◎この仕掛け、湯炊きといって早炊きの一つである
昨日は、尾股惣司さんの『鳶職のうた』(丸ノ内出版、一九七四)という本を紹介した。この本のことを初めて知ったのは、今から四〇年ほど前のことだったと思う。たまたま、車のなかでラジオをかけていると、落語家の柳家小三治師匠が、何かエッセイのような文章を朗読していた。これが、えらく調子がよい。番組の最後に、アナウンサーが「とびのうた」という書名を紹介していたので、記憶にとどめた。
あとで調べてみると、これが、尾股惣司さんの『鳶職【とび】のうた』であった。小三治師匠が朗読していたのは、そのうちの「おむすびづくし」と題されたエッセイであった。
このエッセイは、さらに六つの小エッセイに分かれている。このとき小三治師匠は、「おむすびづくし」の全篇を朗読されていたように記憶するが、いまでもハッキリと思い出せるのは、「にぎりめし」という小エッセイである。以下に、引用させていただく。
にぎりめし
にぎりめしとなると、その呼び方からして子供言葉のおむすびや、女言葉のおにぎりと違ったふんいきを持つ。その代表格はなんといっても火事場に炊出しをするにぎりめしだ。ボヤや物置程度の小火災ではこんな必要もないが、二、三軒くらい焼けたとなると残火の始末までの時間が長いから、消防署や消防団の現場指揮所が設置され、所の町会の受付けもその付近にできてくるから御近所の方は大変だ。これも年季のはいった芸当で、なによりも先にいくつもの釜に湯をわかす。米を磨ぐのはその次。ザルにあげて水を切って置きながら沢庵をキザンだり入れ物を惜り集めたり、握るまでの段取りをテキパキと付け始める。やがて、「おばさん、おかま、お湯がわきました」。「ハイよ、あたしに見せておくれ、ちょいと御免よ」と釜の中をのぞき、余分なお湯をヒシャクでカシ桶に移し取り、頃合いにみはからった湯の分量にザルの米がザーッと入る。次の釜も同じことである。この仕掛け、湯炊きといって早炊きの一つである。すばしっこいそのやり口が全部見当なんだから恐れ入る。若い人などは手も足も出ない。見る間に炊き上った熱い飯はフワッと竹のスダレを敷いた、そばか、うどんの切溜【きりだめ】にあけられる。「手のあいてる人はみんな団扇〈ウチワ〉であおいでおくれ」。パタパタ団扇にあおられた湯気の立つかげでは、木のお椀に大きめのシャモジでキュッと盛りつけて、うどんやそば打に使う伸板【のしいた】の上にパンパンと置いていく。瀬戸物の茶碗ではこれはできない芸当だ。だいいち瀬戸物では熱くなって持っていられなくなる。廻りで見ている若い人たちが「もう握ってもいいんですか?」。「まだまだ、一側【ひとかわ】か二側【ふたかわ】並んだらお塩を打つからそれからだよ。それまでは取っておいたお湯で手をよく洗ってあっためておきな、あとが楽だよ」。あとが楽より何より手のひらや指の消毒になることと、クリーム臭が消えることは請合いだ。「さあみんな、どんどん握って頂戴」と声が掛かる。五十や百のにぎりめしはまたたく間なのである。
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