分の生み出した形の登場人物に仕立てる

夢の広がる職業ですね

 

井伊虎松役は「板垣李光人」さん、「青天を衝け」では

「德川昭武」の役でパリ万博に渋沢と行った人物

「民部公子」と呼ばれてました

 

背筋はピーンと伸びてしなやかに気高く歩く姿に

この先楽しみな俳優さんやなあと思いました

 

 

 

甲斐には黒川金山や他にも金山があったそうです

信玄が千代の手にばらばらばらっと乗せた

丸くて平たいけど厚みがあって刻印もある

これを「甲州金」というのかもしれません

 

 

なんかこんな形のお団子テレビで見たような、

丸くて真ん中がへこんでるお団子

お餅よりお団子が好きなんです、私は

噛むとあのぼそぼそ感♪

 

 

甲州金が出来た当初は甲斐国内で流通

武田信玄は武力以外にも統制手段を金に委ねていたのかな

何てったって世の中お金~と志村けんさんと柄本明さんが言ったような

千代にも計画遂行に当たり、じゃらじゃらじゃら~と

こぼれ落ちるほど掌にのせてやっていましたね

これが褒賞金となり引間(浜松)の民を取り込んだのですね

 

 

石川数正も、戦えば(十に九)は負けると言うし

信玄だけは怒らせるなと言う

 

 

風 林 火 山

 

 

其疾如風  そのはやきことかぜのごとく

  其徐如林 そのしずかなることはやしのごとく

侵掠如火 しんりゃくすることひのごとく

不動如山 うごかざることやまのごとく

 

孫子の言葉を旗印に、武田信玄は家康を落とそうとしている

 

大河ドラマ「風林火山」をご覧になってましたでしょうか

あの勇壮なテーマ曲、大好きであの頃はガラケーでしたが

長く着メロにしていました

武田晴信(信玄)を市川亀治郎(猿之助)さんが

主人公の山本勘助 を 内野聖陽さんが

 

切なさあふれるストーリーが心に残っています

 

 

 

どうする家康の信玄に戻ります

何だか信玄さん胸の辺りをよく押さえてましたが体調が優れないのか

となると家康を倒すのを急ぐでしょうね

そして、次に信長を攻める

信玄の気持ちは逸る

 

信玄は容赦なく迫ってきます

奥三河が信玄の調略により寝返ってしまった

このままではどんどん領土を奪われる

 

服部半蔵からの情報には於代の息子、家康の義弟の

松平源三郎が甲斐でひどく痛めつけられているという

以前、同盟のため武田に人質として差し出したのだ

一刻も早く助け出さねば

半蔵は女の忍びの大鼠と共に甲斐へ行く

 

焦る家康と家臣たちはあれこれ戦略を話し合った

 

「十に九は負ける」

この言葉が呪縛のように家康の心を縛り付けている

 

本多忠勝が言った

「十に一つは勝てる」

そのひとつを信長は桶狭間でやってのけたではないか

 

 

夏目広次、なかなか殿に名前を覚えてもらえないけれど

「殿には我ら家臣一同がおります」

 

家康には腹心の家来がいる、これが家康の強み

石川数正

酒井忠次

本多平八郎(忠勝)

榊原小平太(康政)

夏目広次

鳥居元忠

大久保忠世

平岩七之助(親吉)

本多忠真(お酒好き)

服部半蔵

 

家康が奮い立った

 

「この地を守り武田に勝つ、この時こそ我らが桶狭間を!」

 

あ~「一か八か」 の上を行く

「十にひとつ」だし~

 

さて駿河、遠江、三河が、徳川の領国となるのは

 

家康さん、戦知らずのようなお顔に見えてますが

たくさんの戦をしておられるんですね~知りませんでした

 

 

 

 

 

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どうする家康 第15回姉川でどうする!

2023-04-30 10:20:44 | どうする家康

 

姉川

滋賀県米原市の北部の伊吹山地の新穂山を水源に南へ流れ

姉川ダムを経由して伊吹山の西側を西へ

長浜市南浜町に達し琵琶湖に到着

 

姉川は淀川水系の一級河川です

なんで琵琶湖に注ぐのに? 

それは、琵琶湖が淀川水系の一級河川だから

琵琶湖は湖でなく川! ビックリです!

