礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

喜田貞吉の「震災日誌」を読む

2023-04-10 03:17:06 | コラムと名言

◎喜田貞吉の「震災日誌」を読む

 最近、地震が多いような気がするが、関東大震災のような大地震が来ないことを祈る。
 さて、本日以降は、歴史学者の喜田貞吉(きた・さだきち、一八七一~一九三九)が、大震災の体験を綴った「震災日誌」を読んでみたい。
 この日誌は、今日、青空文庫で読めるが、当ブログでは、仮名づかい・用字など、極力、初出に近い形で、これを紹介してみたい。初出は、喜田が主宰していた雑誌『社会史研究』の第一〇巻第三号(一九二三年一一月)である。
 なお、当時の喜田貞吉の住所は、小石川区東青柳町(ひがしあおやぎまち)である。同町は、今日の文京区音羽二丁目ないし大塚二丁目にあたる。

    震 災 日 誌
 大正十二年〔一九二三〕九月一日関東地方に起つた大地震は、未曾有の大災害を東京・横浜其の他の都邑〈トユウ〉に及ぼした。いづれ此の大変事に就いては、新聞雑誌が争うて精しい報道に努めるであらうし、又纏まつた書物も後には少からず発行される事であらうから、一般の事はすべて之を省略して、たゞ自分が直接見聞関知した事のみを、今日から筆に任せて書きとめて置かうと思ふ。
 九月一日夜炎煙東京の半ばを蔽ふの時、瓦落ち壁崩れた小石川東青柳町の宅にて、
                      喜 田 貞 吉 識

