礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵の正価主義

2013-10-30 05:06:53 | 日記

◎新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵の正価主義

 昨日の続きである。森永製菓の正価主義は、一九三八年(昭和一三)の時点で崩れようとしていたが、当時、これを批判していたのが、新宿中村屋の相馬愛蔵であった。
 つまり、相馬愛蔵は、森永太一郎以上に徹底した正価主義者であり、森永の「崩し売り」を批判すると同時に、みずからはなお、正価販売の方針を貫いていた。
 昨日、『一商人として』の一部を引用したが、本日引用するのは、それに続く部分である。

 ちょうどその頃、佐久間ドロップで会社が設立されて、製品が宜しかったので私の店でも取引し、販売に尽力した。
 ところがある日お客から意外な叱言を受けた。
『このドロップは○○(森永製品の輸送を中止された店)では一斤四十銭で売っているのに、貴店で五十銭取るとは怪しからぬ。』
 調べて見ると仕入原価が四十二銭、五十銭の売価は不当ではないのだが、他に同じ製品を四十銭で売る店があるとは不思議なことであった。そこで○○百貨店を調べると正しく四十銭に違いない。問屋に照会したところ問屋の仕入原価が四十銭、問屋も驚いて会社〔佐久間ドロップ〕に厳談に及ぶと、会社の言い分は、
『○○百貨店は毎日六百罐(七斤入り)を現金取引ですから特別待遇です。』
 これでは商業道徳も何もあったものではない、私は直ちに佐久間ドロップの販売を中止した。問屋も会社との取引を拒絶した。ここまで来ると会社もさすがに其の非を覚ったのであろう、○○百貨店の安売も間もなく中止されたのであった。
 さてまた森永のことに帰るが、社長森永氏が中村屋を訪問せられた際、私は二十年前、氏が某百貨店に示された毅然たる態度〔昨日のコラム参照〕を称讃し、お互いに商売はかくありたいものだというと、氏は撫然として、『その後同業者もいくつか出来まして、競争と自衛上から、今日では売くずし販売も前のように強くは抑えることが出来なくなりました』と答えられた。そこに自から〈オノズカラ〉会社の苦心も窺われるのであるが、景品付き販売や温泉招待や、やむを得ず行われるらしいこの競争によって無益に失われる莫大な費用を製品の向上に向けられたたら、販売者にとっても購買者にとってもどれ程幸いであろう。私は自分が正価販売をして、確実な商法の喜びを知ると共に、森永明治の二大会社初め他の同業者にも切にこれを勧めるものである。

 これによって、森永太一郎と相馬愛蔵との間に、交流があったことが確認できるのである。なお、この両者は、洋風の食品を製造販売していたこと、および、クリスチャンとしての商業道徳を持っていたことという二点において、共通性がある。

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