この「姉川」という川の名前には、物語があって

「妹川」もあったそうで

この言い伝えはまたの機会に

 

 

家康

金ヶ崎では織田軍のしんがりの木下藤吉郎と共に退き戦にて

信長の逃げる時間を稼ぐことに成功

こんふぇいと4粒、信長から褒美に頂きました

家族は喜んでくれたが

 

ほっとする間もなく次は裏切った浅井長政を成敗するようにと

信長より指示が…あ~あ

しかも先陣を取れと言う

武将にしてみれば大変名誉なことだとしても家康には大迷惑、だろう

でもこれは将軍からの下知だというから逆らえば、どうなる

 

家康は浅井長政から秘密の文を受け取っていた、熱い文を

”信長に義はない

…共に信長を討てよ”

 

以前、信長に地球儀で日本を示してもらった時、

一緒に居た長政と意気投合し、も一度会いたいとお互いに思った

長政が好きになった

私も好きになった(大いなる蛇足にてお詫びを<m(__)m>)

 

この頃家康29歳、まだまだ後の世に知られる神の君とはほど遠く

石川数正、酒井忠次など古参の家臣のお力を借りっぱなし

(でもこういうところが家康のええとこ♪)

 

石川数正、理路整然と意見を述べ心強い

 

今回の戦でも、家康が浅井長政に味方する~と言った時

びしっと言いましたねえ~石川さん

その話からも、やはり今は織田信長に逆らえば墓穴を掘る

 

家康、迷いはしたものの理解は早かった

家臣の石川と酒井は諸々のリスクを背負った上で浅井に付くというなら

殿の言う通りに動くと言った

ここが、今回の”どうする”でした

 

合点はいかぬが、浅井朝倉軍と戦う方向に決定。

 

なぜこんなことになったのか振り返ってみよう

浅井長政と朝倉義景は三代ほど繋がりがあり仲はよい

ところが足利義昭との謁見のための上洛を朝倉は拒んだ

それで信長は朝倉を討つということになった

北の朝倉氏の永い繁栄を潰したくもあったんでしょうね

 

浅井長政の心のうち

1,信長と同盟を結んでいるから朝倉を討つことに加勢する

いや

2,長年の親交のある朝倉を助けたいがそのためには

家康の協力がほしい

 

誰かが

”義の男であるがゆえに裏切るということもあろうかと”

その通りになってしまいましたね

 

家康は長政には好感を持っていた

京で本多、榊原ら若手の家臣が喧嘩してしまった相手が

浅井の家臣だったが信長には上手く言って家康をかばってくれた

そんな浅井に付きたい

たあけ(将軍)とうつけ(信長)の軍勢には付きたくない

分かる

 

浅井長政

家康は味方に付いてくれるのだろうか

家康が浅井朝倉軍側に向けて攻め来る雄叫びが響いた時

何もかも覚悟をした

そんな表情でした、かっこいい

そして即、浅井朝倉軍は、織田徳川連合軍向けて突進しました

 

結果、織田徳川軍の勝利

姉川には、戦に倒れた兵が無数に浮かんでいたのだろう

この辺りには血川とか血原とか、そんな地名が残っているそうです

 

 

そんな中をどうにか戦場から逃げ延びた長政、お市の元へ

お市も戦況を理解していた

夫、長政に必ず信長を倒すこと、まるで命令口調でした

 

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡       2017.7月写す

 

 

朝倉氏の館の有った方から町(再現された)を写す

 

越前一乗谷の朝倉氏が信長に攻め落とされた

この事は一乗谷に観光で行って知った

それが、この姉川の戦いの結末だったと「どうする家康」で知った

 

突拍子もない所を信長はなぜ攻めた?

この意味が少しわかりました

 

朝倉氏邸跡 礎石がずらり

 

庭園跡

 

井戸のあと

 

邸周りの石垣跡

 

 

細長い朝倉氏の領地を一本の道が貫いていた

敵兵はここを進軍したのだろうか

近年、沢山の遺跡が発掘され出した

武士の家、商人の店、藍染めはじめ様々な店が整然と並んでいた

今、一部復元されています

それまでの永い間、一乗谷は土の下に眠っていたのか

 

 

浜松城

                  2017.5月に写す

大河ドラマ「おんな城主直虎」の年で

登りや看板が皆、それの案内でした

 

右端、家康像

 

随分高台にありました

 

 

 

 

 

 

 

家康の軍扇   展示館にて

 

家康しかみ像

 

何て書いてあるのか

 

浜松城天主から、うっすら富士山が見えました

クレーンの先の向かって左に頂が、分かります?

ボランティアさんに見えると言っても始めは信じてくれませんでしたが

認めてもらえました♪

8Kだったらはっきり写せるのだろうけど

 

八幡台↓

 

 

 

数年前の大河ドラマ「おんな城主直虎」の年に浜松に行った

このドラマの地を見たかったので

浜松という地名、元は「引間」

あの田鶴さんが死守した引間城は徳川が落とした

 

信長の命で家康は遠江の引間に

息子の信康、瀬名、七之助は岡崎にという形の転居があった

 

それを祝ってか、引間在住の?かどうか

はっきりしない少女たちが舞を披露してくれる

だがその中にひとりが家康に襲い掛かった

 

ん~ 一向一揆の時のあの巫女姿の千代が送り込んだのか

武田信玄と何か秘密の企てを語っているようでしたが

一体この舞姫は誰?

どこから来たの?

 

 

 

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