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kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

上野の森

2016-08-17 09:37:46 | 旅行

 

 

西郷隆盛像

 

松山千春のコンサートに行った時、上野公園にも行きました。

 

前からお目に掛かりたかった、西郷さん、

 

念願かなってお会いすることが出来ました。

 

横顔もと思ったら、遠くにスカイツリーが少し見えていました。

 

 

 

上野公園には、こんな所があるのですね~

 

「正岡子規記念球場」

 

子規は野球好きだったとか、

 

上野公園博物館横の空き地で野球をしたことがあり、

 

捕手をしていたそうな。

 

球場の前の句碑には、

 

春風やまりを投げたき草の原   正岡子規

 

この句を詠んだ頃は元気に野球を楽しんだり、あちこち行ったりしてたのでしょうか…

 

また歩いていると、赤い色のお堂が見えてきて、

 

よく見ますと、清水寺の舞台のようなのがお堂の前に張り出していました。

 

 

「清水観音堂」 

 

寛永寺の伽藍のひとつで、重要文化財

 

懸造り(かけづくり)で、京都の清水寺の舞台と同じ造り

 

その舞台からこの松の輪を通して不忍池の「弁天堂」を覗くのが参拝のポイントとか。

 

「月の松」

 

 

弁天堂への参道ですが…

8月7日でした…

 

 

 

この人の多さ、いつものことなのでしょうか?

 

実はですね、若い人が多く、特に男子。

手にはスマホ。

境内の景色を見るわけでもなく、ひたすらスマホを見ています。

沢山の人が不忍の池の周りに座って、スマホを操っています。

 

これが噂の、ポケモンGO ?

 

だそうで、噂通り……

 

不忍池の蓮、お昼なので蕾ですがきれいなんですけどね~

 

見ないなんて、もったいない。

 

 

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東京スカイツリー

2016-05-26 23:46:45 | 旅行

 

 Å

東京

スカイツリー

早や、開業から4年

4年はあっという間ですね

ブログに載せても旬を逃してるし

でもディズニーランドも行ってない私には

快挙と言えば快挙のようでしてお許し下さい

 

 

 

高さ 634mの電波塔

 

足元は三角形、高くなるにつれ円形になっていて

高層部にどこから風が吹いても受け流すことが出来ます

 

凄いものを造りますね、人間は

 

 

” 昼顔を這わせてみたしスカイツリー ”

 

 

ほんとは朝顔を這わせてみたいと思った夏の1日

 

 

天望デッキ(340~350m)、天望回廊(445~450m)

 

入場するのに1時間以上、上りのエレベーターに乗るのにまた、

待ちに待って上りました

 

 

名前は「ソラカラちゃん」

 

行列してる私たちを慰め~励まし~

ありがとう

 

 浅草寺

右上はひょっとして、「花やしき」ですか?

 

上野公園?

 

 

 東京ドーム

 

 山の向こうの向こうの向こうに、ひょっとして「富士山」?

 

皇居?

 

 「亀戸天神社」?

 

 観覧車のある所は 「ディズニーランド」

隣の家族連れの方がそう言いながら、この方角を見ておられました

 

 

 ディズニーランドから右へ目を移すと

埋立地の向こうの細長い砂州みたいなのが羽田空港らしいです

 

 

 

 隅田川

X型の橋は桜橋、右奥は白鬚橋

 

 

記念写真屋さん

 

カフェ

 

 

 

 「天望デッキ」から「天望回廊」へ

シースルーの天望シャトルで上ります

みんな上を見ていました

 

 

 天望回廊

 

どうやらチューブの形の回廊を通っています

あとでパンフレットを見たら巨大な輪投げの輪がツリーに

斜めに掛かった、

そんな感じです

外れて落ちなくてよかった~

 

 

 

 

 

東京タワー

 

 

 天望回廊にある最高到達点

 

 

 

 ヘリコプターの高度と大きな差はないような

 

隅田川をけん引船が行きます

  

 

” 見晴るかす武蔵野の夏スカイツリー ”

 

 

 

どうやらここで天望回廊を一周したようです

 

ここまで登ってきたのだから

どんなトイレットかなと…

何だか、列車に乗ってる錯覚を起こしました

 

