◎壺井繁治の高村光太郎批判と「本願ぼこり」
吉本隆明のいう「関係の絶対性」の論理に従うならば、吉本が壺井繁治の転向を批判することはできなくなるのではないか、ということを昨日のコラムで述べた。
ただし、吉本は壺井繁治の転向や「詩人としての鈍感さ」を批判したのではない。壺井繁治のある行為に対し、怒りを発したのである。
この点について、呉智英氏は、『吉本隆明という「共同幻想」』(筑摩書房、二〇一二)の六五ページで次のように言っている。
吉本隆明が壺井繁治を辛辣に撃ったのは、詩人として凡庸鈍感であったからだけではない。壺井が同じく詩人である高村光太郎(一八八三~一九五六)を「今度の戦争を通じて自分の果した反動的な役割に対して、いささかの自己批判を試みようとはしない」と批判したからである。壺井よ、自分こそそうだろう。どの口でそんなことが言えるのか、という気持ちからであった。
呉氏の「吉本隆明が壺井繁治を辛辣に撃ったのは、詩人として凡庸鈍感であったからだけではない」という言葉であるが、「壺井繁治を辛辣に撃った」とあるところを私は、「壺井繁治に激怒した」と言い換えたい。また、「詩人として凡庸鈍感であったからだけではない」とあるところは、「詩人として凡庸鈍感であったからではない」と言い換えるべきだと思う。
吉本隆明は、壺井繁治を激しく撃った。その理由として挙げるべきものは、壺井の高村批判にあったと思う。高村を批判する資格のない壺井が高村を批判した。このことに、吉本は怒りを発したのである(「批判した」わけではない)。
こうした吉本の「怒り方」を見て、想起するのは、やはり『歎異抄』第十三条である。
同条の第六節に、「本願ぼこりといましめらるゝひとびとも煩悩不浄具足せられてこそさうらふげなれ。それは願にほこらるゝにあらずや」とある。非常に意味がとりにくいが、梅原真隆の現代語訳によれば、これは、「本願にほこって悪いことをしてはいけないと警めなさる人にしたところが、煩悩〈ナヤミ〉も不浄〈ケガレ〉もみんな具えていて、現に悪いことをしていられるではないか。それがそもそもそも本願にほこって居られることにならないか」という意味だという。
すなわち、親鸞は、他人に対して、「本願ぼこり」というレッテルを貼って非難する人に対して、そういう人こそが「本願ぼこり」ではないかとたしなめたのである。
これを、吉本・壺井・高村の関係に移しかえると、どうなるか。吉本は、高村の戦争責任を突いた壺井に対して、自分の戦争責任を棚に上げて高村を批判する壺井は、「本願ぼこり」だと怒ったのではないだろうか。
吉本隆明について、あるいは、呉氏の『吉本隆明という「共同幻想」』については、まだまだ言いたいことがあるが、同じような話が続くのもどうかと思うので、明日は話題を変える。
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