◎脚本修正によって『虎の尾を踏む男達』の戦後版が
ここで、映画『虎の尾を踏む男達』についての情報を整理しておきたい。
1 インターネット情報によれば、映画の冒頭、タイトルの下に、「1945年9月製作」という文字が出るという。私が鑑賞したDVD(コスモ・コンテンツ)では、その文字が出ない(「東宝」という社名も出ない)。
2 出演者のひとり十代目岩井半四郎は、1994年に、この映画のクランクインは、敗戦直後の8月20日だったと証言している。岩井半四郎の当時の芸名は仁科周芳(にしな・ただよし)。映画では、源義経を演じた。
3 東宝で長く助監督をつとめ、後にシナリオライターとなった廣澤榮(えい)は、敗戦直後の8月20日に、撮影が「再開」されたと書いている。廣澤がその時に撮影現場で聞いた話によると、クランクインは、敗戦直前の7月下旬だったという。
4 黒澤明監督は、敗戦直後、数日間で『虎の尾を踏む男達』の脚本を書き上げたと述べているが、脚本は、すでにできていたのではないか。黒澤監督は、敗戦直後、数日間で『虎の尾を踏む男達』の脚本に修正を加え、その上で製作を再開したというのが真相に近いと思われる。
5 この映画のラストは、義経・弁慶らの一行が、野外で酒宴を催す場面である。ここで、エノケン(榎本健一)扮するところの「強力」が、狂騒的な踊りを見せる。深酒して寝入ってしまったエノケンが目を覚ますと、すでに誰ひとりいない。夕暮れが迫るなか、一行を追って、エノケンが走り出すところで、エンドマーク。
これらの情報を総合すると、次のようなことが言えるだろう。
『虎の尾を踏む男達』が企画されたのは戦争末期。脚本ができ、キャスティングなども決まっていた。戦争末期、すでに撮影が開始されていた可能性も否定できない。
敗戦直後、黒澤明監督は、脚本の一部を修正した上で、同映画の製作を再開する。ラストの酒宴の場面は、この修正によって加えられたものであろう。エノケンを起用することも、この修正によって決まったのであろう。
こうした修正は、敗戦という事態を踏まえたものであった。黒澤監督は、既存の脚本に、敗戦という事態を象徴するような着想を盛り込んだ。戦争末期に企画された『虎の尾を踏む男達』は、戦後版『虎の尾を踏む男達』として、生まれ変わったのである。
では、黒澤監督は、戦後版『虎の尾を踏む男達』に、どういう着想を盛り込んだのか。この作品に、どういうメッセージを託そうとしたのか。
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