礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『日本書紀』の撰修者と訓読者に関する神田仮説

2015-06-05 04:42:59 | コラムと名言

◎『日本書紀』の撰修者と訓読者に関する神田仮説

『日本書紀古訓孜證』の著者である神田喜一郎博士は、同書の改訂私家版(一九七四)において、「日本書紀の撰修、竝びにその訓読」に、「彼土の渡来人」が多く参与していたのではないかという見解を提示した。神田博士のいう「彼土の渡来人」というのは明確でないが、たぶん、中国語を母語とする渡来人、すなわち中国人のことを指していたのであろう。
 神田博士のこうした見解を「仮説」の提示として捉えてよいかどうかは、微妙なところだが、ここでは、一応、「神田仮説」と呼んでおくことにしたい。
 神田仮説は、これをふたつに分けることができる。
A『日本書紀』の撰修には、中国からの渡来人(中国人)が、多く参与していた。
B『日本書紀』の訓読にあたっても、多くの中国人が参与していた。
 このうち、神田仮説Aは、のちに、森博達〈モリ・ヒロミチ〉氏の一連の研究(『日本書紀の謎を解く』一九九九など)によって、おおむね正しいことが明らかになった。ただし、森氏の研究によれば、渡来した中国人が撰修にあたったのは、『日本書紀』全巻ではなく、そのうちの三分の一強の巻である。また、森氏は、撰修にあたった中国人の「数」にまでは言及していなかったと思う。
 では、神田仮説Bは、どうなのだろうか。これについて考える際に、参考になると思うのが、唐煒さんの著書『日本書紀における中国口語起源二字漢語の訓読』(北海道大学出版会、二〇〇九)である。唐さんは、同書の「結論」の末尾において、次のように述べている。
 
『日本書紀』の二字漢語148語の訓読例を検討した結果、まず名詞・動詞・形容詞と副詞・連詞(接続語)とでは、大きく異っている。二字名詞の殆ど、二字動詞・形容詞の大部分が一語の和訓として適った訓み方がされていて、名詞・動詞共、二字一語として読まず和訓も不当な例は1語もない。
 これに比して、副詞・連詞(接続語)では、二字一語として訓まない例の方が多く、和訓も不当な例が相当数存する。名詞・動詞・形容詞の如く概念を表す語の訓読は、中国語として相当に特殊な語であっても正確に訓まれている。これに比して、副詞・連詞(接続語)の訓読は、正確とは言い難い。これは、訓読という学習作業の性格を示唆している。即ち、名詞・動詞・形容詞等概念を表す語の学習では日本語で正確に理解することが期され、副詞・連詞等の学習では必ずしも日本語で正確に理解することは期されず、漢文の原表記を目で見て語意を補う一面もあったのではないかと考えられる。漢文訓読は、原表記に基いて原表記を目で見ながら日本語で理解することで翻訳とは異る。『日本書紀』の訓読においては、原則として字音訓みをせず総て和訓訓みであったので、漢文訓読という学習作業の性格が鮮明に表れる結果となっている。

 すなわち、唐煒さんの研究結果によれば、『日本書紀』に含まれる口語二字漢語のうち、副詞・連詞(接続語)の訓読は、「正確とは言い難い」という。これは、何を意味するのか。『日本書紀』の訓読にあたっては、中国語を母語とする渡来人によるチェックが、十分には働いていなかったと捉えるべきであろう。すなわち、唐煒さんの研究は、神田仮説Bが、成立しない可能性を示唆しているといってよいのである。
 なお、神田喜一郎博士は、『日本書紀古訓孜證』一九四九年初版の「後語」、同一九七四年改訂版の「結語」において、「古訓の漢土訓詁学上より見て極めて正確たること」という見解を示していた。この神田博士の見解は、唐煒さんの研究によって、その妥当性が問われる事態となったと言うべきであろう。
『日本書紀』の撰修および訓読をめぐる問題については、まだ、いくつか補足したい点があるが、明日は、いったん話題を変える。

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