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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

予は官界にも官学にも何等の関係なく……(三浦藤作)

2023-05-02 00:20:09 | コラムと名言

◎予は官界にも官学にも何等の関係なく……(三浦藤作)

 三浦藤作の『古典の再検討 古事記と日本書紀』(日本経国社、一九四七)を紹介している。
 本日は、その十回目で、前々回、前回に続いて、第二章第四節の〔四〕を紹介する。昨日、紹介した部分のあと、改行せずに、次のように続く。

古典は朦朧とした記録であり、神話は原始民族の伝承である。「古事記」の如き古典が現存し、その中にどんな神話が記されてゐやうとも、それを典拠として、日本の国が万国に勝れた神国であり、日本民族が世界の優秀民族であるなどとは、どうしても考へられない。すべての人類は、みな同じ人間の本性を有し、同じ過程を辿つて進化して行く。日本人といへども人類以外のものではない。日本といふ国に生れたから日本人といふだけのものである。他の人類に比して、日本人が特に優れるものでもなければ、特に劣れるものでもない。同じ人間性を有する人類によつて成り立つ世界中の国々は、その環境によつて特色を生ずるもの、長所もあれば短所もある。日本の国が世界にすぐれてゐるといふ道理もなければ、他の国より劣れるものでもあらうはずはない。各個人が常に己れを知り、他人を知り、他人の長所を学んで己れの短所を改めて行く必要のあると同じく、国家そのものも、自国の長短を知ると同時に世界各国の長短を知り、採長補短、我が文化の向上を図り、有無相通じて遍く〈アマネク〉人類の福祉を増進すること、日本の進路はその外にあるまいと思つてゐた。唯我独尊の排外的態度が、人類の進化に逆行し、世界の大勢に後れることには疑ひもなかったから、本居宣長のみに限らず、国学者や神道家の狂人じみた偏狭な国粋誇張論を読む度毎に〈タビゴトニ〉、恰も〈アタカモ〉チヨン髷を結ひ裃〈カミシモ〉を着けた昔の老人を見るやうな憂鬱を感じた。しかるに、日本では古典に牽強附会した独断的解釈を附し、國體を美化することを当然と認め、狂人じみた国粋論者を愛国心に富める真の学者として尊敬する傾向があつた。本居宣長の出現した当時ならばともかく、大正・昭和の年代に至り、なほ宣長の糟粕〈ソウハク〉を嘗め、その偏狭な国粋主義を礼讃し、神がかりの思想を強調することを能事とする者が少くなかつたのは、まことに驚くべき事実であつた。衣食の種に古典をひねくりまはしてゐる国学者や神道家ほど厭ふ〈イトウ〉べき者があらうか。支那事変勃発以後、多くの古典学者は、軍閥や官僚の吹く笛に踊り、時を得顔〈トキヲエガオ〉に思想界・言論界の表面に抬頭して来た。古典学者が新聞雑誌やラジオの寵児となり、古本の中から掻き集め捏ち上げた〈デッチアゲタ〉唯我独尊の神国観や國體論を、得々と発表し放送したことは、まことに世紀の奇観であつた。蒔いた種を刈り取らなければならぬ窮地に陥つた戦争の責任者は、国民の厭戦気分を防ぎ、思想を統一して、戦争を継続し犠牲を強ひる方便として、国粋論を利用する必要があつたであらうし、古典学者も国家の浮沈に際し、重大な役割を演じてゐるものと思ひ、愛国の志士を気どり、清明な正義感をもつて、軍閥や官僚の笛に踊つてゐたであらう。それらの人々の態度を非難もしなければ嘲笑もしない。予は官界にも官学にも何等の関係なく、しかも、頑迷偏狭な旧思想に、終始一貫、少からぬ不満を懐いてゐる者であるが、苛烈な戦況の情報を聴いて、国家興亡の前途を憂慮し、何を措いても先づ戦局の好転を待望して止まず、自分の微力を何れに献げることにも躊躇はしなかつた。戦争の原因を正しく認識してゐなかつた国民が、戦局の推移に絶大の関心をもち、戦勝の目的達成に如何なる協力をも惜しまなかつたのは、当然のことである。その意味に於て古典学者の労を寧ろ多とせざるを得ない。しかし、偏狭な国粋主義は、本質的に人類の進化に逆行するものであつた。唯我独尊的な國體論や神秘的な神国観は、近代戦に勝利を獲得する力を発揮し得なかつた。昭和二十年〔一九四五〕八月十五日遂に終局の判決は下つた。日本は無条件に降服して、他国の軍隊が国内に進駐して来た。この審判こそは、日本国民の迷夢を最も苛烈に破壊した鉄槌であり、同時に本居宣長の偏狭な国粋主義・尚古主義・排外主義に下した峻厳な宣告であつた。外国の軍隊の占領下に半独立国として余喘〈ヨゼン〉を保つてゐるのが、現在の日本の姿ではないか。神話などから描き出した妄想は、大風にあふられた木の葉のやうに吹飛んでしまつた。何が「天照大御神の御生坐る大御国」であるか。「萬【よろづ】の国に勝れたる所由」が何処にあるか。国といふ国に天照大神の御徳を蒙らぬ国はないといふが如き、熱病患者の囈語〔たわごと〕に等しからう。天壌無窮も万世一系もあつたものではない、国土も主権も国民も管理国の意志によつて何処へ行くかわからない境涯に置かれてゐるではないか。日本が万国に勝れた良い国でなかった事実は、判然と露出して来た。日本の国民は、飢餓の一線に追ひ込まれ、占領国の食糧放出により、辛くも露命を繋いでゐる。浅ましさもここに至つては言語に絶する。しかも占領国の管理と鞭韃とによつて、建国以来の因襲的病弊を悟り、新しき民主国として更生し、幸福な生活への歩を進めようとしてゐるではないか。天皇は昭和二十一年〔一九四六〕一月元旦の詔書に於て、神話に基づ君臣関係を否定せられ、天皇を明御神とし、日本国民を世界の優秀民族と考へることの迷妄を誡めたまうた。改正の日本国憲法は、実質的に國體の変更を暗示してゐる。偏狭な本居宣長の神秘的国粋思想は、ここに一切の清算を了つた。唯我独尊、国粋の強調を最大の愛国者の如く思つてゐたのが、実は世界の大勢に逆行し、国家を破綻に導く案内をした大いなる非愛国者であつたことが明らかになつた。【以下、略】

 第二章第四節の〔四〕〝「古事記」の註釈書〟の紹介は、ここまで。

*このブログの人気記事 2023・5・2(8位の「森永ミルクキヤラメル」は久しぶり)

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