礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

原田実氏の『江戸しぐさの正体』を読んで

2015-02-20 05:03:02 | コラムと名言

◎原田実氏の『江戸しぐさの正体』を読んで

 江戸時代に日本を訪れた外国人は、各層の日本人を観察し、そこに様々な美点を見出している。当時の日本人は、今日の日本人が失ってしまった各種の美点・美徳を持っていたに違いない。江戸の町民たちの間においても、礼儀作法、配慮、口のきき方、ユーモア、身体感覚といったものが形成され、継承されていたであろうことは想像に難くない。それらは、今日においても、その気にさえなれば、当時の文芸、芸能など等の中から、いくらでも抽出することができるだろう。
 昨日のコラムで、「最近の、テレビの『われぼめ番組』を見ていると、今日の日本人が、『われぼめ』の対象を、近代における『政治・経済・外交』から、日本人の『文化・伝統』へとシフトしようとしているように思えてならない」と書いた。また、「ここはこれで、よいことなのではないか」とも述べた。
 そう述べたあと、次の事例を紹介しなければならないのは残念だが、これに眼をそむけるわけにもいかない。
 昨年、原田実氏の『江戸しぐさの正体』(海星社新書、二〇一四)という本が話題になった。私が読んだのは今年になってからだが、その主張は、きわめて明確であって、一〇年ほど前から、電車の車内広告などを通して知られるようになった「江戸しぐさ」なるものは、実は「捏造」であったということである。原田氏は、それが捏造である所以を、さまざまな角度から、説得力のある語り口で論証している。
 日本人の「文化・伝統」を誇りに思うのはよい。しかし、誇りになる事象を勝手に捏造するのは問題外である。こういうのを、「贔屓の引き倒し」という。
 江戸時代の町民(江戸ッ子)の間には、互いの「出自」、「出身」を質さないという不文律があったことを聞いたことがある。本当に、そういう不文律があったのだとすれば、そういう「文化・伝統」は、ぜひとも現代に蘇らせたいものである。

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