 

降りるのは、あっという間だったような、

 

 

 

 

東武東京スカイツリーライン 

 

 

13日、電車はすいていましたが、東京メトロのロッカーは

サミットに備え、もうシャットアウトでした

昨日今日も、厳重な警戒網が敷かれていることと思います

何事もなく、終わりますように…

 

 

浅草から見た光景

 

前の晩、宿の窓から

上半分ですがツリーのてっぺんまで見えてラッキーでした♪

 

 

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浅草神社~三社祭

2016-05-24 14:21:35 | 旅行

 

浅草寺の隣りの 「浅草神社」にも寄ってきました。

 

東京のお祭り「三社祭」の名は聴いたことがありますが

偶然、「三社祭」が始まっていて、しかも浅草神社のお祭りだとか

 

周りを見れば、なるほど提灯や幟が上がってます。

 

 

 

 その提灯の中に、聞き覚えのある名前が

「三浦布美子」さん、テレビで見たことあります、確か。

 

 

ポスターによると、13日は

☆大行列

☆びんざさら舞奉納 (都指定無形民俗文化財)

☆各町神輿神霊入れの儀

があるとか

 

 

神輿庫

 

お隣の浅草寺の御本尊は 「聖観世音菩薩」 ですが、

この観音様を宮戸川(隅田川)から網で引き揚げた漁師兄弟と

その観音様を篤く供養した郷司、

この方達が浅草神社に祀られている三神です

 

土師真中知命(はじのなかとものみこと)

桧前浜成命(ひのくまはまなりのみこと)

桧前竹成命(ひのくまたけなりのみこと)


「三社様」 と親しみを込めて呼ばれているそうです。


また、浅草神社には東照宮(徳川家康)と大国主命が合祀されています

 

 

 拝殿 (重要文化財)

現存の社殿は徳川家光の寄進で慶安2年(1649)に完成したもので

昭和36年に拝殿・幣殿・本殿が国の重要文化財に指定されました。

 

 

拝殿内部 、と言っても外から撮ってます

 

拝殿の幕に入っている紋がとても気になりました

 

臨時のテントにくっきりと見えます

「三網紋」

アレッ?

 

” 三社祭三網になるスカイツリー ”

 

 

ここでまた漁師と観音様の話になりますが

 

推古天皇36年(628)早朝、漁師の浜成、竹成兄弟が宮戸川(隅田川)で

漁をしていました

その日は魚は全く網にかからず、途方に暮れていると、

はからずも一体の人型像が網にかかり、

川に戻し場所を変えて網を打つものの、また網に…、

それで、人型像を持ち帰り槐(えんじゅ)の切り株に安置し、

その後、郷土の文化人土師中知に相談しました

この像は聖観世音菩薩であることを知り、

土師中知は自宅を寺とし僧となり観音像を生涯供養しました

 

明治維新以降寺社分離となりましたが

浅草寺と浅草観音は深い縁があるのです

 

あ、三網紋のことでした!

これは観音様を引き上げた漁の網の模様です(干し網)

真ん中の背の高いのが土師中知

両側が浜成、竹成で、ちょっと背の高い方が兄の浜成を表しているそうです

向かって右が高いですか?

 

 

神楽殿

 

この舞台で「びんさざら舞」が奉納されていたのですが

その時、御朱印頂くのに並んでいて見てないのです(ーー;)

予め、調べておけばよかったと、今回も後悔…

これがほんとの、後の祭り…

 

 

 

 Sanja Festival !   Binzasara !! Asakusa Tokyo Japan. 【May. 2015】  First day, Sanja Festival.    三社祭 ♪   大行列。 びんざさら舞 ‼ 【2015年 5月15日】  浅草、三社祭の初日。    #Binzasaramai #Parade #Asakusa #SanjaFestival #Risuta #RisutaJapan #RisutaJapanIntroduction #RisutaAsakusa #RisutatheSights #RisutaRecommendTheSights #RisutaWalk  #RisutaShrineandTemple #RisutaJapanTraditionalEvent #RisutaSanjaFestival #RisutaPhoto #びんざさら舞 #大行列 #三社祭 #りすたの1日 #りすたの浅草 #りすたの観光地 #りすたのおすすめ観光地 #りすたの日本 #りすたの日本紹介 #りすたの散歩 #りすたの5月 #りすたの神社と寺 #りすたの日本伝統行事 #写真家りすた #りすたの三社祭