九月一日  震災第一日
    土 塵 濛 々
 社会史研究九月号の校正は一昨日を以て終へ、十月号の編輯に着手したのは昨日の午後であつた。「蝦夷の宝器鍬先の考」の一編は既に出来て居る。「伊勢人考」も旧稿を捻ねくつて〈ヒネクッテ〉間に合はす事として、今一編短いものをと昨夕方から書斎に籠つて、殆ど夜を徹して寝床の中で「紀伊特有の楠といふ人名に就いて」といふ小編を書き上げたのは朝の四時頃であつた。それからヤツト眠に就いて、九時頃に起き出て、枕頭には例によつて多くの参考書やら、寄稿家諸氏からお預りの原稿やらと、すべて開けつぱなしのまゝに、又寝床も延べつぱなしのまゝに、朝食。隣家の歯科医M君をお訪ねした。階上で同君と雑談に耽つて〈フケッテ〉居ると、突然あの急激な地震に襲はれたのだ。こゝで一寸断つて置くが、同君のお宅は最近自分〔喜田〕の監督の下に新築したもので、此の工事に就いては自分はかねて東京の地震の多いのに顧慮し、職人等に笑はれながら柱間にうるさい程筋交【すじかひ】を入れさせたり、基礎工事に鉄筋を入れさせたりしたものであつた。随つて倒壊する様な事などは万々〈バンバン〉ないと信じて居る。暫くM君と顔を見合はして居たが、揺れ方が余りに烈しく、なかなか止みさうにもない家根瓦〈ヤネガワラ〉が崩れ落ちる音、窓硝子の壊れ落ちる音が一時に四方に起る。たよりない自信は忽ち裏切られ、恐怖心に促がされて前通りの工事中の電車道へ飛び出した。隣家の誰れ彼れ、皆一様に飛び出して居る。が、家族は一人も出て居ない。道路から少し奥まつた住宅の方を望むと、煙が濛々〈モウモウ〉と高く立ち昇つて居る。さては火事かと突嗟〈トッサ〉の際に思つて見たが、さう早く火のまはる筈がない。ともかく変事があつたに相違ない、家族の安否如何と、まだ揺り返しに踏む足もフラフラしながら屋内に飛び込んで見ると、妻と次男以下の三子とは、書庫にして居る石蔵の隅に、小さくなつて固まつて居る。長男は折柄〈オリカラ〉他出中なのだ。石蔵の中の本箱・箪笥・書棚、一つとして満足に立つて居るものとてはない。書斎は先年新築の此石蔵と、古い土蔵との間の空地を利用して設けたものだが、こゝに延べつぱなしにして置いた蒲団の上には、雑誌類をギツシリ詰め込んだ書棚が俯伏し〈ウツブシ〉に倒れて、其の上へ古い土蔵の壁が崩れ落ちて、書き上げたままの原稿や、開けたまゝの多数の参考書や、其の他の雑品と共に悉く土中に埋没して居る。強い揺り返しは相変らずやつて来る。建物の中に居ては危険の虞〈オソレ〉がないでもないと、一同を促して屋外へ出てみて始めて気がついた。母家の家根の瓦は殆ど全部崩れ落ちて、中庭や軒先にうづ高く積もつて居る。古い土蔵の家根や壁は大抵全部崩れ落ちて殆ど丸裸になつて居る。其の厚い土塊が庇〈ヒサシ〉に設けた物置の屋根を押し潰して居る。先刻濛々と立ち昇る煙と見たのは此等の崩壊の際の土塵〈ツチケムリ〉であつたのだ。開けつぱなしの各室内へ容赦なく舞ひ込んで、畳の上が土足のまゝでなければ歩かれぬ。
 一と巡り家屋の被害を調べて見る。先づ母屋の方は屋根瓦が全部振り落されたのみで、壁も落ちて居ねば、柱に一分の狂ひも来ておらぬ。十六年前新築の際に、これも大工らに笑はれながら、地形【ちぎよう】固めに念を入れたり、柱や梁や桁の間を筋交【しぢか】ひで綴ぢ合はしたりして置いた為なのだ。それで居て屋根瓦が全部崩れ落ちたのは、雨水の走りのよい様にと幾分勾配を急にしてあつたのと、子供等がよく屋上を運動場にして、瓦の落ちつきを踏みゆるめてあつたのと、いま一つは建物全体が一つに綴ぢ固められて震動の際にゆとりがなかつた為かと思はれる。
 母屋に取りつけた庇や、便所や、玄関などには幾分の狂ひが出来て、開き戸が開かなくなつたり、雨戸が締りにくゝなつている所がある。此の部分の基礎工事が悪かつたお蔭だ。裏座敷は一昨年改修して、基礎工事も丈夫になつたし、第一屋根を亜鉛引鉄板〔トタン〕で葺いて〈フイテ〉あるので、少々壁が落ちたり、本棚から書物が投げ出されたりした位で殆ど損害はない。台所の入口に設けたタンクは、煉瓦で積み上げた台の一部が壊れて戸袋によりかゝり、雨戸が引き出せなくなつた。水道は瓦斯〈ガス〉や電気電話などと共に、第一次の激震で皆一様に止まつてしまつた。
 湯殿にも多少の損傷があるが太したことはない。石蔵も内部の物品は遺憾なく投げ出されたが先づ無事だ。概して云へば被害は少い方で、中にも母屋と裏座敷とに少しの狂ひの来て居らぬのは、最も人意を強うするに足る。殊に母屋の方は瓦が全部落ちて大いに軽くなつて居るはずだ。此の上よしや第一回以上の激震が来てもこゝにさへ居れば安全だ、決して逃げ出す必要はないと、よくよく家族のものに言ひ含めたことであつた。
 もともと自分の住宅は、是も自分で親しく監督して明治四十年〔一九〇七〕に新築したものだ。東京中の家が七割まで倒れる程の地震でなければ、この家は倒れぬとの自信を持つて居たものだ。併し火事の場合には何とも仕方がない。在来の古土蔵が一つあるけれども、それは正可【まさか】の時に保証は出来ぬ。そこで新〈アラタ〉に書庫として石蔵を造つた。是れならば火災の際に一番安全だとは、平素家族の者に教へて置いた所であつた。其の事が家族等の頭に深く染みついて居たので、突嗟の際に一同相率ゐて飛び込んだのであつた。地震と火事とを取り違へ、人間と物品とを取り違へたのだ。それにしても内部の殆どすべてが投げ出されて、算を乱して倒れた箪笥や書棚に打たれもせず、一同無事だつたのは全く天佑と謂はねばならぬ。
 たゞ一つ古土蔵のみは飛んだ厄介物だつた。其の馬鹿に厚い壁や屋根が遠慮なく壊れ落ちたが為めに、それを囲んで造つた座敷や物置に飛んでもない損害を及ぼした。箪笥は倒れる、棚の物は投げ出される。内部の四壁に沿うて所狭きまで積み重ねた品々は、それこそ玩具箱〈オモチャバコ〉を打ちあけた様にメチヤメチヤに蒔き散らされて居る。
 怪我人が俥〈クルマ〉で隣の天龍堂医院へかけつけた。併し薬局も診察室もメチヤメチヤで、器械や薬品が散乱して足踏みもならぬらしい。其上屡々酷い揺り返しが来るので屋内に入る事が出来ぬ、已むなく路傍で応急の手当をして返したらしかつた。【以下、次回】

 見出しに「土塵濛々」とあるが、この「土塵」は「つちけむり」と読むのであろう。最後のパラグラフにある「俥」は、人力車のことである。

*このブログの人気記事 2023・4・10(10位になぜか『白村江』)

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