礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

小さな卵を孵化さして殺した陰険なる仕方よ

2015-12-28 03:25:25 | コラムと名言

◎小さな卵を孵化さして殺した陰険なる仕方よ

 昨日の続きである。野田宇太郎の論文「蘆花と幸徳事件」(一九五七)を紹介している。本日は、その三回目(最後)。昨日、【以下、次回】としたあとの六段落分を略し、そのあとに、次のように続く。

 ふたたび愛子夫人の日記によって、同年〔一九一一〕一月二十二日の項をみると「一高生二名、演説をこひに来る。丁度悶々の命乞ひの為めにもと、謀叛論と題して約したまふ。」とある。この時は二月一日に予定された一高の講演会で、頼みに来た学生は、河上丈太郎、鈴木憲三の両氏だったが、それは十二名だけに減刑が発された二日後で、あとの十二名は果して助かるかどうかも判らぬ、蘆花としてはまことに「悶々の日」であった。もし蘆花のあとの十二名に関する助命の希ひが少しでもはたされたならば、その「謀叛論」と題する講演も大分内容も違ったものになってゐたらうが、はじめから元老山県有朋を中心に筋書きまで作られてゐたといふ十二名だけの減刑であった。それを政府の善意だと受けとり、むしろその処置に同情するほどのやさしい蘆花であった。政府は国民の与論がうるさくならぬ前にと、急いで死刑を執行したのだから、蘆花の怒りは涙のうちに燃え上った。死刑後の一月二十六日の夫人愛子の日記には「よあけ方鳴咽〈オエツ〉の声にめさむ。吾夫夢におそわれ給ふるや、と声をかけまつれば、考へて居たら可愛さうで可愛さうで仕方がなくなった! ただため息をつくのみ。彼等一二名の入獄中の様子も、死刑最後の様子も秘して共に告げしめず、ただ〔堺〕枯川氏の受取りし手紙と差入所の弁当が然々だの、二三日には面会は都合ありてゆるさぬだの、昼のは差返せりだの、といふやうに死刑もそっと行はれ、吾夫の所謂政府の謀殺暗殺!! とは事実なり。大石氏(〔野田〕註・誠之助)の「『うそから出たまこと』実に其真をいひあらはすといふべし。小さな卵を孵化〈フカ〉さして殺したといったやうな、おお陰険なる政府の仕方よ。彼等も日本国民、其国民を愛する兄弟の一人ならずや。」などとあって、政府に対してしだいに盛り上る蘆花のにくしみの心が夫人の筆をとほして読みとれる。
「謀叛論」の講演内容については、全集にも甚だ不完全ながら草稿が収められてゐるからここではふれないが、蘆花は堂々と幸徳事件に対する政府の行為を論難しつくし、青年学徒に多大の感銘を与へて、成功裡にこの講演を終った。もしその時官憲が会場に一人でもひそんでゐたら、もちろん蘆花は検挙されたらうし、文学者としてのその後の在り方にも違ったものがあったと思はれる。
 また少しペンをもとに戻す。十二名の死刑がもし二十四日に行はれなかったとすれば、あの〔池辺〕三山に依頼した「天皇陛下に願ひ奉る」の原稿ははたして朝日に掲載されてゐただらうか、といふ疑問である。〔資料四〕の三山の書簡を読むと、自分が保管してゐるとは書いてあるが、もし二十四日の執行がなかったら発表するつもりだったとは書かれてゐない。三山は蘆花の純情には共鳴しても恐らくそんなことをしても実際には無駄だと知ってゐた筈である。
 しかし、それが朝日に万一掲載されてゐたら、死刑阻止には無駄だったとしても、一般への与論の喚起には大いに役立ったであらう。そして当時朝日新聞社員となってこの幸徳事件にすくなからぬ関心を示してゐた若い石川啄木は、蘆花の文章に表現された思想に対してどのやうな態度をとったであらうか。蘆花にくらべると啄木の思想は多分に社会主義的であったから、その反応は興味ある問題である。啄木のやうに幸徳事件に対して心を動かした人々は当時多かった。与謝野寛〈ヨサノ・ヒロシ〉の「誠之助の死」や佐藤春夫の「愚者の死」などの詩も、事件に対する行動的な文学の一例である。しかし、幸徳事件に抽象的な文学作品の上だけでなしに、実際に行動し得たのは、やはり蘆花一人であった。もし「謀叛論」をきっかけに蘆花が官憲と正面衝突をしていたら、ドレフュース事件に於けるゾラ以上の、無残な人道のためのたたかひとなったに違ひない。【以下略】

 野田宇太郎の論文は、このあと、資料を入手した経緯に触れ、さらに、〔資料一〕~〔資料四〕の紹介に移るが、これらの紹介は機会を改めたい。〔資料二〕(天皇陛下に願ひ奉る)は、一昨日のブログで紹介したが、句読点も読みも示さなかったので、以下に、句読点・送り仮名・読みを補うなど、読みやすくしたものを掲げる。これについては、岩波文庫『謀叛論 他六編・日記』(一九七六)に収録されている「天皇陛下に願ひ奉る」を参考にした。

天皇陛下に願ひ奉る 
     徳冨健次郎
畏れながら申上げ奉り候
今度〈コノタビ〉、幸徳伝次郎等〈ラ〉二十四名の者共〈モノドモ〉、不届千万〈フトドキセンバン〉なる事仕出し〈シダシ〉、御思召〈オンオボシメシ〉の程も恐入り奉り候。然るを、天恩如海、十二名の者共に死減〈シゲン〉一等の恩命を垂れさせられ、誠に勿体なき儀に存じ奉り候。御恩に狃れ〈ナレ〉甘へ申す様に候得共〈ソウラエドモ〉、此上の御願ひには、何卒〈ナニトゾ〉元凶と目せらるゝ幸徳等十二名の者共をも、御垂憐あらせられ、他の十二名同様に、御恩典の御沙汰為し下されたく、伏して希〈コイネガ〉ひ上げ奉り候。彼等も亦、陛下の赤子〈セキシ〉、元来火を放ち人を殺すたゞの賊徒には之なく、平素世の為、人の為にと心がけ居り候者共にて、此度〈コノタビ〉の不心得〈フココロエ〉も、一〈イツ〉は有司共が忠義立〈チュウギダテ〉のあまり、彼等を窘め〈イジメ〉過ぎ候より、彼等もヤケに相成〈アイナリ〉候意味も之あり。大御親〈オオミオヤ〉の御仁慈の程も知らせず、親殺しの企〈クワダテ〉したる鬼子〈オニゴ〉として打殺し候は、如何にも残念に存じ奉り候。何卒、彼等に今一度、静〈シズカ〉に反省改悟の機会を御与へ遊ばされたく、切に祈り奉り候。かく願ひ奉り候者は、私一人に限り申さず候。あまりの恐れ多きに申上げ兼ねおり候者に御座候。成る事ならば、御前〈ミマエ〉近く参上し、心腹の事共〈コトドモ〉、言上致したく候得共、野渡〈ヤト〉人なく、宮禁〈キュウキン〉咫尺千里〈シセキセンリ〉の如く、徒〈イタズラ〉に足ずり致し候のみ。時機已に〈スデニ〉迫り候間〈アイダ〉、不躾〈ブシツケ〉ながら、かくは遠方より申上げ候。願はくは大空の広き御心〈ミココロ〉もて、天つ日〈アマツヒ〉の照らして隈〈クマ〉なき如く、幸徳等十二名をも御宥免〈ゴユウメン〉あらんことを謹んで願ひ奉り候。叩頭百拝。

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