(参考写真)

 びんさざらとはこんな形をしてるんですね

(何枚かの板を合わせ両側を紐で止めてある楽器)

 

それから、浅草は川柳発祥の地だとか

三社祭に合わせ川柳の大賞を発表していました

 

 

大賞

” 復興を祈り三つ網凛と立つ ” 泉州男

 

一之宮賞

” 三社祭江戸っ子たちのエンブレム ” 瀬戸ピリカ

 

二之宮賞

” インスタを飛び出しそうな江戸神輿 ” 会田卓也

 

三之宮賞

” 三社祭七百年のルーティーン ” 保

 

受賞の川柳でした

 

 

川柳は江戸時代、柄井川柳(八右衛門)が始めたとあります(からいせんりゅう)

 

()

元祖 柄井川柳

福助さんみたいですね

 

俳句とは違う点が幾つかありそうです

 

びんさざら舞の鑑賞を棒に振って頂いた御朱印

三社祭限定だそうです

浅草神社(三社様)の御朱印

 

こちらは浅草寺

 

御朱印帳がいっぱいになり、2冊目は浅草寺で買いご朱印もここのを一番に

良い所で買えてよかった~

 

 

さて、ざっとですが古刹を訪ねました

 

そして、気になるものがチラチラ見えるのです

 

何もかも初めてのことで、上手く行けますかどうでしょう

 

観光マップを見る

スマホで検索する

近くに居る人に片っぱしから尋ねる

 

こんな風に当たって砕けてきました

 

 

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浅草に

2016-05-21 19:25:22 | 旅行

 

コンサートに合わせて観光するのが楽しみになりました

今回は浅草に行ってきました

春、秋、年2回の旅です

  

浅草といえば、雷門かと思いまして

(初めての浅草です)

 

 雷門(風雷神門)

提灯が上に手繰ってありました

テレビで見たのは広げてあるのに…

 

 

右下修学旅行の女子、このポーズは何ていうんでしょうね?

 

 

 この門を寄進したのは松下幸之助さんだとか、

名前が入ってますが、Panasonicになっても松下電器のままと

以前テレビで聞きました

高度成長時代をリードした名前ですもんね

 

 

    

雷神            風神 

          

  天龍(男神)            金龍(女神)   

こちらは門の裏側におられる龍神像です

 

仲見世通り

 

 「舟和」 こんな所に!

以前パートをしていたデパートで時々お店が出て、

その時だいたい買っていました 

重たいので今回はやめました(^_^;)

 

人形焼のお店

たくさんあってどこのが良いのか分からないので

お寺に一番近いお店で買いました、あん入りを

 

宝蔵門(仁王門)

昭和39年に浅草寺宝物の収蔵庫を兼ねた山門として建てられ

鉄筋コンクリート造で重層の楼門


こちらの提灯も手繰られてましたが

「小舟町」と書かれています

(日本橋小舟町奉賛会より)

 

 

 

横には五重の塔も

 

修学旅行生、多いですね~!

 

宝蔵門にも私の大好きな仁王さんが

     

阿形像            吽形像

造った方が違うからか、表情もかなり違います

 

     

大わらじ (宝蔵門の裏側にあります)

山形県村山市の奉賛会によってずっと奉納されている

4.5mあり延べ人員800人、一ヶ月をかけて制作されたものである

と説明版がありました

 

 

 

浅草寺の境内から見えるんですね~

 

 本堂

屋根がかなりの急こう配です,

きれいですね~屋根

 

本尊は聖観世音菩薩

 

浅草寺の草創の由来は、推古天皇36年(628)、

宮戸川(今の隅田川)で漁をしていた浜成、竹成兄弟の網に偶然、

仏像がかかりました

この兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、

自宅を寺に改めて供養しました

これが浅草寺の始まりと伝わっています

残念ながら、秘仏で目にすることは出来ません 

 

