礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

品川弥二郎の出自について

2014-10-06 05:02:37 | コラムと名言

◎品川弥二郎の出自について

 品川弥二郎(一八四三~一九〇〇)という人物について、少し、調べてみたいと思っている。幕末において、尊王攘夷運動に奔走し、明治期には、内務大臣等の要職に就いた。子爵。この品川弥二郎は、松下村塾の出身、すなわち吉田松陰の門下である。
 司馬遼太郎の『世に棲む日日』によれば、品川弥二郎は、村塾への入門に際し、松陰に対して、「自分の家は検断人の家で、人を殺すしごとをしております。でありますから自分のとりえは、蓮如上人の白骨の御文章が暗誦できます」といったという。
 司馬遼太郎は、品川弥二郎の入門にまつわるこのエピソードを、どこから引いたのであろうか。ちなみに、「蓮如上人の白骨の御文章」というのは、蓮如の『御文章』〈ゴブンショウ〉(通称『御ふみ』〈オフミ〉)の第五帖十六を指していると思われる。品川弥二郎の宗派は、浄土真宗だったのであろう。
 ウィキペディアの「品川弥二郎」の項を見ると、「天保14年(1843年)、長州藩の足軽・品川弥市右衛門の長男として生まれた」とある。足軽というのは、「軽輩」に属する身分であって、武士(士分)ではない。藩によっては、足軽を武士として位置づけていたところもあるが、少なくとも、長州藩においては、武士としては扱われなかった。したがって、藩校である明倫館で学ぶことはできなかった。だからこそ、松下村塾の門を敲いたのである。なお、品川弥二郎の家が、実際に「足軽」であったのかどうかは、まだ確認していない。
 京都大学電子図書館で、「品川弥二郎」を調べると、次のようにある。

品川 弥二郎(しながわ やじろう)
 天保14年閏9月29日(1843.11.20)-明治33年2月26日(1900.2.26)
 長門国萩松本村川端。萩藩三十人通士。幕末明治期の政治家。
 諱:日孜、字:思父。通称:省吾、弥吉、弥二郎。変名:橋本八郎、松本清熊。
 雅号:扇洲、苦談楼、念仏庵主、苞子、春狂、五明州、花月楼、露山荘主人、尊攘堂主人。
 父は下級藩士品川弥市右衛門、母は池田六左衛門の長女まつ。
 安政4年〔一八五七〕9月松下村塾に入って吉田松陰に学んだ。
 同5年〔一八五八〕12月松陰の冤罪を訴えて謹慎させられたが、翌年〔一八五九〕11月には許された。
 万延元年〔一八六〇〕江戸に行き翌年〔一八六一〕帰萩。
 同年〔一八六一〕12月塾生の一灯銭申合せに加わった。(「一燈銭申合せ帳」は尊攘堂資料)
 文久2年〔一八六二〕4月上京して寺田屋事変に関係。また、江戸に行き、11月高杉晋作らと英国公使襲撃を計画、御楯組〈ミタテグミ〉の血盟に参加した。
 同3年〔一八六三〕正月松陰の遺骨を改葬する際に尽力して士雇〈サムライヤトイ〉となった。【以下略】

 引用した箇所の最後に、「士雇となった」とある。「同3年正月」というのは、「吉田松陰の遺骨の改葬」の月であって、この文のままでは、「士雇」に昇格した月がハッキリしない。だが、たぶん同年中のことであろう。「士雇」は、「准士」とも呼ばれ、一応、武士の範疇にはいる。ただし、一代限り。最初のほうに、「三十人通士」とあるが、これは、下級ではあるが武士であって、世襲。「士雇」からさらに、「三十人通士」に昇格したということである。京都大学電子図書館によれば、この昇格は、慶応三年(一八六七)四月。
 いずれにしても品川弥二郎は、文久三年(一八六三)以降に初めて武士になったのであって、それまで武士でなかったことは明白である。
 となると、上記中の「父は下級藩士品川弥市右衛門」という記述には問題があろう。上級であれ、下級であれ、「藩士」という以上は、武士(士分)である。ここは、「父は長州藩軽輩品川弥市右衛門」、あるいは「父は長州藩足軽品川弥市右衛門」とすべきだったのではないか。ただし繰り返すが、品川弥二郎の家が、足軽であったと確認できているわけではない。

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