◎大雅書店が刊行したのは大雅新書3冊のみ
金関丈夫の『木馬と石牛――民俗学の周辺』が、大雅新書の一冊として世に出たのは、一九五五年(昭和三〇)四月のことであった。
その後、大林太良の解説が付いて、角川選書『木馬と石牛――民俗学の周辺』(一九七六)となり、また、法政大学出版局から、『木馬と石牛』が出版された(一九八二)。さらに、大林太良編で、『新編木馬と石牛』が岩波文庫に入った(一九九六)。
このようにして、同書は、「名著」として定着したわけだが、最初に出た大雅新書版というのは、あまり紹介されることがない。そもそも、「大雅新書」という新書の存在そのものが、ほとんど紹介されることがない。
大雅新書は、東京・渋谷区の宮益坂ビルにあった大雅書店が発行していた新書で、『木馬と石牛――民俗学の周辺』は、大雅新書の「3」にあたる。では、ほかに同新書から、どんな本が出ていたのか。調べてみると、矢野峰人『去年の雪――文学的自叙伝』(一九五五)、森於莵『父親としての森鷗外』(一九五五)の二冊のみであった。つまり、大雅新書として世に出た本は、三冊のみであった。
では、大雅書店は、大雅新書三冊のほかに、どんな本を出だしていたのか。実は、大雅書店は、大雅新書三冊のほかには、一冊も本を出していないのである。まことに、幻のような新書であり、出版社である。しかし、大雅新書と大雅書店は、『木馬と石牛』という名著を世に送ったことにより、歴史にその名を残すことになった。
本日は、以下に、大雅新書版『木馬と石牛』の「あとがき」を紹介しておきたい(一九七ページ)。
あ と が き
大雅書店の林宗毅君と、友人の池田敏雄君との熱心なすゝめによつて、この本が出ることになつた。両君に感謝する。たゞ、多忙のため、ゆつくりと手を入れる暇がなくて、意に満たぬものを、そのまゝ発表することになつたのは、大へん耻しい。
本書に収めたものは、主として説話に関する雑考であるが、頁数の関係で、そうでないものを、二三加えた。いずれも多少ともに読物の含みをもって書かれた雑文であって、別に何らの発展を含むものではないが、中で、百合若大臣に関する話は、いま少し本格的に考えて見ようと思つている。こゝに発表したものは、その予報の如き意味になると思う。
本書の編集、校正については、池田君に一任した。同君に重ねて感謝する。
一九五五年三月五日 著 者