◎一般国民の驚愕は甚大なものがあつた(藤本弘道)
藤本弘道『陸軍最後の日』(新人社、1945)から、「敗戦の日来る」の章を紹介している。本日は、その三回目(最後)。
だが、八月十五日正午、玉音の御放送といふ前代未聞のことによつて、総ての事実は公けにせられ、長き詔書の渙発〈カンパツ〉によつて戦争終局、敗戦の事実は国民の眼前に露呈せられるに至つたのである。
遂に敗戦の日は来たのである。
この戦争を此処まで戦はしめ、我等国民の血と汗をその中に埋ましめて、最後の勝利を獲ち得ん〈カチエン〉とする希望によつて裏づけられた総ての約束、あらゆる公言は反故〈ホゴ〉となり、虚言となつてしまつたのである。一般国民の驚愕は甚大なものがあつたといへよう。
或る一部の階級を除いた総ての国民は、この戦争に於いて、日本は必ず勝つと信じさせられ、また従来の日本国民の思想としてその必勝を疑はなかつたのである。
ところが、事実は全くそれと反対の結果となつたのだ。
この事実にぶつかつた国民がその興奮から醒めたとき、一番最初に求めたものは、我が軍の、特に我が陸軍の姿であつた。
大東亜戦争の終末期に於いて、本土決戦を強調し、本土決戦を敢行することによつてこそ日本が最後の勝利を得るものであるとし、あらゆるものを挙げてこの本土決戦に振向けようとし、またそれを着々実行してゐたのは陸軍であつたからだ。
所謂政府の公言も、首相の揚言も、すべてはこの陸軍の本土決戦といふ戦法によつて裏づけられることなのであつたからだ。
それが、こゝに案外簡単に御破算になつてしまつて、陸軍はいままでのゆきがかりの上からいつても、国民に対して意地にでも黙つてしまふわけはないではないか。陸軍の主張する本土決戦を強引に承認させるためにも、所謂陸軍の最後の足掻き〈アガキ〉が、米軍上陸を前にして相当猛烈に行はれはしないだらうか。
戦争それ自体の方式、或ひは作戦に就いての誤謬、惨敗に対する責任は当然のこととして自ら別途に示さるべきであるとしても、その途中に於いて度々示した罪、国民の戦争遂行に対する正しい判断や国内運営に対する民衆の声などの曲解或ひは抹殺の罪、陸軍当局は天下に謝することなく、戦争終局の大詔の蔭にかくれて押し通さんとするのであらうか。
崩れ行く陸軍の背に、この二つの国民の眼が鋭く注がれるに至つた。
陸軍はこの国民の眼に何を応へたであらうか。
陸軍崩るゝ日の一つ一つの情景が、無言の裡〈ウチ〉にその総てを応へ、物語つてゐる。
明日は、藤本弘道『陸軍最後の日』から、「継戦と軍人精神」の章を紹介したい。
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