礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和の入鹿を撃殺せよ(軍民連合潜兵隊)

2021-03-17 02:57:24 | コラムと名言

◎昭和の入鹿を撃殺せよ(軍民連合潜兵隊)

 小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)から、「Ⅱ 相沢事件」の部を紹介している。本日は、その七回目。

 相沢〔三郎〕中佐の兇行決行の直接動機は、信仰的に迄崇拝する、真崎甚三郎大将の八月異動〔一九三四年〕での勇退である。亦、遠因としては同年三月上旬、各地部隊の将校宛に配布せられた「軍民連合潜兵隊」の怪文書であった。この怪文書は、相沢中佐に異様な感銘を与え、強く刺戟したものであった。その内容は次の通りである。

   全皇軍青年将校に檄す
 断乎として昭和の入鹿〈イルカ〉を撃殺せよ 
時将に至りつつ、時愈々熟しつつ有り、諸官は徒らに眠れる大陸の獅子と終る勿れ
 軍服の聖衣を身に纏える諸官の部下の家庭を見よ、田畑を売り、姉妹を売り、木の実を食い、疲弊困憊其極に達せるを、且つて、除隊営門を出る彼等の希望に満ちたる、潑剌たる姿も今は全く疲労し切って、居るではないか!
 想起せよ、必然不可避的第一維新は、既にして第一期に入りたるも、吾等の陸海軍同志及民間同志は、今尚獄中に呻吟しつつあり、「鉄は熱したる時に之を打て」なる古語は現下の吾等に何を与うるや。起て! 而して熱したる維新の戦闘を開始せよ。
 視よ! 国会に藩居する、昭和入鹿の奴輩を! 其国賊に等しく奸策を、行動を! 自利自慾に飢えたる、おおかみの如き野望を! 口に兵農両善を叫び、実行に軍民離反を企図せる。自由主義的亡国亡者共の群を
 前哨戦ありて既に三年、勝敗は兵家の常とは言い、三月の失敗、十月の敗戦、再度十月の退却は、吾等皇軍青年将校の恥辱なり。
 諸官は今尚部内の対立に立脚して、尊王討幕の使命を忘却するに非ざるか? 満蒙の原野に祖国の危急を案じつつ、外敵に死したる先輩同志部下の意志を遂行するは、そも何人〈ナンピト〉なるや、其は吾等青年将校の七生報国の信念なり、維新の勝敗を決するは、今は只断行の一路あるのみ、聖戦既にして準備を終り、天兵既にして突撃せり、起つ〈タツ〉可き秋〈トキ〉遂に至る。一路敵陣目指して破邪顕正の大衆剣を抜く可き秋の、茲に〈ココニ〉至りしを天神と共に喜ぶ、諸官亦快あらん、鳴呼誰が知る皇道の本義に立脚して奮然と死すべき聖戦の門出の目前にあるを!
 行け同志よ! 結束して進撃せよ! 御草明極りなき御宝算未だ若き大聖帝を擁立して唯一路、金色〈コンジキ〉の鵄鳥の導く昭和維新断行の戦線目指して
 皇紀二千五百九十五年二月
          軍 民 連 合 潜 兵 隊

 こんな問答を繰返していても仕方がない。
 「判りました、それでは神示に基づいて、伊勢神宮の身替りとして、福山を出発してから、今朝陸軍省に行って、永田少将に天誅を加えた迄の行動に就いて、尋ねる事にしませう!」
 殺人とか、斬り殺すとか、刺戟の多い言葉は、極力避けなければいけないと思った。【以下、次回】

「全皇軍背年将校に檄す」の文中に、「藩居」、「御草明」とあるのは、原文のまま。それぞれ、「蟠踞」、「御聡明」の誤りであろう。この「怪文書」を発した「軍民連合潜兵隊」については未詳。小坂慶助は、この「怪文書」が、相沢三郎を凶行に駆り立てたと捉えるが、そう捉えた根拠は示していない。

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