礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

松川事件「真犯人からの手紙」は政治的怪文書

2015-07-12 08:34:58 | コラムと名言

◎松川事件「真犯人からの手紙」は政治的怪文書

 昨日の続きである。松川事件弁護団の松本善明弁護士宛に送られてきた「真犯人からの手紙」は、本物なのかニセ物なのか。わたしは、「そのどちらでもない」と考えている。本物なのかニセ物なのか、その判断がつきかねると言いたいのではない。本物でもなく、ニセ物ものでもなく、そのどちらとも言えないものだと判断したのである。
 昨日のコラムで、「真犯人からの手紙」のうちから、次の三つの文章を抜き出しておいた。

1「私達七人の内二人は名古屋、二人は前橋、二人は岡山に現在います」
2「事件にはたしかに道具はつかっております」
3「私達は、今最高裁の出方を見守って自首する日をきめております」

 この手紙を書いた人物を、仮にAとする。1を見た限りでは、この手紙を書いた人物Aは、かつて列車転覆事件を実行したグループに属しており、今でも、そのグループと連絡を取りあっているかの印象を受ける。しかし、Aがこのように書いているからと言って、彼が本当に、列車転覆事件を実行したグループに属していたかどうかはわからない。列車転覆事件を実行したグループではなく、周辺で警戒にあたっていた応援部隊に属していたのかもしれない。あるいは、実行部隊、応援部隊の一員から、断片的な話を聞いただけの人物だった可能性もある。
 次に2であるが、この程度のことなら、列車転覆事件を実行したグループに属していた人間でなくても言える。もしAが、本当に、事件の実行部隊に属しており、かつ、手紙を送った松本善明弁護士に、自分が事件の実行犯であると信じてもらおうとするならば、もう少し具体的な「秘密の暴露」があってしかるべきである。たとえば、誰から指令を受けたかとか、どこに集合し、どのようにして現場まで移動したかとか、犯行後、どのようにして現場を離脱したかとか、犯行中、あるいは移動中に誰かに出会ったとか、そういう「秘密の暴露」があれば、手紙に信憑性が増すはずなのに、そういったことは書かれていない。やはりAは、事件の実行部隊には属していなかったと考えたい。また、周辺で警戒にあたっていた応援部隊に属していた可能性も低いと思う。事件に関わりがあるとすれば、実行部隊、応援部隊の一員から、断片的な話を聞いた程度に留まるのではないか。
 さらに3であるが、この文章は、手紙を書いたAが、松川事件裁判の熱心なウォッチャーであったことを物語る。もちろん当時、日本の多くが、松川事件裁判に注目していたわけだが、Aは、とりわけ熱心に、この裁判の動向に注目していた。というのも、Aは、事件の真相に関わる人物と接触があり、事件の真相の一部を把握していた。そうした情報を、「有罪」が確定してしまう前に、早急に発信しなければならないと焦っていたからである。
 そうした焦りが、事件の「真犯人からの手紙」という形になって、世に出たのではないか。したがって、この手紙には、「秘密の暴露」と思われる部分がほとんどない。あるとすれば、メンバーが、「七人」だったこと、その七人は、今でも連絡を取りあっており、当時も今も、全国に支部のようなものを持つ大きな組織に所属しているといったことぐらいか。
 おそらくAは、この事実を示すだけでも、謀略を仕掛けた勢力に対し、一定のインパクトを与えうると考えたのだろう。それ以上に、有罪確定に対する歯止めにもなりうると判断したのではないだろうか。したがって、この手紙は、最高裁が、事件を仙台高裁に差し戻した時点で、ひとまず、その役割を終えたのだと思う。
 結論的に言うと、この手紙は、「真犯人からの手紙」というわけではないので、少なくとも本物ではない。しかし、全くのニセ物かというと、そうも言い切れない。「真犯人からの手紙」を偽装しながら、「真実」の一部を示し、それによって裁判の動向に影響を与えることを意図した政治的怪文書であった、と言えるのではないだろうか。

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