天井画が鮮やかでした

 

外陣の天井には

堂本印象筆 「天人散華の図」の天井画 ↑

先月行きました、京都衣かけの道の堂本印象美術館

仏画も沢山書いておられるとか

 

川端r龍子(かわばたりゅうし)筆 「龍の図」↓ 

おどろおどろと…

 

 

本堂から仲見世を見てみました 

浅草寺は大提灯がいくつもあります、なぜか 

 

 

 五重塔

 

 石橋

都内最古の石橋で元和4年(1618)に造られた

 

 

近くの保育園児と思われます、ただいま休憩中

お散歩のルートは浅草寺経由なのですね

お寺の裏側なので、人が少なく安全です♪

次はどこへいくのかな?

 

私は隣の浅草神社へ行きます♪

 

 

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伊勢~おかげ横丁

2016-01-19 11:54:09 | 旅行

 

 

何とも大胆な寝姿の猫さん

 

「おかげ横丁」のお店の前で、寝ていました

 

伊勢神宮、内宮の前からおはらい町通りを歩いてしばらくすると、

 

 

通り沿いに伊勢の名物「赤福」の本店があり、その向かい側から

 

「おかげ横丁」が奥へと続きます

 

 

1月9日、この日は運よく太鼓櫓にて

【新春郷土芸能 伊勢大神楽】が披露されてました

 

「伊勢大神楽」 は獅子舞のルーツとのことです

 

江戸時代、伊勢地域に伝わる“御頭神事・おかしらしんじ”に

 “放下”と呼ばれる曲芸を交え、

伊勢神宮にお参り出来ない人のために諸国を巡り、

神楽奉納の代役を務めたのが始まりです。

 

子供の頃、獅子頭を付けた人や笛や太鼓を鳴らす人が

家々を周り、神楽を舞っておられました

 

「伊勢大神楽」とは、この事なんだなと思いました

(お頭神事は発祥は古く悪魔祓い、厄除けのために舞ったもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかげ横丁内 「太鼓櫓」

 

 

 

様々なお店が出ていました

鉄砲で撃って当たればそれがもらえるのかな

 

輪投げ 

 

のんびり回れるといいのですが、人手は凄いし

時間厳守の団体行動中、

早々にバスに戻りました

 

わずか遅くなっただけで、ほぼ予定通り家に帰れましたが、

それは当たり前のことと思いながらも

無事帰れて、幸いだったとも思えるのです

 

今後、シートベルトは忘れずに掛けることにします。

 

 

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皇大神宮・こうたいじんぐう(内宮)

2016-01-18 13:16:16 | 旅行

 

お伊勢さん、最後に内宮をお詣りしました 

 

 

お伊勢さんといえば、まずこの鳥居とその奥に宇治橋が 

 

宇治橋周辺は、人、人、人で写真は撮れませんでしたが五鈴川を見下ろすと、

 

「木除杭・きよけぐい」

といい、川の増水などで流木が宇治橋の橋脚に衝突しないようにと

上流側に数本立てられています

 

御正殿・ごしょうでん

「唯一神明造・ゆいいつしんめいづくり」 という日本古来の建築様式

 

外宮もこの様式でした

 

「唯一神明造」は高床式の穀倉の形式から発展したものといわれます

 

正面からは御正殿はなかなか見えなくて横に回りました

大きな敷地があり、御正殿が塀越しですが見えました

 

金色に塗られたのは鰹木(かつおぎ)といい、10本萱葺き屋根に

のせられています

角の様な4本は千木(ちぎ)といい、先端の切り口は地面に水平に

切られています 

 

 

新御敷地(しんみしきち)

 

新御敷地は同じ広さの土地が二面有り、

式年遷宮で建て替える時、この土地を交互に使います 

20年ごとに、東側西側と移られることになります

 

上の写真で、石に囲まれた所は?

神様が鎮座されるのでしょうか?

