礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

椎名町に二号を囲い、事件当時は池袋付近にいた

2021-01-18 05:18:44 | コラムと名言

◎椎名町に二号を囲い、事件当時は池袋付近にいた

『サンデー毎日』特別号「六十五人の死刑囚」(一九五七年九月)から、杠国義執筆の記事「天国の鍵を捜す男」を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

検察、弁護側立つ
 そのうち□□はいろいろしっぽを中野〔武義〕につかまれ、身動きできず自殺した。死亡診断書ではただの脳溢血か何かになっているが、これは副院長の手になるもので、実際は、
〝あれは自殺だ。しかも帝銀で使用したのと同じ毒薬をあおっている。因果応報だ〟
 と中野は力説する。やがて平沢の死刑が確定した。もう黙ってはいられぬ――と中野は人権擁護部へ幾度か訴えたが、
「根拠にとぼしい」
 と突っかえされ、幾度か資料をととのえて、やっと磯部〔常治〕委員がとりあげた。つづいて東京高検のメスも入った次第である。
 ここで十数項目を列挙している中野訴状のなかから主なる点は、
 一、人相、風体〈フウテイ〉が犯人とそっくりだ。 ことにアゴの傷から背丈など、平沢より類似点が多い。
 一、□□の筆跡は、犯人が板橋支店で裏書して引出した小切手の筆跡とそっくりだ。
 一、犯行現場で使ったのと同様な薬ビンや腕章が××病院からも発見された。
 一、松井氏が埼玉県衛生部長当時に名刺を交換している。
 一、椎名町に二号を囲い、事件当時は池袋付近にいた。
 一、長男◎◎◎(現在の病院長、医博)の結婚などで金に困って、土地を手放したが事件後十二万円で買戻している。
 などである
 検察当局が動いたとなると弁護士側も黙っていられない。〔一九五七年〕四月初旬いったん解散していた平沢弁護団を再び組檄した。磯部〔常治〕弁護士は人権擁護委員の立場があるので加わらず、山田、松本、丹の三人のぶれがそろった。またこの問題を取りあげた週刊新潮〔一九五七年〕=四月八日号=に対し、◎◎◎院長から父親の名誉毁損に関する損害賠償の訴えが出たりして、帝銀事件が再び世間で騒がれるようになったのである。
 この訴状を細かく検討してみると不審な点はある。例えば犯人の使用した松井蔚〈シゲル〉の名刺は、厚生省東北地区防疫駐在官の肩書であって、松井技官が衛生部長当時も、その名前を使用したか否かは疑問である。また平沢は法廷でこそくつがえしてしまったが、一度は自供している。□□の場合は死人に口なし、キメ手となる証拠物件でも挙らぬ限り、死人に鞭うつ結果となりかねない。高検ではもっぱら筆跡鑑定に主眼をおいているようだが、本人に対する心証、傍証だけは、まさに平沢級の黒さである。

果して再審は成るか
 このお家騒動が、ただのお茶番劇に終るか、あるいは帝銀と結びついて再審にまでこぎつけるかは高検のフタをあけてみなければわからない。磯部弁護士は大変な熱の入れようで、
「□□の写真と帝銀の証人を面通しの結果、犯人そっくりといった数は、平沢の場合より多かった。椎名町への土地勘も運転手の証言がある。平沢にも幾度かあったが、あれだけの好人物は見当らない」
 と、ぼう大な調査をかかえ、日夜奔走している。かつて平沢が、
「どうも近く仙台に送られる気配がある」
 と、訴えたときなど山田〔義夫〕弁護士の自宅におしかけ、
「平沢が仙台で絞首台に上ればおしまいだ。早く再審を要求しよう」
 と口説き出し、山田弁護士は、
「他に犯人がある――とだけでは再審要求の理由にならない。死刑囚自体に犯罪に対する疑問な点を認めなければ手続上無理だ」
 と困りはてたことがある。
 確かに山田弁護士は冷静そのもので、中野訴状には余り重きをおいていない。ただこれを機会に弁護団を再編成し、精神鑑定を徹底させるための再審に持込みたい下心のようだ。
 磯部弁護士のように平沢を買いかぶらず、ただの性格異常者として無罪を主張しているわけだ。
 こんな騒ぎのなかに獄中の平沢は文字通り十年一日のごとく独居生活で、午前七時起床。昼食十一時。夕食は四時で、五時半にはもう就寝、その間四十分間の運動時間があり、例によってせっせと誰かに手紙をしたためる。面会人にもあう。朝夕アミダの掛軸に向っての合拿もかかさない。
 仏典、梵語の方も一踵くわしくなって、般若心経なぞそらんじて書きあげる。平沢光彩と称するテンペラ画も百七、八十点たまった。全部山田弁護士宅に運ばれる。平沢は、
「とても弁護費用が払えませんので個展を開いて、売った画の代価をあてて下さい」
 といったそうだが、山田弁護士は好奇心の対象となるだけと展覧会は開こうとしない。専門家の言によると平沢の画は、さすが帝展無鑑査だけあって、テクニックは確かなものだが、構図その他はまるで幼稚だそうだ。小菅にきたはじめのころは静物が多く、最近は好んで自然の風物などを空想して描くようになった。この辺に平沢の心境の変化と落着きがみられるかも知れない。
 平沢の小菅の作品のなかで能面にある〝雪の小面〈コオモテ〉〟を型どった〝徴笑〟と題する作品がある。描きつづけているうちにだんだんその顔が末娘の顔に似てきたという。その画には―親と泣き子と曳く網や筆のあと―の句を書きこんだ。たとえ平沢が凶悪犯人であろうとなかろうと、また性格異常者であろうとも、わが子に対する愛情だけは普通人とかわりはないということだ。平沢は、「これこそ国宝級の作品」と自慢している。   (東京本社地方部)

 この文章に出てくる「新容疑者」に不審な点があることは否定できない。しかし、「真犯人」ではないだろう。
 なお礫川は、帝銀事件の真相について、佐伯省(さえき・せい)さんの説、すなわち、平沢定通は帝銀事件の実行犯ではないが、実行犯と面識があり、また、何らかの形で、この事件に関与していたとする説を、大筋において支持している。
 明日は、話題を変える。

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