礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森永ミルクキャラメルの「崩し売り」について

2013-10-29 05:34:07 | 日記

◎森永ミルクキャラメルの「崩し売り」について

 一〇月二三日のコラムで、森永製菓の「正札主義」について述べた。その後、この記事に関して、補足しておくべき事実に気づいた。
 新宿・中村屋の創業者である相馬愛蔵(一八七〇~一九五四)に、『一商人として』(一九三八、岩波書店)という自伝がある。相馬愛蔵は、森永太一郎と交流があり、同書の中で、森永太一郎やその商売について触れている。
 本日は、森永製品の「定価」について述べている部分を引用してみる。ただし引用は、杉浦民平編『ひとすじの道』(筑摩書房「現代記録全集」13、一九七〇)から。

 現在森永の定価十銭のキャラメルが八銭で売られ、明治の小型キャラメルが三箇十銭で売られているのは周知の事実だが、信用ある大会社の製品がこんなに売りくずされているのを見るのは誠に遺憾である。
 世間ではこれを単に小売店の馬鹿競争と見ているようだが、私に言わせれば両会社の責任である。会社自身が互いの競争意識に引ずられて、一時に多量の仕入をする者には割戻し、福引、温泉案内などの景品を付ける。従って必要以上に多量に仕入れた商品は、それだけ格安に捌く〈サバク〉ことが出来るのみでなく、ついには投売〈ナゲウリ〉もするようになる。この順序が解っているから両会社も市中の乱売者を取締ることが出来ない。森永も明治も市内目抜きの場所にそれぞれ堂堂たる構えで売店を出しているが、喫茶の方は別として、ここに来て会社の製品を買う客の意外に少いのは、この定価以下の崩し売りが会社自身の売店では出来ないからであって、会社自身の不見識な商策から直営店の繁昌が望まれないことは、皮肉といおうか笑止といおうか、会社でも確かに困った問題であろう。
 嘗て〈カツテ〉森永が独占的地位を占めていた大正の初め頃、某百貨店が森永の製品を定価の一割引で売出したことがあった。
 その時森永では直ちにその百貨店に抗議して、全国幾十万の菓子店の迷惑であるとて譲らず、ついに商品の輸送を停止してしまったことがある。百貨店側では自分の方の利得を犠牲にして客に奉仕するのに製造会社の干渉は受けないという言い分であったが、さすがに権威ある森永は、そんな商業道徳を無視するものの手でわが製品を売ってもらおうとは思わぬ、絶対にお断りするといって、二年間も頑張り通したのであった。

 ここで、相馬愛蔵のいう「現在」とは、一九三八年(昭和一三)ころを指している。
 結論的に言えば、森永は、大正初年には、その「正札主義」の方針を貫こうとしており、そうすることも可能だったが、一九三八年の「現在」においては、その方針を貫くことは、かなり難しかくなっていたということである。【この話、続く】

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