 

 

 荒祭宮(あらまつりのみや)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)を

お祀りしてあります

荒御魂は神の特別な働きをする状態、または

神が現れる状態をいうそうです

 

あれかな?天孫降臨とか、神様の怒りが頂点に達し、

超能力を発揮する状態のような、

俗っぽく言って申し訳ありません、神様

 

こんな事聞いたことがあります

「荒…」は神様が怒っている時

本来は和魂(にぎみたま)、穏やかに見守っておられる

 

 

神様も性格に二面性があるのですね、

 

「荒祭宮」は別宮の中で最も格式が高いのです

昨年、式年遷宮の数日前にお詣りした時、

御正殿はお詣りできず、仮の御正殿として、ここ、「荒祭宮」へ

誘導されたこと思い出しました

 

2年続けてお詣りしたなんて、我ながら殊勝な心掛けです(ー_ー)!!

 

 

 神楽殿

ここは、銅板葺きの入母屋造

隣に御朱印授与所がありましたが、やはり若い方たちはじめ、

たくさんの方が並んでおられ 、時間厳守の団体行動中につき断念

 

数年前の御朱印はこちらなんですが…

 すっきりしてます…

今年のも同じなら、まあ…

 

新年早々、しかも式年遷宮なったばかりの伊勢神宮にお詣りできて

よかったです

 

荒魂、和魂(あらみたま、にぎみたま)

 

私、山の神もいつも和魂であるように心がけてこの一年を、

 

いいことありますように 

 

 

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豊受大神宮(外宮)

2016-01-13 18:02:38 | 旅行

 

「伊勢神宮」 は単に 「神宮」 というのが正式名称だそうです

 

 

その神宮の「外宮・げぐう」 何十年ぶりでしょうか、参拝しました

外宮(豊受大神宮・とようけだいじんぐう)は

食物、穀物を司る神で衣食住をはじめ、

あらゆる産業の守り神です

歴史は内宮創建から500年後に始まりました

 

御正殿(ごしょうでん)

「唯一神明造・ゆいいつしんめいづくり」という日本古来の建築様式を伝える

食物・穀物を司る神、豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る

 

 

御正殿を横から拝すると

 

別宮 土宮(つちのみや)

外宮の土地の守り神~大土御祖神(おおつちみおやのかみ)

 

 

別宮 風宮(かぜのみや)

 

風の神、「級長津彦命・しなつひこのみこと」 と

「級長戸辺命・しなとべのみこと」 を祀る

 

鎌倉時代の二度の元寇

その時神風を起し日本を守ったとされています

 

 

別宮  多賀宮(たがのみや)

「豊受大御神・とようけおおみかみ」の「荒御霊・あらみたま」

を祀る

外宮の中で一番格式が高い

階段100段登った高い所に祀られていました

 

神楽殿(かぐらでん)

 

右側で神楽やご祈祷が行われ、左側は御朱印やお札を授与する所

昨今の御朱印ブームはほんとですね

若い方の行列が長くなってました

 

時間厳守の団体行動中につき、私は断念(/_;)

 

内宮に比べ境内はそう広くなく、

主な所を周って早々に内宮へと移動しました

 

ところで、境内でここに人だかりが出来ていたのですが

一体なんだろうと思っていました

家に帰り調べると「三ツ石」と言ってパワースポットとして

話題になっているらしいですが

実は

 

「川原祓所・かわらはらいしょ」と言い

式年遷宮の時、お祓いをする位置だとか

特に石の説明もありませんでしたし、パワースポットというのは、

後付の一種の流行り言葉かな?

 

かつてはこの辺りに宮川の支流が流れていたらしいです

 

地震や津波で地形が変わったことは想像できます

 

石の他にも、長い年月を越えてきた杉などの木に手や耳を当て

パワーを感じようとしている人を多く見ました

私にはどうもそういうのを感じる能力が無い様なので

せめてもと、お賽銭を投げ 

「二礼二拍手一礼」 

の作法でお祈りして来ました

 

”   初詣ルーティン決めて運は天  ”

 

 

 

 

 

 

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お伊勢参り~夫婦岩

2016-01-12 13:11:06 | 旅行

 

1月9日、毎月恒例のシニアクラブの活動(遠足?)で

伊勢神宮外宮内宮、二見が浦に行ってきました

 

最近、雨女はどこへ行ったやら…

いいお天気でした

 

 

