礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

草を食み土を齧り野に伏すとも断じて戦う(阿南惟幾)

2017-08-07 04:13:04 | コラムと名言

◎草を食み土を齧り野に伏すとも断じて戦う(阿南惟幾)

 富田健治著『敗戦日本の内側――近衛公の思い出』(古今書院、一九六二)から、第四二号「終戦の詔勅下る」を紹介している。本日は、その四回目。
 昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 一方、同〔一九四五年八月〕十日午後五時、近衛公は東久邇宮〔稔彦王〕を訪ねて、無条件受諾を進言している。そして同六時、待機していた私(富田)と細川〔護貞〕氏と三人で霞山〈カザン〉会館で夕食を共にし、そのあと、連合国側の反響を聞こうということで、真暗闇の中を三人で内務省、外務省、放送局等を歴訪したが、どこもカラッポで人一人、宿直の者も見つからない態たらくであった。敗戦前後のうら淋しい静寂さであった。ところがこの帰途、車内に聞いたラジオでは阿南〔惟幾〕陸相が全軍に訓示したことを伝えていた。陸相は『事ここに至る、また何をか言わん。断乎神州護持の聖戦を戦い抜かんのみ。例え草を食み〈ハミ〉、土を齧り〈カジリ〉、野に伏すとも、断じて戦うところ死中自ら活あることを信ず』とあったので我々は驚いた。これではソ連に対し宣戦でもしたかの如き調子に聞えるので、陛下の思召、御前会議の決定にも反するではないかということで、近衛公は、自動車をそのまゝ木戸内府の私邸に駆られた。私は暫時、外で待っている方がよかろうということで、真暗な赤坂の電車道の横丁で、道端の小石に腰をうち下しながら、約三十分間、夜空を眺めながら近衛公らの日米戦争に反対されたいきさつやら、緒戦の戦果、そして敗戦を目前に控えた今日今夜〈コンニチコンヤ〉、打ち越し方を追想して、思いは走馬灯のように千々に〈チヂニ〉回転するのであった。星のきれいにまたたく真夏の夜であったこともハッキリ今に記憶している。会を終えて出て来た近術公の話によると、木戸内府もこの陸相談話は初耳で驚いたらしく、早速〔蓮沼蕃〕侍従武官長に電話をかけて陸相に善処方を求むべく注意されたとのことであった。また一日も早く終戦に導くべきで、そのため自分の一命は捧げるつもりでいるとの決意を内府から聞いてきた。大丈大だ、さすがは木戸だと近衛公は非常な喜びようであった。【以下、次回】

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