伊勢神宮は、多くの人々に信仰されてきましたが、

かつて参拝する人たちはまず、二見が浦で海に入り身を清め(禊・みそぎ)

すなわち浜参宮(はまさんぐう)

をして、それから伊勢神宮参拝をしたそうです

 

二見が浦~夫婦岩 

 

 

 二見興玉神社の裏参道

夫婦岩の後方から近付いたのは初めてです

 

二見興玉(ふたみおきたま)神社

 

祭神は「 猿田彦大神・さるたひこおおかみ 」と

「 宇迦御魂大神・うかのみたまおおかみ 」

 

この猿田彦大神ゆかりの霊石、或いは化身と言われる石が

「興玉石・おきたまいし」

 

夫婦岩から沖合700mの海底にあります

 

「興玉・おきたま」の名の由来は「澳魂・おきたま」

海中の神霊を意味するもので、大きさは

東西216m x 南北108m

随分大きいのですね

 

今は肉眼では見えません

 

宝暦年間の地震で海中に沈み、1960年のチリ大津波で水が引いた時

一時だけ姿を現したそうです

興玉石、全く誰も見れないのかなと思ったら、

5月21日、興玉神石付近に生える霊草の無垢塩草を刈り取る

藻狩神事

が行われていますので、儀式に携わる方は見る事が出来ることになるかと

 

興玉神石を拝するのが二見興玉神社で、

夫婦岩は、言わば鳥居の役目を成すものとか

 

猿田彦大神は道開き(導き)の神とされ、神の使いは蛙

 

 

境内のあちこちにかえるさんがいましたよ

 

 

 

龍宮社

 

海の護り神、「綿津見大神・わたつみのおおかみ」 

をお祀りしています

 

夫婦岩の近くにこんな石がありましたが…

石の上に神の使いの蛙が乗っているように見えるのですが…

自然にこの様な形を成したのでしょうか… 

 

 

注連縄もまだ新しく、 

 

 天の岩屋

 

稲を司ると言われる「宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」

今は二見興玉神社に祀られていますが

元は三宮神社に祀られていましてその頃の神社の遺跡が

天の岩屋です

 

「天の岩戸」 「天の岩屋」 と称される場所は全国あちこちにありますが、

ここもそのひとつで、天照大神が隠れられた処(日の入処)のひとつ、

とされています。 

神話でいっぱい!


参道沿いに歌碑や句碑がありました


” 変わらじな波は越ゆとも二見潟妹背の岩のかたき契は ”

” かわらじななみはこゆともふたみがたいもせのいわのかたきちぎりは ”

本居宣長

 

” 夏至祭のしののめ明り夫婦岩 ”

小路紫峡 俳人

 

↓写真失敗しましたが

 

” 大初日二見の厳を抱擁す ”

阿波野青畝   俳人

 

今回は句碑の前を通れなかったのですが、芭蕉さんの句碑も

近くにあったそうで

 

”  うたがうな潮の花も浦の春  ”

芭蕉

 


私達は、ここを最後に参拝したのですが、

次第に波が荒くなり、寒くなってきました



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杜の都、仙台

2015-12-04 11:23:32 | 旅行

 

 仙台での最後の日、

一日乗車券で「るーぷる仙台」というバスに乗り

市内中心部を乗り放題してきました

 

杜の都・仙台の象徴になっているケヤキ並木のある、青葉通

青葉通のほかにも、大通りはケヤキ並木になっています

 

 

 

 

 

 

4種類のバスを見かけました

 

このバスが、イチ押しの観光スポットに連れて行ってくれます

 

しかも、運転手さんが、ハンドルを操りながら観光案内までしてくれます

 

親切に、車窓の景色、これから行く名所、

 

優しく説明してくれて、まるで観光バスでした

 

ただ、違うところは満員で座席が確保できなかったこと

 

私はまず最初に 「晩翠草堂前」 でバスを降りました

 

バス停の、はす向かいに晩翠草堂があります

 

「天地有情」

石碑には晩翠の執筆した第一詩集の名前が刻まれています

 

 青葉通に直角に 「晩翠通」 と名付けられた道もあり、 

仙台の方々にとって大切なかたであることが分かります

 

 

土井晩翠は明治4年、青葉区生まれ

東北大学の前身のひとつ、旧姓第二高等学校出身

 

「荒城の月」 の詞はあまりにも有名ですね

(作曲 滝廉太郎)

 

”  荒城の月をうたひしわかきゆめ 夢をつゞけて我は猶生く ” 晩翠

 

奥様の随筆も展示されていました

随筆 藪柑子(やぶこうじ)     土井八枝

 

奥様もすごい方だそうでして、八枝さん有りきの土井晩翠さん

と言われることもあるとか?

 

東京音楽学校に通っている時、晩翠と知り合い結婚

翌年、仙台に赴任する夫に追従し、永住

仙台弁に早く慣れようと勉強するうち「仙台方言集」更に「土佐方言集」

を執筆

随筆「藪柑子」は土佐でのエピソードを、また風物にも触れていて

他にも英文学を学んだり、婦人団体で活動したり、

とても、努力家で研究熱心な人とのことです

 

晩翠草堂では、案内の方がおられて、丁寧に説明して下さいました

私のくだらない質問すべてに的確な答えを下さり、

ほんと、ビックリ・ポンでした

 

長話になったので、

「そろそろバスの時間ですので…」

『いや、次から次へとバスは来ますから…』

とお話を続け…

気付けば1時間以上、

荒城の月を聞きながら

8~10畳2間ほどの居間で立ち話をしていました

晩翠の話、伊達政宗、杜の都となった所以

いっぱい話しました

 

もう、なんぼなんでもこれ以上は…

 

次の行先は、るーぷる仙台バスの行くままに

 

 

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松島湾の霊域、雄島

2015-12-01 12:48:15 | 旅行

 

とうとう12月ですね

 

出し惜しみしてる訳ではないのですが、

仙台で取り集めた写真が残っていて、落ち着かない私です

 

松島湾の「雄島(御島)」

ここは、芭蕉さんも訪れていますが、

島全体が霊場です

岩窟あったり、僧侶が籠もり修行に励んだお堂が有ったり、

見晴らしはどうかな、なんて気軽な気持で足を踏み入れたものの、

霊域だな、 と感じました

 

訪れる人もほんとに少なく、静まり返っていました

 

 

 

 

見佛堂跡

全国から僧侶や巡礼の人が修業に来ました

その代表といえる見佛上人(けんぶつしょうにん)が

六万部の法華経を読誦(どくじゅ)したお堂妙覚庵のあった所

鳥羽天皇はその功績を讃え、松の苗木本尊を下賜されたことから

(御島)雄島と呼ばれる

 

 

 

 

頼賢(らいけん)の碑

島の高い所、見晴らしのいい所に祠がありました

この祠のなかに国の重要文化財 「頼賢の碑」 があります

「奥州三古碑」のひとつとされ、徳治二年(1307)

頼賢は見佛上人のあと、妙覚庵主になっています

その頼賢の徳行を讃え、弟子三十人余りが建てました

 

板碑に書かれた松島の歴史などの銘文は

鎌倉建長寺の十世唐僧一山一寧が草書で記したとして有名です

 

私、お堂の隙間から見ようとするのですが、分かりませんでした

 

頼賢の碑

板碑の画像を探してもなく、ネット上で唯一これがありました

 

 

あずまや

見晴し台とはいえ、そう高くなく

津波はもしかしてここまで押し寄せたのでは…

 

雄島真珠稲荷大明神

海の守りの神様でしょうか

 

真珠稲荷大明神の石の鳥居

 

雄島にもこの「奥の細道」の標識がありました

 

塩釜から船で松島海岸に着いた芭蕉と曾良は

まず、瑞巌寺を詣で、雄島、五大堂を巡ります

 

芭蕉は松島の句を詠むのを断念したが、眠られず、

旅立ちの前に知人からもらった句を袋から取り出し、

『 こよひの友とす 』

と記しています

 

雄島では、句を詠むこと、雲居禅師(うんごぜんじ)のお寺を探す、

どちらも叶わずに、夜眠れなかったのでしょうか…

 

松島には数日滞在し、石巻へと旅立っています 

 

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